秋も中盤に差し掛かった頃、綾乃は年末に向けた番組の企画案を上司に確認してもらっていた。

「確かに、おせちだってもともとは日持ちする料理だし、主婦の味方である作り置きをイタリアンで、それから年末年始も活用できるとなれば便利そうだなあ。しかも石崎哲也出演となれば安心だし」

A4二枚に渡る企画書をぺらりとめくって眺めながらチーフプロデューサーが言う。綾乃はその好感触に手ごたえを感じて勢いよく言う。

「ですよね!ぜひこれで進めたいです」
「方向性としてはこれでいいんじゃないかな。シェフは出てくれるって?」

「スケジュール的には今ならまだ調整できると。企画案の大筋はOKをいただいていて、具体的な料理などは一緒に詰めていきたいと言ってくれています」
「そんなに協力的なんだ、石崎シェフって。」

綾乃の言葉に挨拶程度の交流しかしていない上司は意外そうな顔をした。
実際、綾乃も石崎哲也というシェフはもっと気取っていて、適当にお洒落な料理を作っているのかなと思ったが、違った。

頑固で、こだわりが強くて面倒なところもあるけれど、自分の仕事にプライドと自信をもっている。彼のおかげで綾乃が気付かされることもあるし、今回も一緒に意見をぶつけ合っていい番組にしていきたいと思っていた。

「うまくハートを掴んだわけだ」

チーフプロデューサーの何気ない言葉に動揺した綾乃はつい本気で返す。

「そんなんじゃありません!」

自分のデスクに戻って先ほどの企画案を哲也に送ろうとメールを作っていると、一連のやり取りを聞いていた智香がコーヒーを持ってきながら言った。

「でも、綾乃さんと石崎シェフって仕事の相性よさそうですよね。」

ありがとう、と言いつつ綾乃はコーヒーを受け取ると智香の言葉に対して、どうしてという顔をした。

「いや、なんとなくですけど。二人のやり取り、衝突も含めて見てると、こうやって化学反応って起きるのかなとか。うまく言えないですけど」

智香の言葉を嬉しく思いながら、綾乃は微笑む。

「それをうまく表現できるようになると来年あたりディレクターになっているかもね」
「えっほんとですか!早く私もADから抜け出したいですよ」

熱いコーヒーを啜りながらメールを作って送信すると、とたんに返事が待ち遠しくなる。仕事、仕事と思いながら、別件の作業を進めながら残業していた。
午後十時過ぎ、メールボックスの新着メールに気づく。ほんの今届いたばかりのメールだった。

「取材のご相談ありがとう。企画案詳細を拝見しました。とても興味深いです。よければ明日の夜、うちの店で軽く打合せはいかがでしょう。ディナーに招待するよ」

丁寧であり親しい感じもあり、代理人ではなく、間違いなく石崎シェフ本人のメールだ、と綾乃はすぐにわかって思わず笑みがこぼれた。メールを送ってきた時間から察するに、ちょうど今はきっとディナー営業が終わったところだ。すぐに確認して返事をくれたのだろう。

企画にも好印象を持ってくれたみたいだし、詳細を相談しつつ話を進められたらいい。綾乃はすぐにメールを打つ。

「お疲れ様です。早速のご確認をありがとうございます。明日の夜、OKです。ディナーも楽しみにしています。」

それだけ書いて送信すると、哲也からの返事もすぐに来た。

「何時まで仕事してるつもり?肌に悪い。きちんと食事をとってはやく寝るように」

メッセージを読むなり綾乃は思わず声を出して笑ってしまった。その声に近くにいたスタッフたちが何事かと綾乃のほうを見る。すみません、と綾乃は頭を下げて、もう一度メールを読み返す。

「シェフっていうか、お母さんみたい」

でも、気にかけて貰えるのはなんだかありがたく感じた。

綾乃はこっそり笑って、一言「了解」とだけメールを送って、最低限の仕事をまとめて今日は家に帰って寝ることにした。徹夜も泊まり込みも珍しいことではなかったけれど、気が付くとずるずると仕事をしていることも多かったから、思い切って帰宅するのもいいかもしれないと思った。

「さすがに帰って料理する気にはなれないけれど、きちんと食べて寝ましょうか」

言いながら、綾乃は最寄り駅のコンビニによって、いかにもバランスのよさそうなお弁当を一つ買う。いつもの適当なチョイスよりはいくらか健康的だと思いながら、肌のことを考えると、これだけでは心もとない。
お土産でもらった外国製のパックを寝る前に顔に張りながらストレッチをしていると、綾乃はなんでこんなに打合せのために肌の調子まで気にかけているのだろうと思う。

─俺は健康的な美人が好き。肌に悪い。

ふと思い出す哲也の言葉。何気ない言葉ながら、あの発言を聞いたら、肌の調子を整えたくなってしまうのが女心じゃないだろうか。

「女心?」

仰向けになってストレッチをしながら綾乃は自分に問いかける。一瞬、首を横に傾けた後、違う、と思う。女心で明日、コン・ブリオに行くわけじゃないはずだ。

「仕事よ、仕事!」

自分で自分の思考に戸惑いながら綾乃は慌てて顔のパックをはがしながら体を起こす。
明日は朝から資料作って打合せがスムーズになるようにしないといけない。いい提案ができるように準備しておきたい。彼と一緒にいい仕事がしたいのだ。

早く寝ようと布団をかぶって電気を消して綾乃は瞼を閉じる。少しでも体を休めて体調を整えるのだ。睡眠時間の確保は確かにお肌にもいいだろうけれど。

「そう、いい仕事がしたいのよ」

きちんと休養をとって体調を整えることは仕事のパフォーマンス向上にも欠かせない。
自分に言い聞かせるように綾乃は呟いて、少し騒がしい心を落ち着かせる。疲れていた体は素直に眠りについた。