おさ兄が駆け寄って、コップの破片を目の前で拾っている。
「おいっ、夏希も手伝え!」
「……」
夏希は呆然としたまま破片を拾い集める。
『一目見た時から、ずっと好きでした』
『貴方に恋をしたんだ』
凛の潤んで見上げる目が忘れられない。
どうして、自分が好かれたのだろう。
あれは、本気だったのだろうか?
何故、このタイミングなんだろう。
疑問と共に気持ちが揺らぐ。
結愛のことも、凛のことも、頭の中で考えていっぱいになってしまう。
凛は告白をしたあと、我に返ったように真っ青な顔になった。
『ご、ごめん、こんなこと……私、なんで……あ、せ、先生呼んでくる…』
そう言って走って行き、帰ってきたのはおさ兄だけだった。
「…おさ兄、凛は……」
「泣きながら遥風の所へ行ったよ…お前、何したんだ」
「俺は何も…!……でも、凛の気持ちが、俺はわからない、」
おさ兄は表情ひとつ変えずに、ちりとりを持ち上げた。
「なにがあった」
林の中を歩きながら、夏希はおさ兄に全てを話した。
幸い今はフリータイムで、他の生徒ものんびりと過ごしている。
「お前、凛が好きだったのか?」
「……それも、今じゃ分からない。告白されて嬉しいし、これから絶対俺も好きになると思ってた。でも、結愛を思い出して……」
「あのな、告白に返事しなかったことは褒めてやるよ。でも、そんな中途半端な気持ちで好きになると思ってただなんて……凛が知ったらどう思う?」
「俺だったら…はっきりして欲しい」
もう少なくなったセミの鳴き声が、耳に響き渡る。
「どっちを好きになるかは夏希の勝手。でもそれで、人を傷つけたら元も子もない。そもそも結愛がお前を好きな保証なんてどこにもないだろ」
言われて気がついた。
結愛に告白して、夏希は振られた。
今会って舞い上がっているのは夏希だけなのかもしれない。
結愛は、ただ久しぶりに再開したくて、話したくて、別に舞い上がった訳では無い。
それなのに、変な期待をして、凛を傷つけた。
「俺にとって、二人とも大切なんだよ。手放したくないって思ったのは、あの二人と尊だけなんだよ。こんなクソみたいな人生でも、俺を輝かせてくれたんだ」
「……どっちも大切な人なら、大切にするべきだ。中途半端だけはやめた方がいいけどな」
「もう一回、二人と話すよ。」
結愛とは、しっかりと話をした。
炊飯小屋で片付けをしていた時を見計らって思い出話でもしようと持ちかけた。
『今は、好きな人いるの?』
思い出話の途中、そう聞かれた。
『……結愛は?』
どうしてもはっきり答えられなくて、お返しに聞いた。
『うーん。女子しかいないから好きな人はいない。』
そう答えてくれた。
そしてその後
『夏希は、まだ、私のこと考えてる?』
不意打ちだった。
どう答えればいいか悩んだ末、馬鹿正直に話してしまった。
『……だから、俺今二人とも考えてて…結愛の事、悪い意味じゃないけど忘れてたし、もう凛先輩しかないと思ってたけど……』
『思い出させちゃったんだね』
結愛は優しく笑って答えた。
『あのさ、夏希。私のこと、想ってくれてるのは嬉しい。けど、その気持ちには答えられないの。そういう目で見たことがないから。』
『うん、わかってる』
『綾瀬さんに辛い想いして欲しくないし、せっかく告白してくれたなら、ちゃんと考えてあげて。』
『わかった』
その言葉と同時に結愛は立ち上がり、決意したように夏希に言い放った。
『それと、もう私の事は、忘れてよね』
途端、中学の頃に振られた時が蘇った。
「俺はこんなふうに傷ついた」と思い出して、凛をこうやって傷つけてしまったことも理解した。
結愛とは、しっかりと友達になると決めた。
『忘れて』と言われた以上、今度は結愛を傷つけてしまうかもしれない。
尊の言った、夏希の気遣いというものは、こういう所にあったのかもしれない。
『さようなら、結愛。また会おう』
『さようなら、夏希。』
こうして、夏希の一つ目の恋は終わりを告げた。
ただ一つ問題が残った。
凛に近付こうとしても、どうしても避けられてしまうのだ。
見つける度に、用があると言われてしまい、とうとう最終日になった。
「あの……」
「ごめん、係の仕事が……」
そう言われて、腕をガシッと掴む。
「嘘つかないで。係の仕事なら俺もあるはずです。」
「……どうしたの」
やっと引留めることに成功して安心した。
この三日間、同じ班で同じ係なのに全く話さなかった。
「なんで避けるんですか」
「なんでって…じゃあなんで凛に話しかけるの?あの子と……結愛ちゃんと付き合ったんじゃないの?私見たんだから、二人が話しているところ。」
そういう事だったのか。
凛は勘違いをしていた。
それも大きな勘違い。
「俺は、結愛に別れを告げてきたんです。」
「……え?」
「ちゃんと友達に戻ろうって。連絡先とか交換しましたけど、付き合ってなんかいません。」
「…そ、そうなんだ…あ、ごめん私勘違いを……」
「大丈夫です。それより、一日目に言ったこと……」
「あぁ!あれ、わ、忘れていいから!困るよね、急にあんなこと…迷惑かけてマジごめん!」
慌てふためいた凛は、両手をブンブンと振って弁解している。
ということは、本気ではなかったのだろうか。
「俺へのあの言葉は、嘘…だったんですか?」
「……………………嘘…じゃないよ」
凛は小さな口でハッキリと言ってくれた。
祭りで、夏希がしてくれた事をしっかりと見ていたことも
名前で呼ぶようになって嬉しかったことも
色んなきっかけで、夏希に好意を持ったことも
全部、教えてくれた。
「でもね、凛は夏希を困らせたくないの。結愛ちゃんのことまだ気になってるのは見ればわかるし、突然言っても、夏希は凛のこと先輩だとしか思ってないと思うから…」
「いや、俺は……」
「今ここで気まずくなりたくないの」
真っ直ぐな瞳に、つい言葉が詰まってしまう。
「夏希が中途半端なら、まだ答えてもらわなくていい」
おさ兄と同じようなことを言った。
やっぱり凛はそれで傷ついていたのかもしれない。
おさ兄はとんだ恋愛のプロフェッショナルだ。
「…はっきりさせたら、答えを出します。」
「それまで待っていてください」と見つめ返すと、凛は歯を見せて安心したように笑った。
その顔には、泣いた跡が残っていた。


