一日目はあっという間だった。
体験授業をするために班で行動し、近くにある湖の畔を一周して帰ってきた。
少し早めの夕飯も、満足する結果だった。
凛もこの一日で料理が一段と上手くなり、シチューを作るのはそんなに難しくなかった。
ところが、その日の夕飯の片付けの時、事態は大きく動いた。
「今度は私もやる!」と決めた凛と一緒に、鍋と皿、調理器具を片付けていた時だった。
「夏希……?」
「はい?って……え」
目の前のキャンプ小屋からやってきたのは────結愛だった。
「夏希!久しぶり!」
「結愛…」
「この人が、篠原 結愛さん…」
凛がタオルを持ったまま結愛を見つめている。
「ん?貴方は?」
「あっ、えと、凛!綾瀬、凛。多分君の、ひとつ上」
珍しくぎこちなく人と話している。
初めての人は苦手なのだろうか。
「綾瀬先輩ですね!…あ、でも高校違うので綾瀬さんって呼びますよ、私は篠原結愛です!よろしくお願いします!」
「あ……うん、よろしくね!」
凛はなにかを悟ったように急に笑顔になった。
けどその顔からぎこちなさは消えなかった。
「結愛、なんでここに?」
「え?なんでって…そこの目の前の炊飯小屋、鈴学のだからだよ?治お兄さんから聞いてないの?」
「いやっ、聞いてたけど目の前とは……」
「あ、でも寝るところはここじゃないんだよ。もうちょっと先!でも久しぶりに夏希に会えて嬉しいなぁー」
あぁ、そうだった。
結愛はこういう子だった。
ストレートに気持ちを伝えてきて、いつも明るく笑ってる子。
夏希はもう、凛だと決めていたのに。
今になって揺らいでしまう。
(俺はなんて、悪い男なんだろう)
凛のせいで、凛のおかげで、結愛を忘れていた。
どんな声だったのかも、顔も性格も、凛で染められていたんだ。
今会って直接、「忘れて欲しい」というはずだったのに。
どうして、言えない。
どうして……こんなにも考えてしまう?
「あー…夏希?大丈夫?結愛に会えて、嬉しくない?」
「え……、あ、もちろん会いたかったよ。久しぶりだし、おさ兄からしか聞いてなかったし。」
垢抜けた結愛は、中学の頃と見違えるほど綺麗になっていた。
まつ毛も長くなって、長かったロングヘアは肩までの短さになっている。
鈴学では化粧は許されていないはずなのに、化粧をしていてもおかしくないほど綺麗だ。
出来物ひとつもない白い肌。
小さい頃に握ったことのある細い指。
全てが、夏希の記憶に蘇ってしまった。
人とあまり話せない夏希に一番最初に話しかけてくれた結愛の姿も、結愛の言葉で一人称が変わった過去の自分も。
全部に、夏希は恋をしていたと思い出した。
「夏希、雰囲気変わったね。元気になった!結愛も安心だなー」
「…結愛は、変わってないよね。」
「そーだね。今の自分が好き。」
その言葉に胸がズキンと傷んだ。
昼間まで、自分は自分を変えたいと思っていた。
けど、自分よりもか弱い目の前の女子が、胸を張って「今の自分が好き」と言えている。
羨ましくて、同じになりたかった。
「結愛ー、沸騰してきたー!」
「あ、はーい!じゃあね、夏希。また。」
そう言えば、結愛は料理も上手かったな。
なんてことを考えて手を振る。
横を見れば、凛が俯いていた。
夏希の心は、もしかしたらまた逆戻りしてしまったかもしれない。
なんたって、頭の中には結愛しかいなかったから。
「ほんと、僕って情けない」
「……会えてよかったね。とってもいい子だった。」
夏希の一言にも、一人称が無意識に戻ったことにも触れずに、凛は笑った。
また、悲しい笑みに戻っていた。
「はい。」
「…私さ、夏希があの子を好きになる理由わかった気がする。」
「……な、なんでですか?」
「話しかけられて思ったもん。元気で、笑顔が素敵で、もう無敵って感じ」
「ははっ、まぁ」
結愛はそういう子ですから。
その言葉を飲み込んだのは、凛が泣いていたから。
「先輩……?」
遠慮がちに指で涙を拭ってから、ポケットにハンカチがないか確認する。
その手を、凛が抑えた。
「夏希。今、夏希はあの子にまた恋したでしょ」
「え……し、してないですよ!」
「…そうだったら、嬉しいんだけどな」
少し嘘をついてしまった。
凛は夏希の言葉に笑ってくれた。
けれど、腕を掴んだ小さな手は離さなかった。
「夏希、あのね。ずっと言いたかった」
腕から手へ移動して、夏希の手を握りしめてきた凛は、涙をこぼした。
「凛、夏希に恋をした。貴方に、恋をしたんだ。」
落としたコップが、カランっと音を立てて落ちたと思えば、パリンっと割れた。
「一目見た時から、ずっと好きでした」