目の前に立ちはだかる八瀬を見上げる。
中学の頃、綾瀬を見下していた男子達は、今八瀬に見下されている。
動けずに震えている綾瀬を、八瀬は守ってくれた。
それだけじゃない。
七夕祭りの時、渚達を馬鹿にしていたと思っていたのに。
『今、先輩には渚さんという素敵な親友がいる』
そう、言ってくれた。
自分を助けてくれたことも、渚を褒めてくれたことも、何もかもが、一言一言が嬉しくて。
何をしに帰ってきたのかはわからない。
でも、好きな人が駆け寄ってくれたのは、今までで一番安心できた。
凛のために、八瀬は暴力まで振った。
きっと部活に入っていれば、部活は退部にさせられるだろうし、入っていなくても罰を受けるだろう。
そう思えば、涙が溢れてきた。
どうしても止めたかった。
「八瀬くん…」
声に出せるのは名前だけ。
震えた声で言うと、八瀬は少しだけ止まって、そのまま男子達を追い払った。
男子達が見えなくなったあと、クルッと八瀬が振り返り、「大丈夫ですか?」と心配してくれる。
「…うん、また、守ってくれたね」
「当たり前じゃないですか!」
「なんで…戻ってきたの?」
「あ、腕時計忘れて……。見たら先輩、襲われてて…っ!もう近付かないように言いましたからっ、だから…」
言葉の先を待っていると、赤くなっている八瀬は凛の服を指さす。
「服、着てください」
「へ?」
見ると、凛は下着姿になっていた。
脱がされた服で隠していたものの、八瀬に気を取られて全然忘れていた。
「ごっ、ごめん!」
「体、触られましたか?」
「えっ?ううん、大丈夫」
「なら良かったです。立てますか?」
差し伸べられた大きな手を握る。
もう片方の手でポケットからハンカチを取り出し、差し出してくれる。
「あ、ありがとう……」
白いハンカチを受け取って涙を拭いたあと、八瀬は手を引っ張って公園を出た。
「ど、どこ行くの?」
「不安でしょう。一人にしておけません。」
そのまま歩いて凛の家とは反対の方向へ曲がると、庭にひまわりが咲いている白い家があった。
「わー…うちのひまわりもこんなになったらいいな」
呟いていると、八瀬はその家に無断で入っていく。
「ちょっと!?不法侵入で捕まる気!?」
「俺の家ですよここ」
八瀬はそう言って大きな家に入っていく。
庭には背を凛より高く伸ばしたひまわりが堂々と咲いていた。
八瀬がドアを開けてくれたので「お邪魔します……」と恐る恐る入っていく。
玄関は広くシンプルなデザインだった。
もっと中に入っても生活品は全然出ていないので、尊敬してしまう。
「凄い綺麗な家だね…あっ、ごめんね迷惑かけて」
辺りを見回した後に八瀬の方を見ると、冷えたアイスコーヒーを出してくれている。
「俺が呼んだので。コーヒー飲めますか?」
『珈琲』と書かれた瓶を持って首を傾げて聞いてくる。
なんとも愛らしい姿にこくりと頷くことしか出来ない。
八瀬がコップをふたつ持って、オープンキッチンから凛が座るリビングのソファに移動する。
思ったよりも近い位置に座られてビクリと体が揺れてしまった。
「ありがとう」
照れ隠しのようにコップを持ち上げ、ひと口飲む。
暑い夏の日に、なんならプールに入った後に飲むアイスコーヒーが格別でならない。
「ごめん、ほんと。私、迷惑かけてばっかだよね」
ヘラッと笑うと、真剣な顔で八瀬が見てくる。
「先輩悪くないですから。もう近づいて来ないと思うので安心してください。」
「うん……」
凛の口調も、最初のようなチャラい喋り方ではなくなった。
いつの間にか、八瀬の丁寧な喋りに釣られてしまったのだろうか。
アイスコーヒーの氷がカランっと音を鳴らす。
「八瀬くん強くて敵わないなぁ…凄いよ」
そう言って見ると、八瀬はふと考えるように俯いた。
「どした?」と声をかけると、「あの!」と返ってくる。
「俺…おれ…っ…、さっきも言いかけたんですけど」
そう言われて、公園で『…あのっ、』と言われたことを思い出す。
自分で八瀬の好きな人が気になるとか言っておいて、悲しくなってしまった。
だから、何か言われる前に遮りたかった。
けれど今言うということは、それにはきっと関係なかったのだろう。
「なになに?」
「俺のこと、名前で呼んで貰いたいんですけど。」
「え」
顔を逸らしながら言う八瀬の顔を見つめる。
「いいの?」と頬を染めて聞くと、八瀬も頬を染めて頷く。
「仲良い人だけじゃないの?」
「…もう、綾瀬先輩は仲良いです」
目を逸らしたまま答える八瀬が可愛くて見つめてしまう。
「よ、呼ぶよ…」
「そんな改まって言わないでください!」
「あ、ごめん」
そう言われたらいつ言えばいいかわからない。
というか、『くん付け』した方が良いのだろうか。
後輩だし、呼び捨てでもいいのではと思う。
意を決して、ソファから立ち上がる。
「な…夏希っ!きょ、今日は…ありがと…」
目を見つめてしっかり言えば、八瀬…夏希は手で顔を覆い隠してしまう。
お互いに深くため息をつくと、マラソンの後のように顔が熱い。
「…慣れ…ないね…ははっ…」
何となく笑って見せると、指と指の隙間を開けて、夏希が目を出した。
「これからもそれでお願いします」
「…頑張るね」
またソファに座る事に遠慮して、窓の近くに行き外を見る。
吊る下げられた水色の風鈴が氷と同じように涼しく音をたてた。