『浮気すんなよ』





いつかの翔樹の声が、耳の奥で鮮明によみがえってきてハッとする


・・・私、何してんだろ


“仮”だとしても

私には彼氏がいる


だから・・・
此処に居るべきじゃない


「ごめんなさい
輝大さんとは結婚できません」


抱きしめ過ぎてハリを無くした花を目の前のテーブルに置く


サッと立ち上がった私を隣に座る輝大さんの手が止めた


「咲羅ちゃん?」


テーブルを挟んだ向かい側から
支配人と名札のついた男性も突然立ち上がった私を見つめている


・・・私の居場所はここじゃない


掴まれた腕を引き離して丁寧に頭を下げると部屋から飛び出した


「咲羅ちゃんっ」


焦った輝大さんの声に振り返ることもなく


駆け抜けた先に目当ての車が止まっていた


「ーーーーーーまで」


「かしこまりました」


シートに深く腰掛けると
視界の隅に走り出てきた輝大さんの姿が見えた


「お急ぎですか?」


「はい」


大聖堂に入るアーチの前に
止まっていたタクシーは

この街でよく見かける深い緑色
今の私にはカボチャの馬車にも思えた


1分、いや・・・1秒でも早く
そう願う私の気持ちに味方するかのように


タクシーは渋滞に巻き込まれることなく
変わらないその家に到着した


支払いを済ませてタクシーを降りると
並ぶ家族の車の中に、いかにも、な車が見えた


・・・もしかして


その予感に急かされるみたいに飛び込んだ玄関に
私の顔を見て驚く母が立っていた


「あ、なた、どうして?
輝大さんは?」


瞬きを忘れたみたいに目を見開いたままの母の質問に答えることなく

靴を揃えることも忘れて走った先の襖を勢いよく開いた


「・・・っ」


「随分な登場じゃない?咲羅」


お庭が見える此処は
来客用にと作られた茶室も兼ね備えた部屋で


床の間を背に座る祖母は
向かい側に座る予測通りの人達より
鬼のような形相をしていた


「あなたには関係のない話をしているから
今すぐに出て行きなさい」


威圧的な声に一瞬怯むけれど
引き下がる訳にはいかない


「寧ろ、私にしか関係ないと思いますけど」


「・・・な」


初めての反抗に


鬼の仮面が僅かに揺らいだ