どこを探しても夏希はいない。
帰ってしまったのだろうか。
やっぱり、怒らせたかもしれない。
ため息を吐きながら重い鞄を持ち上げる。
足取りが軽くなったと思えば、また重く。深く。
ちらりと職員室を見れば、おさ先生が誰かと話している。
話している相手は……
「夏希…!」
重い足を上げて、一気に学校の玄関に上がる。
職員室を見ると、夏希はいない。
「しっ、失礼します!おさ先生!夏希は……!」
「綾瀬…。夏希なら、お前の教室だぞ」
「私の…?」
「行きゃあ、分かんじゃねぇの?俺は知らないけど。」
本当に何も知らなそうだから、急いで教室へ行くことにした。
階段の方を見てから「失礼しました」とまた前を向く。
すると、目の前にはおさ先生がいた。
いつの間にここに来たんだろう。
おさ先生は扉を手で押えながら言った。
「俺、アイツの恋愛事情とかよく知らねぇけどさ。」
そして軽く笑った。
「綾瀬も、好きでいてくれてるんだろ?」
「…………はい。大好きです」
「一応、昔からの仲なんだよ。」
コクッと頷くと、もっと優しく微笑んだ。
んー。
ほかの女子が見たら倒れてしまう程の破壊力。
「俺の、弟みたいなもんなんだ。家族くらい、大切なんだ。だから……夏希のこと、よろしくな」
──はい
そう言う代わりに、微笑んだ。
おさ先生も、頷いてくれた。
夏希の家族のような人に、夏希を頼まれた。
夏希を幸せにするのは、紛れもない
────私だ。
階段を駆け上がり、三階へ着く。
運動不足の凛は、息が切れて膝に手を着く。
呼吸を整えて、静かに自分の教室へ向かった。
ドアを開ければ、夕日が差し込んで眩しい。
オレンジ色の教室に、一人の男子の姿。
彼が座っていたのは凛の席だった。
カーテンを押した風で髪が揺れて、机に顔をつけていた彼の、長いまつ毛がチラつく。
寝ているのだろうか。
前の席に座り、目を瞑るその顔を眺める。
何よりも綺麗だった。
どんな夜景よりも。
どんな花よりも。
初めて祭りで見た時、同じ感覚だった。
顔が整っていてかっこいいと思った。
けれど態度は冷たいと思った。
接してみればそんなことは無かった。
よく笑う子だった。
可愛らしい子だった。
運動も勉強も出来て、かっこいい人だった。
皆の憧れの的。
凛に釣り合うわけがないと、本気で思っていたのに。
今ではこんなに近い距離にいる。
触れたくて、たまらなかった人が。
目の前で目を瞑っている。
凛の小さな手を、夏希の頭に持っていく。
凛の細い指で、夏希の髪を触る。
寝ていても起きていても、どっちでもいい。
好きで好きでたまらなくて。
こうして出会えた事がほんの奇跡のことで。
オレンジ色の教室は、いつもよりも幻想的だった。
───あぁ、好きってこういうことなんだ。
恋ってこういうものなんだ。
やっとわかった。
相手をこんなにすきになれるなんて思わなかった。
『先輩のこと、好きなんです。』
「私も大好き」
椅子から立ち上がり、顔を近づける。
途端、急に夏希が目を開けて凛の首に手を回し、顔を引き寄せた。
一瞬の事だった。
凛も何が起きたかわからず混乱していた。
手を口元に持ってきて顔を赤くする。
「なっ…今……!」
「先輩が愛おしくて思わず」
意地悪な笑みを浮かべ、くすくす笑っている。
「なに…やってるの……今のって……!」
「キス」
二文字が口に出されると余計恥ずかしくなる。
夏希の手はまだ凛の首元にある。
人差し指が、首を擦るように小さく動いてくすぐったい。
「初めて…なのに」
「俺じゃ、嫌でした?」
「…………………そんなこと…ない」
凛が小さな声で言うと、夏希はふっと笑った。
そしてまた、顔を引き寄せてきた。
有り得ないほどの至近距離で目を合わせてくる。
またキスをしてくるのかと思えば、寸前で止まった。
目の前にある綺麗な瞳に、心臓がバクバクしている。
「先輩。大好きって…言ってくれましたよね」
「……聞いてたんだ」
目を逸らしながら答える。
「起きてましたし。」
「ずるいよ。」
「ふふっ…先輩、俺と付き合ってください」
目があったと同時に伝えてきた。
夏希の想いを、受け止める。
渚からも、おさ先生からも、応援されている。
結愛からも。
今度は凛が顔を近づけてそっと唇を重ねた。
「あ……」
夏希はびっくりした様子で子犬みたいに見てくる。
「お願いします」
にっこり笑うと、夏希は涙目になって凛を抱きしめた。
「大好きです」
「凛も。夏希のこと大好きだよ」
夕陽が差し込む教室で、二人は笑い合った。