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 今日の天気は朝から雨。

 でも、来館者が少ないのは雨のせいじゃない。これが普通、日常的。

 この図書館はやたら来館者数が少ないのだ。

 それは何故か。理由は沢山あって……

 一つ目。街の中心部には、ここよりはるかに大きい市立図書館がある

 二つ目。町のはずれ、しかも丘の上の私立図書館は利用には不便

 三つ目。置いてある本がマニアック(成瀬さん談)

 と、こんな感じなんだけど、私はやっぱり決定的な理由はこれだと思う。

 四つ目の理由。

 幽霊が出るともっぱらの噂


 図書館と隣に建つ住居の屋敷は、大正時代に建てられた洋館というアンティーク度の抜群さ。外観も内装も歴史の重みを受けてかなり雰囲気がある。

 だから、丘の上に人目を避ける様に建つ古い洋館――しかもそこには幽霊が……という噂がついてまわれば、避けられるのも納得かな。

 実際、私も初めてここを見た時は空気に圧倒されて言葉が出なかったし。

 ただの噂でしょ、そう言って笑う人は少なくない。ここに来る利用者の大半が“そう”だ。

 彼らは、噂だと思っているからこそ来る。



 雨は相変わらず降り続いてた。

 微かな雨音が、私の居るカウンターにも届く。

 成瀬さんが淹れてくれた紅茶で休憩した私達は、再び午後の静かで暇な時間から逃れる為に、お互いの作業に戻ることにした。

 成瀬さんは二階の司書カウンターへ。

 私は解読難のリストとにらめっこしながら貸し出しカウンターに。

 あまりにも難しい読書のせいで眠気と戦っていたその時だった。

「すみません」

 女性の声が頭上でする。

 いけない。戦ってた筈がいつの間に負けて居眠りしてたみたい。誰かが来館したのに全く気付かなかった。

 はっと我に返った私は顔を上げた。

「………あ」
「【ヴァッサーゴの隻眼】を探してるんです」

 目の前には俯いた女性。人が苦手なのか、私とは目を合わさず立っている。

「【ヴァッサーゴの隻眼】を探してるんです」

 彼女はもう一度同じ事を言った。
 雨の中やってきたその女性は、全身びしょ濡れだった。

「あの……大丈夫ですか? 傘は――」
「…………」
「寒くないですか?」
「…………」

 うーん……

 無言の女性に、しかたなく館内案内図を取り出してカウンターに広げる。

 私がそれを指さすと、女性も長い髪を揺らし近づいてきて案内図を覗き込んだ。

 雨の香りが女性からした。……濡れた土の香り。

「二階の一番奥、司書カウンターがありますからここへ。うちの司書がご案内します。すみません、私新人でまだちゃんとご案内出来ないものですから……」
「……二階……司書……」

 カウンターの上にパタパタと滴が落ちる。

 自分の髪から落ちる水を気にもせず、女性は単語を繰り返した。

「………あの」

 その状態で行くつもりなのかな? と私は困ってしまう。

 長いスカートからも滴は落ち続け、床だってすでに相当濡れてるっていうのに……図書館中を水浸しにするつもりだろうか、この女性は。

「ちょ、ちょっと待ってください。今タオルを……」

 奥の事務室に確かあったはず。

 私は女性に声を掛け、タオルを取ろうと事務室へ振り返る。

 でも、その瞬間背後で声を聞いた。女性の「二階……」という呟き。

 低く抑揚の無い声に背筋が思わずぞっとした私は、慌てて彼女を見た。

 女性が、いない。

「……!」

 今そこにいたはずの人が消えていた。

 それどころか、あんなに濡れていたカウンターや床も濡れていなかった。

 まるで時間を巻き戻したかの様にそこは綺麗で、誰か――雨に濡れた女性がいた形跡は全く無く。一分足らずの出来事が奇妙な記憶として私に残る。

 ああ……そうか、と奇妙なそれは納得いく理由に変わった。

「また、か……」

 脱力した私は椅子に勢いよく背中を預けた。

 カウンターから見える階段を見つめて、成瀬さんはどうしてるのかと考える。

 あの女性は、私の案内通り彼のところへ行った……?

 この図書館には幽霊が出る。

 それは単なる噂でしかないはずなのに、実際ここに近寄る人は少数でしかない。

 何故か?

 多分、みんなは無意識の内に“何か”感じているんだと思う。

 ここは怖い

 ここは危険

 近寄りたくない

 そんな感じのものを。

 最初私がここを見た時感じた、言葉も出せないほどの圧倒的な重い空気を。


 この図書館には幽霊が出る。

 噂なんかじゃない。

 本当だった。

 “彼ら”はここに現れる……――。

 私がその目撃者だ。