自販機の前についてから気付く。
「何買えばいいんだ……」
炭酸を買ったら飲めないと言われるかもしれないし、水を買ったらジュースがいいと言われるかもしれない。
心配性の八瀬は、綾瀬に電話をかけた。
コール音が三回繰り返されたあと、綾瀬が電話に出た。
『もっ、もしもし』
「先輩、飲み物何にします?」
『え?えーと…お茶でいいよ』
「わかりました」
『……うん、よろしくね』
「先輩、元気ないですが大丈夫ですか?」
『え?だ、大丈夫…』
すると電話の向こうから男の声が聞こえた。
『凛ちゃんー長いよ電話ー』
「…誰ですか?」
『……中学校の…っ。』
『友達だもんなー』
『なーー!』
そう言われても、声のかけ方と綾瀬の態度は友達に対するものでは無い。
男は二人か三人いるらしい。
過去に何かあったのか、綾瀬は『ちょっと待っていて下さい、もう終わりますから』となだめている。
「…先輩、急いで帰ります。何も言わないで通話を切ってください。」
『え?でも…』
「では僕が切ります。絶対にそこにいてください」
そう言って通話を切った。
お茶を一本買って中華街を走る。
人混みがすごくて思いっきり走ることは出来ないが、なるべく行きよりも早く着けるように急ぐ。
人混みの中で、さっき分かれた小籠包のお店に着いた。
綾瀬は店の中にはいなかった。
「綾瀬先輩…っ!」
「八瀬…くん…」
見ると、隣の店との間の細い路地のようなところに男と一緒にいた。
綾瀬は肩を組まれてニヤニヤと笑われている。
いるのは男二人。
「すごいね凛ちゃん。態度も胸もでかくなって。」
「やめて!触らないで!」
綾瀬が抵抗して腕を振り払うと、我慢が出来なくなったのか「てめぇ……っ!」と拳を振り上げた。
途端に八瀬の足は動き、綾瀬の前に走り込んで拳を腕で受け止める。
そのままスライドして相手の手首を掴む。
「触んな」
「な…っ!誰だよお前!話入ってくんな!」
「綾瀬先輩に近付かないでください。迷惑がってんのわかんないですか?」
「そんなことないよねー凛ちゃん」
手首を掴まれていない方の男が言った。
だが、綾瀬は動けないほど、返事ができないほど怖くなっていた。
「……なんだよつまんねぇ…」
「さっさとどっか行ってくれませんかね?」
そう言うと、拗ねたように歩きながら文句をブツブツ言って帰って行った。
「はぁ…」
ため息をついて振り返ると、綾瀬がしゃがみこんでいる。
息が苦しいのか、軽い過呼吸になっていた。
細い体を細かく震わせて、涙目になっている。
目線を綾瀬に合わせてしゃがみ、背中をさすってあげる。
「もう大丈夫ですよ。立てますか?」
腕を掴みながら八瀬だけ立ち上がり尋ねると、俯いたまましゃがんでいる。
どうしようかと考え出した途端、綾瀬が立ち上がって急に抱きついてきた。
「せっ、先輩…っ!?」
肩を掴んで少し体を離し、顔を覗くと今にも泣きそうだった。
「……泣いていいですよ」
体を離した事に罪悪感を感じて体をもう一度引き寄せると、綾瀬は年上だとは思えないほどに泣いた。
「怖かったよぉ……!!ありがとう…ありがとう八瀬くん…っ、ごめんっ…ごめんねっ……」
「何故、綾瀬先輩が謝るんですか?」
「……っ…え…?」
「悪いのはあの人たちです。だから謝らないで。ね?」
そう言うと、綾瀬は寄りかかっていた体を起こして、涙を拭いた。
赤くなった鼻は少し幼く見える。
「……うん、ありがとう…っ」
少し収まったのを確認して、手を引っ張る。
後ろを向きながら歩いて、綾瀬に話しかける。
「とりあえず、ここから離れましょう。水族館に行こうと思っているので…」
「水族館!?」
綾瀬は水族館に行く事に驚いたのか目を見開いて、その後目を輝かせた。
ぴょんぴょん飛びながら「水族館行くの!?」と嬉しそうに横に並んだ。
「元気になるの早いですね…」
「だって水族館行ったことないんだもん!」
「え?行ったことないんですか??」
「うん!だから初めて!めっちゃ楽しみ!まさかイルカショーとか?触れ合えたりする??」
さっきまでの涙が嘘のようにはしゃいでいる。
「はい、そのまさかです」
「わぁーーい!!!」
子供に戻ったように喜ぶ顔を見て、少しだけ面白くなってしまった。
「では、移動時間もあるので急ぎましょう。小籠包は美味しかったですか?」
「食べてないよ」
さりげなく聞いたつもりが、綾瀬の言葉に一瞬立ち止まってしまう。
「食べてないんですか?あの人たちのせいで?」
「ううん、一回お店の中に入ったんだけど、出た。」
「何故です?というか、今から買いに行きますか?」
足の方向を逆にすると、前に綾瀬が両手を広げて止まった。
「ストップ!大丈夫だから!」
「でも……中華街なんて滅多に来ないでしょう」
「また今度、二人で来てくれる?」
「え?…いいですけど…」
綾瀬の誘いに少しだけ戸惑うが、楽しい人と一緒に出かけられるのなら別にいくらでも出かける気になれる。
「…ほんと?」
「はい」
「じゃあいい!水族館行きたいし!早く行こ!」
「あっ、ちょっと!!」
手を引っ張られて小走りで追いつくと、綾瀬はふんわりと笑った。
まだ涙が残っている紅色の目を見てキュンと胸が締め付けられる。
少し胸が鳴ったのは気のせいだ。
すぐに気持ちに上書きをして歩き出す。
電車の時間を二人で確認してから、また走り出した。