「こんばんは」


「・・・お待たせしました」



あのジジィ謀りやがった



待ち合わせた5時に一階のロビーで待っていたのは院長の息子の岳也《たけや》先生だった


だからといって断るのは悪いから
ここは大人の対応をする


月曜日、院長に山盛り嫌味を言ってやろう
固く心に誓って背の高い岳也先生の後を歩く


車寄せに止められた国産ハイブリッド車の助手席に乗せられて


走り出した車の中は
控えめなクラシックが流れていた


「咲羅先生、好き嫌いはありますか?」


「・・・特にはありません」


え?蟹じゃないの?蟹よね?
どうか、蟹だと言って


内心穏やかじゃないけれど
蟹で釣られたんだから蟹を食べさせて、とも言えず

モヤモヤする胸をそのままに
穏やかな岳也先生のお喋りに耳を傾けていた


「咲羅先生」


「ん?」


「親父に言われて来たんでしょ?」


「ええ、まぁ」


「嫌だったら断ってくれて大丈夫だからね?」


「・・・フフ、はい」


「え?僕、なにかおかしなこと言ったかな?」


「いいえ、ただ、今日は院長との食事だと思っていたので
断るもなにも、ね?」


「えーーーっ、そうなの?
なんだよ親父、咲羅先生OKだって聞いたのに」


「ま、院長の謀りごとは置いといて
食事に行くのは嫌じゃないので大丈夫です」


「ありがとう、咲羅先生」


うちの兄と同級生の岳也先生は、良い意味のお坊ちゃんだから
きっと紳士的な振る舞いをしてくれるだろう


誰かを好きになることはないけれど
前に進むと決めたからには、私もそろそろ変わらなければいけない


胸を焦がすような恋はしないけど
穏やかな関係を求めても良いのかもしれない


その為の手段なら


院長の謀りごとにも


乗るしかない


「此処です」


見覚えのある古民家風の店は


「・・・っ!!」


念願の蟹専門店だった


いや〜院長、ジジィって言ってごめんね?
月曜日は山盛りのお礼を言わなきゃね


分かりやすくテンションを上げた私を

いつも穏やかな岳也先生はスマートにエスコートしてくれて


綺麗な花が生けられた個室に案内された後は


お喋りに耳を傾けることなく蟹に集中した