新番組の一部コーナーでは生活の知恵や話題の商品などを紹介する。新しい番組が始まっていくらか時間が過ぎて、視聴率の低さが話題になったり、改善点を指摘されたりという感じではあったが、綾乃にとって日々は充実していた。

「中原、いつまで仕事する気だ?」

上司に気にかけられつつも、視聴率のためですよと綾乃が返せば、彼は無理をしないようにとしか言えないようだった。

夕食のデリバリーのピザを食べながら台本を書いていると、メールが1通来たことに気づく。カーソルを当てて受信メールのフォルダを開くと、哲也からのメールだった。

「春の新しいメニュー、取材したくなる味だと思うので、ぜひ都合のいい日に食べてもらいたいです。日本の山菜はイタリア料理ともとても相性がいい」

そのメールを読んで、綾乃の頭にはたけのこやふきのとう、たらの芽といった春を感じる食材たちが浮かぶ。
そして彼の作る春のイタリアン。時期的にもぴったりの話題だし、仕事としてもありがたかった。どの山菜をどのような料理に使うのだろう。家庭でも作れるようなものがあるだろうか。マンネリ化しがちな食卓にいい変化くれるといいが…と想像すると、とたんに取材したい気持ちになってくる。

同時に綾乃は自分が食べたい気持ちと、そしてやっぱり彼の顔を直接見て、声を聞きたいとも。

今週2回目のデリバリーのピザを口に押し込んで、綾乃はメールフォルダを閉じ、パソコンの画面を先ほどの仕事の台本の画面に戻す。

「とりあえず一つ片づけてからでないと。」

彼を目の前にしても冷静な対応ができるまでの時間が必要だ、と綾乃は思った。

結局綾乃がメールの返事をしたのは三日後だった。でも約束はしなかった。ただ「また連絡させてください」と、あたりさわりのない内容で返した。

とりあえず今週の収録が終わったら、もうちょっとマシな連絡をしようとは考えていた。哲也のプライベートがどうであれ、自分はこれからも番組を作っていかなければならない。有名シェフの力を借りたい場面は絶対にあるはずなのだ。

それなのに、少し関わりすぎたのかもしれない。
一緒に食事なんてして、お互いの昔話や歩いてきた道のりについて話して、それで目の前で自分だけに笑ってくれたら、ただの仕事仲間以上だと勘違いしたくもなる。

その週の生放送は春の和食を紹介することになっていた。
時間ギリギリまで台本と動画の編集などをして、最後の確認をしていた綾乃だったが、出演予定の割烹の料理長がスタジオ入りの時間になっても姿を現さない。
余裕をもってスタジオ入りしてもらう予定だったので、時間に余裕こそあるものの、到着予定時刻を20分程過ぎた頃だった。

「中原ディレクター、首都高で事故ですって!」

ADのいつになく焦った声でスタジオで確認していた録画VTRの画面から顔を上げた。

「どういうこと?」
「ニュース見てください。首都高で大事故なんですよ。出演予定の田口さんから連絡があって、事故に巻き込まれているって連絡が来て」
「田口さんはご無事なの?」

綾乃が食いつくように聞いた。

「お怪我などはないそうです。ただ、大型トラックが完全に道を塞いでいて、渋滞で全く車が動かないらしくて。放送時間に間に合うかどうか、たぶん厳しいと」

その言葉で慌てて綾乃は報道部に確認する。どうやら大型トラックなど複数台絡む事故の影響で、少なくとも半日は事故のあった場所は動かなそうな様子だった。

「中原、今日の収録だけど」

番組のチーフプロデューサーの声で振り向くと、周囲には事態を把握したスタッフたちがいつのまにか周囲に集まっていた。

「VTRだけでいく?」
「でも料理作ってもらう場面は必要じゃない?ゲストに味見もしてもらわないとだし」
「田口さんのレシピでアナウンサーに料理してもらうのは?」
「丸山アナがいきなり生放送でうまく料理できるかどうか…慣れない手つきでケガとかしちゃっても大事だし」

ADもチーフもみんなで必死になんとかしようと案を出すものの、結局ベストな方法はすぐに見つからない。
でも時間は刻一刻と迫ってきている。すでに収録済みのVTRを使うなどの方法はいくつか浮かぶが、生放送で出演してもらう予定の20分間を埋める何かは絶対に必要だった。

綾乃は用意されている食材を確認する。
イチかバチか。番組の責任者に相談して大まかな方向性を決める。ゴーサインをもらうと綾乃はスマートフォンを取り出して電話をした。頼りにしているたった一人の人に。