帰りのバスの中、少し遅れた時間を取り戻す為にバスの中で挨拶をした。

多くの人が目を閉じて眠っている中、三日ぶりに見た東京の景色を、夏希は目に焼き付けていた。

まぁ、主に焼き付けていたのは窓に反射した凛の寝顔だけれど。

無事に二泊三日の林間学校が終わりを告げて、今までで一番思い出の濃い行事となった。


          ♥


「はいはい運動会の予定立てるぞー」

おさ兄の声が教室に響きわたり、その声を聞いた生徒達が騒ぎ出す。

「じゃあ誰が何軍かさっそく発表しまーす」

運動会では、凛と同じ軍になるようには話をつけていない。

運が相当ない限り、同じにはならないだろう。

林間学校から数日経っても、学校で凛の顔を見ることは数回しか無かった。

連絡をしようと思ったけれど、何を話せばいいかわからず、ずっと先延ばし状態。

でも、一度夏希に告白した以上恥ずかしいことは無いと思っているのか、会う度に『好きだよ』と伝えてくれる。

まぁ簡単に言うと、前よりも凛は積極的になった。

「……えー白軍。一年生はー……」

夏希の名前は呼ばれることなく、あと残り二軍となった。

凛の名前も、まだ呼ばれていない。

尊は赤軍で、同じ軍にはなれなかった。

「白軍の一年最後は、八瀬 夏希だな。」

「あ……」

「次二年な。覚えとけよ。まず、綾瀬 凛。」

「え?」

小さく声をあげると、おさ兄は夏希に向かってウィンクしてくる。

きっと、おさ兄は体育担当だから、決めてくれたのだろう。

今度、百年分の感謝を捧げることにしよう。

遥風や祭りに一緒に来ていた瀬川 遥斗と言う奴は違う軍らしい。

逆に絶好のチャンスだ。

遥風がいたら、到底凛に話しかける隙はない。

「……ってことだから。あ、明日のHR(ホームルーム)は軍会議な。軍ごと集まる場所表にまとめといたから後で見に来いよ」

どうやら夏希の勝負は明日から始まりそうだ。

凛を好きになる理由を探し出す訳では無いが、過去の自分が何故、凛を好きだったのかまず思い出す必要がある。

そうして、彼女のことをもっと知らなければいけない。

係決めなどが終了し、帰宅時間となった。

「気をつけて帰れよー」という声に対して「はー疲れた。明日だりーなー」と嘆く生徒。

そんな中、おさ兄に声をかけた。

「なぁなぁ、」

「先生に話しかける時は、『あの』だろ」

「いいじゃん学校終わったし。それより、軍っておさ兄が決めたの?」

「それ以外誰がいんだよ。まぁ感謝しろよ」

「でも、遥風先輩と凛先輩は同じ方が良かったんじゃない?」

まだ来年もあるからいいけれど、なぜ別にしたのだろう。

「じゃあ一緒にしてやろうか?そしたら話せなくなるけどいいの?」

「あ、やっぱりそういうこと?」

「いや、去年もアイツら一緒にしてやったんだよ。毎年一緒は不公平だろ?」

んー、やはり教師には敵わない。

おさ兄は頭がいいけれど、全校生徒の仲の良さを把握するだなんて。

相当難しいことをさらりと言ってしまうのはめちゃくちゃかっこいいと思う。

だから女子生徒にも騒がれる。

まぁ、おさ兄は相手にしないけど。

「流石先生。」

「だろ?感謝しろよ」

他の生徒から受け取った日直日誌を頭にコツンっと当てて「早く帰れよー」と廊下へ出て行く。

こんな所も、女子には人気なのだろうか?

多分、今のを女子がやられたら気が滅入ってしまうんだろうな。

「わかってるよー。早く帰る」

でもその前に、寄らなければいけないところがある。



階段を上って、“二年C組”と書かれた札を探す。

この階には来たことがないからわからない。

来たとしても、最初の見学会のみ。

廊下を進んでいくと、奥から二番目の場所にC組があった。

もう帰ってしまったのだろうか、教室からは声が聞こえない。

一応見てみる事にして、ドアからひょこりと顔を出す。

教室の端っこには、扇風機をちょうど停止させた遥風が立っていた。

「あ、八瀬くん。どした?」

「あ、お久しぶりです遥風先輩。凛先輩います?部活ですかね?」

「あー、あの子部活入ってないよ。でも才能はめちゃくちゃあるから、ちょっと美術部の手伝いに行ってる。」

「そうですか……」とガッカリすると、遥風はふっと表情を和らげた。

「もう帰ってくるから、待ってなよ。入って」

そう言って手招きしてくれる。

お辞儀しながら入って行くと、夕日の光が眩しかった。

教室全体がオレンジ色に輝いている。

ここが、凛がいつもいる教室……。

「あ、遥風先輩の部活は?」

「んー?バレー部だけど」

「行かないんですか?」

「ふふっ、部長という名のお偉いさんだから、一緒に待っててあげるよ。ついでに凛のこと話そっかな」

遥風は自分の名前が書かれた席に座り、前の席に夏希を促してくる。

躊躇しながら座ると、「凛ね」と話し始めた。

「男弄んでたとか噂、あるじゃん?」

はい、と相槌を打つ。

「ははっ、やっぱり出回ってるか。あれは、本当なんだけどね」

少し凹んでまた、はい、と相槌を打つ。

「でもね、あれは本気じゃなくて、相手を楽しませようとしてただけなの。けど、いつの間にか遊ぶようになっちゃった」

少し切なそうな顔をして笑った遥風を見て、胸が苦しくなる。

「けど、八瀬くんに会ってあの子は変わったの。ちゃんと、恋をしたんだよ」

「……凄く、嬉しいです。」

「あのお祭りの日から、毎日キミの話ばっかり。なぎも、凛を取られた気がして八瀬くんに嫉妬しちゃったよ?」

今度は照れくさそうに笑った。

この人は凛に似ていて、とても表情豊かな素敵な人だ。

「なぎね、林間学校で、お祭りに来てた遥斗と付き合ったの」

「え!?」

「凛からもまだ聞いてなかったか。告白したらOK貰って。そのまま……って感じかな」

「あ…お、おめでとうございます!」

その言葉に、「ありがとう」と微笑んだ。

瀬川といい雰囲気だったのは知っていたが、まさか林間学校で付き合ったとは……。

そう言えば『瀬』のつく苗字が多いなぁと、頭の中で話を逸らしていると。

「一番最初に、凛に言ったらね。もの凄く喜んでくれた。お母さんよりも喜んだ。ついでに凛のお母さんの夏美さんも。」

「夏美さんって言うんですね」

「そこ?はははっ!やっぱ八瀬くんは不思議な子だね」

「そうですか?」

「そうだよ。そこじゃなくて、凛が一番喜んだってとこ。」

何となく想像はできていたが、誰かが付き合えば凛が一番、本人よりもはしゃぐ気がする。

「これは凛のすてきなところ一つ目。まだまだ沢山あるけど、言い出したら一日かかりそう」

「ですね」

「凛は、ホントに人を大切にできる子なの。多分、八瀬くんのことは一番。だから、なぎからのおねがい。」

遥風は手を合わせて言った。

「あの子のこと、考えてあげて」

その言葉に一瞬黙り込む。

遥風は、凛のことをとてもいい子で人を大切にできると言ったが、遥風も同じだと思う。

だから、一番の親友になれたのだろう。

夏希と尊のように、と重ね合わせた。

「実は」と周りを確認してからコソッと小声で言う。

「俺、凛先輩のこと、めちゃくちゃ気になってました。」

「うぇ!?まじ!?めっちゃ嬉しい!」

まるで凛本人に言ったようなはしゃぎ様だ。

「林間学校で、昔の初恋の人に出会ったんです。ものすごく気持ちが揺らぎました。ついさっきまで。」

「さっき?」

「はい。遥風先輩から話を聞いて、凛先輩のこと、もっと好きになっちゃいました」

てへっと恥ずかしそうに笑って見せると、遥風が何故か照れたように驚いていた。

「うーん、八瀬くんってめっちゃイケメンだね」

「へ!?」

「ははははっ!思ったこと言っただけだよ。なんか可愛いし。こんなに人のこと好きになるなんて思わなかった。まぁ、二人が付き合ったら私が恋のキューピットだね!」

弓矢を持つような仕草を見せて片目を閉じている。

すると、ガタッとドアに何かがぶつかる音がした。

「いったぁ…」

見ると、座り込んだ凛がいた。

「り、凛先輩!」

「な、夏希ー…やっほー……」

「大丈夫ですか?」

すぐに駆け寄って手を伸ばすと、その手を掴んで起き上がった。

「なにしてんの凛」

続いて遥風も駆け寄る。

「あ、いやぁ…親友と好きな人が話してたら、気になっちゃって…」

「聞いてたんですか?」

「聞いてないよ!丁度今戻ってきて。二人がなんか仲良くしてるから嫉妬しただけなの!」

なんだか、告白した日から凛は別人のようだ。

前まではしっかり先輩だったのに、今では小さな子に見える。

正直に全て打ち明けてしまうし、夏希のことに関しては、今みたいにドジをすることも多い。

まぁ、そこも含めて可愛いんだけれど。

「落ち着いてよ凛ー。二人で凛の帰りを待ってただけだよ。八瀬くん、凛に用があるんだって。なぎはもう行くから、仲良くね」

見ると、遥風は既にバックとバレーに使うのか、シューズを持っている。

いつの間に肩にもタオルをかけたのだろう。

「えぇ!二人にしないでよー」

「なんでよ。ほら離して!部活行かなきゃ怒られる。てか、今凛のいい所話してあげたんだから後は一人で頑張って」

「いいところ?」

「うん、なぎが凛の好きなとこ話したから、感想は彼に聞いて」

「あぁっ!ちょっとー!」

遥風は「じゃあねー」と言って廊下を走っていく。

うーむ、凛も変わったけれど、遥風も彼氏が出来てから浮かれている様子。

「う……ちょっと二人は恥ずかしいんだよね」

「夏休み出かけたのに?」

「あれは……!興奮状態だっただけ!」

「じゃあ今は興味無いんですか?」

「あるある!ありすぎて困ってる!」

「はははっ!」

今の凛は先輩という感じがしないから、話していて面白い。

頬をふくらませて「むぅ」と怒っている。

前までのかっこいい凛はどこへ行ったのだろう。

まぁきっと、いつかは戻るんだろう。

「それで、用って何?」

「あぁ、運動会の軍聞きました?」

「聞いたよ!もう私舞い上がっちゃってさ、休み時間踊ってたよー」

よっぽど好いてくれているのか、と思うと夏希も嬉しくなる。

「俺もあれは喜びました」

「え、夏希も?ほんとに?」

グイグイ迫ってくる凛に、少し耳を赤らめる。

我を忘れているのか、夏希の胸元に手をやって体を押してくる。

後ろの机で体を支えて、もっと赤面する。

まるで酔った人のように、凛は興奮していた。

「ちょ……ほ、ホントですよ。後で聞いたら、おさ兄が手配してくれたみたいで…」

「おさ兄…?あぁ、おさ先生のことか。……え!マジか!感謝しないと!お礼言ってくる!」

「あ、ちょっと待ってくださいよ!」

そのまま凛は体から離れ、【廊下は走らない】という張り紙を他所に、廊下を走って行った。

今日の凛は台風のような人だ。

夏希は呆気に取られたまま、触られた箇所に手をやった。