迎えた水曜日。
七時半に凛は起きて、服を取り出す。
月曜日に渚が選んでくれたのは、白の爽やかなワンピースだった。
『初めてのデートなら無理に派手なものは来ちゃダメ!ここはシンプルにモノクロとかで行こう。夏だし白多めで』
とワンピースをチョイスしてくれた。
白の半袖ワンピースに黒い靴、黒い帽子やバックまで考えてくれた渚には感謝しかない。
『これで水曜日、頑張れるね。』
背中を押してくれた渚の為にも、ここで八瀬に猛アピールしなければ。
水曜日の朝は誰もいない。
母と父は仕事で弟は学校だから。
中学校は高校よりも一週間遅い夏休みなんだそう。
用意してあった朝ごはんを食べてからすぐに部屋に戻る。
『化粧は濃くしちゃダメ』という渚からの忠告を受けて、いつもと何倍も違う薄化粧をする。
「髪の毛…」
人差し指でクルクルと髪の毛をいじりながら鏡とにらめっこ。
結果、長い髪の毛は下ろして軽く巻いていくことに決めた。
♥
髪の毛を巻きながら試行錯誤すること十分。
時計は既に九時を指している。
途端、机に置いてあるスマホが鳴って揺れた。
見ると八瀬からメッセージが入っている。
初めての八瀬からのメッセージと、もう少しでこの人に会えると言う嬉しさが収まらない。
急いでパスワードを入力して確認する。
『おはようございます。準備ができたのでそちらが良ければ早めに家を出ます。大丈夫でしたら連絡して下さい。』
『おはよう!もうちょっとかかるから出来たら連絡するね、ありがとう』
動揺を隠して返してから、すぐにヘアアイロンを持ち直す。
あと数分で会えるという期待を胸にしながら、八瀬の為にスピードを上げてセットする。
『分かりました』という画面に表示された文字を見て、気合いを入れ直した。
やっとのことでセット完了。
なるべく完璧の状態で会えるように、凛はそーっと廊下を歩く。
髪の毛は一ミリも崩れることなく、体と一緒に動いている。
『もう準備できたよ、待ってるね』
バクバクする心臓を抑えながら深く息を吐く。
「凛、楽しみなのは伝わるけど、そんなに玄関で待たなくてもいいんじゃない?」
「だって待ちきれないもん。」
母は凛が八瀬のことを気になっているのは知っている。
「今度はちゃんといい人なんでしょうね?」
「もちろん!」
にんまり笑えば、母も安心して「暴れないようにね」とキッチンへ戻っていく。
数分後、インターホンが押されて明るく返事をする。
玄関先で少し待機をして、深呼吸をしてから取っ手に手をかける。
「ふぅ……いくよ、」
自分自身に声をかけてから「おはよう!」と声を上げる。
ドアを開いた瞬間、目を見開いて立ち止まった。
目の前には私服姿の八瀬が立っていた。
制服姿も見たことがないけれど、着物姿しか見たことがないのは珍しいかもしれない。
八瀬は凛の好みの服を着ていた。
ズボンは締まった黒いジーンズに上には緩めの白い服を着ている。
薄い黒色のカーディガンを羽織っていて、小さな鞄を肩に提げている。
モノクロのファッションが凛のファッションと似ていて、リンクコーデのように見える。
この服を選んでくれた渚には後でカフェでも奢るとしよう。
「おはようございます」
久しぶりに目の前で聞いた好きな声と、久しぶりに目の前で見た好きな人。
初めて見た、好きな人の私服。
これから二人で電車に乗って、食事をして、買い物をして……
色々なこと想像する度に嬉しくなってしまう。
こんな気持ちは初めてだった。
「素敵な私服ですね、僕のと似ています。」
「あ、ありがとう……や、八瀬くんも!す、素敵…だよっ!」
途切れ途切れになっても本音には違いない。
ちゃんと分かってくれたようで、八瀬は優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
会話が途切れた。
まだ家の玄関なのに、このままでは今日一日、八瀬を苦しめてしまうかもしれない。
なにか言おうとしても、緊張して言葉が出てこない。
すると八瀬が口を開いてくれた。
「あれは……なんの植物ですか?」
八瀬が指さしたのは庭にある花壇だ。
この前は暗くて見えなかったのだろう。
「あぁ、あれは……ひまわりの葉っぱかな」
確か何週間か前に祖母が植える方のひまわりの種を持ってきていた。
母が毎日のように水やりをしていたから、結構大きくなっている。
「へぇ…凄いですね。咲いたら教えてください、また見に来ます。」
「……うん!」
「行きましょうか」
一緒に駅まで歩く。
まだぎこちなさは消えないが、八瀬が自然に接してくれているおかげで、楽しく話せている。
東京駅に着いてから切符を買う。
「どこに行くの?」
「とりあえず横浜に行きましょう。」
「横浜!?そんな遠くまで行くの?」
「はい。中華街でお昼でもと思ったんですけど……ダメでしたか?」
首を傾げて聞いてくる八瀬に心がやられる。
「もちろん、いいよっ」
親指を立てて笑う。
「えーと。確か東京駅から横浜までは40分から50分だった気がします。」
「そうなんだ!じゃあ急ごっ」
ボタンを押して出てきた切符を八瀬に渡す。
電車が来るまで後五分程度。
もっと急げばよかったと少し後悔する。
走ってホームに行くと、電車が丁度止まった。
急いで乗り込んで空いてる席を探す。
「空いてないね…」
「あっ、ひとつ空いてます。どうぞ」
端っこに空いていた席を八瀬が譲ってくれた。
「あ、いいの?ありがとう」
こういう時には遠慮しない方がいいと思って遠慮なく座る。
目の前で八瀬が吊り革を片手で掴む。
凛の目線には八瀬が腕を上げた瞬間服が上がってお腹が見えてしまっている。
爆発するように顔が赤くなり、目を逸らす。
外を見ている八瀬はちっとも気づいていないから、少し割れたお腹を電車に乗っている間ずっと見ることになる。
「うぅ……」
「どうしました?酔いましたか?」
「あっ、ううん!大丈夫だよ!それより八瀬くん、腕疲れるんじゃない?こっちの柱掴む?」
「え?あぁ、お気遣いありがとうございます。そうします」
素直に腕を下げてくれた為、お腹は無事隠れた。
安心したと同時に、最初よりも優しくなっている八瀬に心が揺れる。
心と電車が揺れること十分。
凛は目を閉じてそーっと眠り始めた。
目が覚めると、電車に乗っている人は少なくなっていた。
横浜まで行く人はそう居ないのか、と思いながら、ふと自分の体制に気付く。
席が空いたのか、隣の席に座っている八瀬に頭を乗せていた。
「あ、え、ごっ、ごめん……っ!!!」
「全然いいですよ、あと数分で着きます」
にこりと笑って次の駅が表示された画面を見ている。
こんなに目覚めのいい就寝は今までなかっただろう。
少女漫画のような体制になれたことが、嬉しくてしょうがない。
きっと少女漫画の主人公も、こうやって無意識にやってしまっているのだろう。
今ならなんでも主人公の気持ちが分かる気がする。
「ひ、人、減ったね。」
「はい、結構減りました。」
また始まった静かな時間に慣れず、視線を色々な所へ移す。
「あっ、そ、そう言えばこの前ね!おばあちゃんがひまわりの種を持ってきてくれたの。食べれるやつ!」
「あぁ、あのひまわりの種」
「「美味しい」」
「…よね!」
「…です」
重なった言葉にびっくりして二人で見合わせて笑う。
「食べたことあるんだね」
「はい、母が好きで。」
「うちも!お母さん凄い食べる」
変な事で意気投合したな、と思っているとあっという間に横浜に到着した。
「降りましょう。」
八瀬を追いかけて電車から降りる。
駅から出て少し歩けば、中華街が賑わいを見せていた。
「わぁっ…見て見て!小籠包ある!初めて見た!」
「あ、なにあれ!?なんか巻いてるよ!」
「ラーメンめっちゃ美味しそう!マジやばい!」
大興奮の凛を見て八瀬も頷いてくれる。
「ですね、行きたいとこ回りましょう。とりあえずここはお昼ご飯を。」
「やっぱラーメン!チャーハン!あそこのお店行こ!…あ、待って!」
一旦落ち着いて、中華街の手前でスマホを出す。
大きな門をバックに八瀬の隣に並んだ。
「写真撮ろ!」
「…はい、いいですね」
まずは二人で自撮りをしたあと、歩いている人に声をかけた。
全身を撮ってもらってお礼を言ったあと写真を眺める。
「めっちゃよきー!見て見て八瀬くん!」
「素敵ですね…後で僕にも送ってください」
スマホを閉まって中華街へ入る。
まずは手前の方にあった入って数軒目のラーメン屋に入る。
「二名様ですね、こちらのお席へどうぞ」
カウンターに案内されて、二人並んで座る。
メニュー表を開くと、醤油や塩、味噌に豚骨などなど、どれも美味しそうなラーメンが載っている。
「注文はお決まりでしょうか?」
「うーん、やっぱりもちろんここは醤油!」
「僕は塩にしましょう。餃子もひとつ頼んで二人で食べましょ」
「醤油ラーメンおひとつ、塩ラーメンおひとつ、餃子おひとつですね」
注文を承った店員は厨房へ入っていった。
だが厨房の中からこちらをたまに覗いている。
「ねぇねぇ、さっきの店員さん、めっちゃ八瀬くんの事見てるよ」
「え?…ほんとですね、」
「あの店員さん可愛いじゃん、話かけて……」
「僕そういうの無理って言いましたよね」
八瀬の冷たい言葉にそっと口を閉じてしまう。
なにかトラウマでもあるのか、こういう系の話をするとすぐに怒ってしまう。
凛が悪いとは分かっていても、これでは凛にとって話を進めずらい。
「あ…や、八瀬くんごめっ…」
「お待たせ致しました」
先程の店員が笑顔でラーメンを持ってきた。
「あ…ありがとう…ございます」
邪魔するなと言いたくなったが、仕事でやっているから仕方がない。
ラーメンと餃子が運ばれた後も、凛と八瀬の席は沈黙に包まれていた。