「お待たせーカレーだよー!この治先生がバッチリ指導したから完璧ですよー」
おさ兄が何故か胸を張って、カレーを配っている。
「ちがいますよー、おさ先生は見てただけですよー」
凛が意地悪そうにみんなに告げた。
「やっぱりー!」と楽しそうな声が続々と上がる。
どうやら後輩にも、凛は人気らしい。
みんなカレーを持って凛の周りに集まりだした。
「……」
どうやら、自分の入る場所はなさそうだな、とお皿を持って去ろうとすると…
「夏希!こっち座って」
椅子に座った凛が、横の席をポンポンと叩きながら笑った。
少し恥ずかしそうな笑みだった。
「…ありがとう、ございます」
「うん!でさー?……」
誘われて嬉しかったのも束の間、すぐに前にいた遥風と話し出してしまった。
一人黙々と料理を食べ続けていると、他のテーブルに座った友達から視線が送られる。
眉をひそめながらもカレーを食べ終わり、「先に洗い物やっておきますよ」と告げて立つ。
「え!悪いよ、ごめんね食べるの遅くて」
「あっ、いや!そうじゃないですよ、気にしないでください。ただ、凛先輩に洗い物させると……」
そこまで言って頭の中で想像する。
頭の中では鍋を洗い、豪快に落としてしまう凛の姿が見える。
同じことを凛も想像したようで「うぅ……」とうなっていた。
「ははっ、気にしないでくださいよ」
カレーを煮込んだ鍋は、結構な重さがあるものだし、女子には任せられない。
それに、おさ兄が言うのを忘れたせいで鍋にバターを塗り忘れた。
へばりついたカレーをとるのも力仕事だろう。
蛇口から水を出し、溜めている間にスポンジに洗剤をだす。
「ごーくろーさん!」
「わっ」
突然誰かが肩に手をかけてきて、スポンジが手からすり抜けた。
振り返ると、さっき視線を送っていた中学からの親友である古矢 尊だった。
「おい急にやめろよ尊!」
「わりぃー、誰かさんが惚れてるの見ちまったから。声掛けたくってさ!」
色々なやつがいじってくる中の一人だった尊は、皆とは違うと感じていた。
♥
中学の頃、名前に色々言われた。
尊も同じだった。
『かわいいよなー』
みんなと一緒に嘲笑っていた。
そう、思っていた。
だが、ある日を境に、その考えが違ったことに気付いた。
『夏希名前変えた方がいいんじゃね?』
『顔と比例してないよね。あ!名前じゃなくて整形とかしたら?女になれよ』
二人の生徒に、放課後笑われたある日。
部活を終えて忘れ物を取りに尊がきた。
『お、タケじゃん。お前もそう思わね?』
二人のうちの一人が話を振った。
あぁ、また別のヤツに言われる。
早く帰ればよかったと思った。
でも、尊はタオルで汗を拭きながら言った。
『んー?知らないけど、そんな言わなくてよくねー』
『タケだってかわいいとか馬鹿にしてんじゃん』
『いや俺褒めてるつもりだったんだけどな』
ヘラヘラ笑いながら尊は言った。
『夏希の大切な人が付けてくれた名前、馬鹿にすんなよ』
二人を責めるわけでもなく、笑いながらそう言った。
言われた二人も、黙って出ていった。
『あれ、おれ変なこと言った?まぁ気にすんなよ夏希!じゃあな!』
手を振って帰ったあの後ろ姿は忘れられなかった。
♥
「はーお前ほんと良い奴だったわ」
「なんで過去形なんだよ」
夏希が根から笑えるのは尊と凛だけで、名前を褒めてくれたのも尊と凛だけだった。
「なぁ、なつー。お前あの先輩好きなの?」
「は!?」
拾い上げたスポンジがまた落ちる。
「ふははっ!見え見えだって。」
「おま…っ!…………黙ってろよ」
「あったりまえよ!」
渋々認めると、なにか言いたそうにずっと横で見ている。
「…なんだよ」
「いや、綾瀬先輩って男あそび激しいやつだろ?お前も騙されたり……」
「してない!凛先輩はそんな人じゃない!」
「そ、そんなムキにならなくても…噂だって」
「仮にそんなことをしていたとしても、俺は…!」
「ちょ、なつ…」
「凛先輩は素敵な人なんだよ…っ!」
「お前、後ろ!」
その言葉に咄嗟に振り向くと、凛が自分のお皿を持ったまま立ち尽くしていた。
「り…ん先輩……」
「あー…と、私の話…?」
「どっ、どこからきいてたんですか!」
赤面してスポンジがちぎれそうな勢いで拳を強く握りしめる。
「私は素敵な人…ら辺から…へへっ」
凛の笑顔に安心して一息つく。
もしも、好きだと気付かれていたらと思うと怖かった。
もしも、それを聞かれて「気持ち悪い」などと言われたらと思うと…
「…ごめんムキになりすぎた、尊。」
「あ、いや…」
「お前代償に洗い物手伝えよ」
「へ?」
「凛先輩は、先に戻っていてください」
「でも……」と言う凛からお皿を取ると、遥風がやって来て「凛ー!」と呼ぶ。
「…大丈夫ですよ」
「わかった、ごめんね。よろしく、えっと…」
「あっ、古矢 尊です」
「古矢くんも、ありがとう。」
凛が優しく笑い、尊もぺこりと頭を下げる。
凛が走って行くのを見届けてから、無言で鍋を洗い始めた。
「お前が選んだにしては、いい人じゃんか」
「……」
「優しいし笑顔素敵だし?」
「……」
尊がわかったような口振りで話すのが、夏希は許せなかった。
凛はもっと苦しんでいて、今も苦しむことは沢山あって……でも、尊が言った“いい人”なのは間違いない。
少なくとも夏希には、細かい気配りをしてくれる。
気配り上手というより、相手のことを先に考えてあげることが出来る人なのだと思う。
けれど────
「なぁー、ごめんって。さっきは俺が……」
「よくさ、大切な人は近くにいるって言うじゃんか。」
尊の謝罪を遮って言うと、戸惑いながらも尊は頷いてくれた。
多分、夏希がこんなに遮ってまでも話すのが珍しかったのだろう。
「俺にとって大切な人は、あの人だって分かってる。でも、近い存在じゃ…ない気がする」
「……なんでだよ?」
「だって、凛先輩はあんなに光の当たる所にいる。人の気持ちを考えることが出来て、だから友達も沢山いて。俺とは真反対の場所にいるんだよ」
「……」
なんだか話しているうちに悲しくなってきて、声が揺れてくる。
「俺…っ、どうすれば変われるんだろう…。あの光の当たる場所に、凛先輩の場所に行きたい……っ!もしかしたら、俺が悩んでるうちに誰かに先を越されるかもしれないんだ…」
凛は色々な人に好かれる。
多くの男と関わってきて、友達と関わってきて、男女ともに話ができる。
そんな人に、自分が恋したって程遠い。
そんなことは、わかっていた。
わかりきっていた。
それでも、好きになってしまった。
「そりゃあ、凛先輩はコミュ力高いけど…」
「違う、あれはコミュ力とかの才能じゃない」
遠くでクラスメイトに囲まれる凛を見て言う。
「あれは、努力なんだよ」
そう、昔いじめられていたにも関わらず、今こうやって関わりが持てているのは、凛自身が『仲良くなりたい』と願ったからだ。
最初に遥風と仲良くなって、そこからどんどん連鎖していったわけでもない。
自分から、色んな子に声をかけていったんだ。
夏希の言葉に、尊は呆然と立ち尽くした。
「…びっくりだな、ははっ。なつがこんなにもあの先輩に本気になってるとは」
「……あの人を、逃したくない。」
いつしか夏希の中には、凛を自分の手で恋人にしたいという願いが溢れ出ていた。
いつの間にか、この人を逃してはいけないと思うようになった。
「俺は、変わりたいんだよ……」
「……なんつーかさ、俺アドバイスするタイプじゃねぇけどさ。」
尊は恥ずかしそうに頭をかいた。
その手をそのまま首元にやってきて言う。
「変わんなくていいと思うぜ」
「……え」
蛇口の水を止めて、一瞬辺りが静かになる。
ほかの班も片付けに行ったのか、周りには話している女子たちだけだった。
「俺は、光の下にいようが影の下にいようが、なつは変わらなくていいと思う。」
「でも……」
「お前は人に気遣えるやつだ。それはお前がいちばんわかってるだろうが。」
確かに今まで、多くの人を相手に接してきた。
何を言われてもポーカーフェイスで隠し通してきた。
決して人前で怒ったことはなかった。
でも、そんなことが気遣えると言うのだろうか。
「それに、たくさんの友達を持つより、俺のような頼れる親友を持った方がいいだろう?」
尊はニッと笑って拳を前に出す。
夏希もその顔を見てふっと表情を和らげた。
「……尊が親友でよかったよ」
「そう言うと思った」
夏希も拳を前に突き出し、静かにグータッチをした。