「もう少し話したい」と綾瀬に言われ、通学路の途中にある公園に入る。
ブランコに座り、足で揺らす。
小さい頃から来ていた公園だったが、忙しくて来れていなかった。
久しぶりに見た景色は、少し小さく見えた。
まだ昼にもなっていない公園なのに、子供は誰一人としていない。
通行者も見えないし車も見えない。
まるで二人だけの世界に迷い込んだみたいだった。
不思議と嫌ではないのは何故だろう。
揺れる度に、陰が長くなったり短くなったりする。
面白くて見つめていると、綾瀬が口を開いた。
「八瀬くんはさ、恋バナ苦手?」
「え…いや、苦手ではないです」
「じゃあ、好きな人とかいる?」
「好きな人…」
突然の質問に顔を上げると、目が合ってしまった。
急に心臓が締め付けられて、目を逸らしてしまった。
「わから…ないです。」
「わからない!?それどーゆーこと?」
「…まだ、自分の気持ちがはっきりしていないと言いますか…。」
「じゃあ気になる子がいるんだ?」
「…そういうことでしょうか」
答えると、綾瀬は少し寂しそうな顔をした。
眉が下がってしまったのを見て、無意識に八瀬も下がってしまう。
「あ、綾瀬先輩は…?」
「んー。正直言うと、いる」
「…また色んな男に手出すんですか?」
「なにそれ!?」
「噂です」
「出さない出さない!噂話まで…!?……私、誘い方知らなかっただけ!八瀬くんに会ってから、ちゃんと考えるように…なった」
上目遣いを使ってくる綾瀬をあざとくて可愛いと思ってしまう。
日に照らされた金髪が眩しく光って揺れた。
「そうなんですね…。同級生ですか?」
「え…と……こ……い」
「え?恋?」
「ちがっ…!こっ、後輩!」
綾瀬の言葉に思わず目を見開いてしまう。
自分の同級生だと決まった訳では無いが、もしかしたらライバルが…
(え、ライバル?違う…そんなの居ない!)
一人で首をブンブン振っていると綾瀬が赤らめた頬を見せながら首を傾げている。
「そう…ですか。いいですね、」
話が終われば十二時のチャイムが鳴る。
公園にある時計も十二時ぴったりを指しているが、つけている腕時計は二分早まっている。
腕時計を取り外し、調整してから立ち上がると、綾瀬も続いて立ち上がった。
「八瀬くんの気になる人、どんな人なんだろうなぁ」
そう言った綾瀬の顔はニンマリと口角が上がっている。
でも、少し悲しそう。
「…あのっ、」
「今日はありがと!学校で初めて会うのが補習だなんてね。また夏休み明けて会えればいいね」
「あ……そうですね。」
「あっ、ごめん、なんか言おうとしてたよね。なに?」
「あ…いや、なんでもないです」
急に恥ずかしくなって、これは心に留めておこうと思った。
「そっか。無理には聞かないから、また言いたくなったら教えて」
綾瀬の細かな優しさが、八瀬を揺るがせる。
頷いて、その場を立ち去ろうとしても、綾瀬は動かない。
手を後ろに回して…見送ろうとしているのだろうか。
確か綾瀬の家は公園から出て八瀬とは違う方向だ。
「先輩?帰らないんですか?」
「え?あ…もうちょっと、ここにいる。友達に呼ばれてて」
「友達に…」
綾瀬が好きな後輩とこれから会うかもしれないと悪い想像をすると、早く帰りたくなった。
他の人と笑って話す綾瀬を見たくない。
何故かそう思ってしまった。
♥
綾瀬と分かれて歩き出してから二分。
何気なく腕を触っていると、腕時計がないことに気付く。
ブランコの上に置いたまま来てしまったのだろうか。
道を振り返ってもまだそんなに公園から遠くはない。
多少遅れても家にいるのは姉だけだから心配はない。
急いで駆け足で公園へ戻る。
曲がり角を曲がると同時に公園が見えた。
───そして、夏休み前半で出かけた時に見た、男子生徒も見えた。
綾瀬が男子生徒に腕を掴まれて、抵抗している。
「やめて…って…もうっ、やめてよっ!」
綾瀬の震える声が、公園に響く。
友達と言っていたのに。
さっきまで笑っていたのに。
今では涙が頬を伝って、助けを求めている。
(俺が先輩を守る)
そう決意して、綾瀬の前まで走る。
男子生徒の腕を掴んで綾瀬から離し、その腕をぐるりと回す。
「いてぇっ!!!おいやめろよっ!触んな!」
「先に女性に手を出したのはどっちだ」
低い声で言い、さらに腕を回す。
父から習った武道は本当に女性を守るために使えた。
大切な人を、守るために。
『なんでこんなもの習わなくちゃいけないのさ。』
そう質問した時があった。
父は『男だからだ』と答えた。
『男も女も関係ないよ』
『たしかにな、でも…』
それまで真剣な顔をしていた父は、白い歯を見せてニッと笑って言った。
『大切な人を守れたら、かっこいいだろ?』
あの時の純粋な父の笑顔を、あの純粋な言葉を忘れた事は一時もない。
右手で腕を回し、左手で綾瀬を庇う。
男子生徒は年上だろうが、力はそれほど変わらない。
小さい頃から鍛えてきた八瀬に勝てるわけが無い。
「綾瀬先輩、下がっててください」
そう言って、男子生徒の腕を離すと、腕を抑えながら舌打ちをする。
もう一人の男子生徒がそれを庇うように前に出てきた。
そんなに知力がないのだろう。
無防備な拳を振り上げてくる。
その拳をパシッと掴み、相手が驚く間に腹を殴る。
軽くやったつもりだったが倒れてしまった。
「…っ!いてぇよ、なんだよお前っ…!!」
「あなた達こそなんなんですか。嫌がってるの、わかんないんですか?」
「俺らは昔から媚び売ってるって言われてた女を他の人の代わりに襲ってるだけー。」
最初に腕を掴んでいた男が立ち上がった。
「コイツの昔知ってっかよお前?なぁハル」
ハルと呼ばれたもう一人の男は腹を抑えながら頷く。
二っと笑って「やばいよなーキモすぎたー」と共感していた。
「男に媚び売るしー先生にも!」
「友達居ないくせに人気の先輩に告られてるし」
「それで断っ……うわぁあっ!」
髪の毛を鷲掴みにして引っ張る。
「耳が腐ります」
「八瀬くん……」
「男に媚び売って何が悪い。先生に媚び売って何が悪い。成績をあげるための方法なら自分のやり方でいいだろう。友達がいないやつなんて他にもいる。中学の頃を今頃遡って何がしたいんだ」
「痛い…って!離せ!」
「今、先輩には渚さんという素敵な親友がいる。人気の先輩に告られて腹が立つなら、その先輩を襲ってこい。」
「わ、分かったからっ!」
「あなた達の悪い思い込みで、綾瀬先輩を襲わないでください…っ」
イラつきで腕が震えて、到底我慢できそうにない。
少し浮きながら足をバタバタさせている男の髪の毛を離して振り落とす。
男はドタッと倒れ込み、息が上がっていた。
後ろで突っ立ったまま顔をひきつらせている男をみて鼻で笑う。
所詮一緒に人をいじめても、虐められるのは体験したことがないのだろう。
いざとなれば相方を守る勇気なんてないんだ。
ただ一緒に人をいじめて、その喜びを分かち合うだけの醜い二人。
見ていて腹立たしい。
手前の男と同じ目線にしゃがみこみ、胸ぐらを軽く掴んで引き寄せる。
睨もうとしても出来ていないその目が目の前に来た時、口を開いた。
「知ってますか?人は弱いと、複数人で行動するんです。恥ずかしくないですか?二人で女性を襲って、それを助けに来た一人の年下にやり返されるなんて」
「八瀬くん…」
名前を呼ぶことしか出来ない綾瀬をすぐにでも支えてあげたかった。
このまま醜いだなんて言い続けていたらキリがない。
人を傷付けている人は皆醜いのだから。
また鼻で笑って、男を突き放す。
立ち上がってから二人を見下して、低い声で言う。
「二度と近付くな」
逃げるように砂を蹴って二人は去っていった。