午前十時から始まった番組の放送開始後、20分が過ぎて、予定通りの時刻に綾乃が担当するコーナーがスタートする。

「あたたかい日が増えて日本の春を感じる食材がスーパーに並ぶようになりました。今日は下処理や調理方法など、ちょっと悩みがちな山菜がテーマです。実は日本の山菜は和食に限らずに洋風の料理に取り入れてもおいしいということで、本日はイタリアンの石崎哲也シェフに起こし頂いております」
「よろしくお願いします」

アナウンサーの女性の説明から、哲也にカメラが映って、彼のいつも通りのさわやかな笑顔、挨拶に出演者、スタジオのスタッフの拍手の音が響く。綾乃はカメラと台本を常にチェックしながら哲也に視線を送る。若干の焦りと不安が顔に出ている綾乃に対して、哲也はごく普通の様子で料理の説明をし、手早く1品を仕上げる。

「和風でも洋風でも、ぜひ気軽に普段の献立に取り入れていただいて、日々の食事を楽しんでもらえたらと思います」
「石崎シェフ、ありがとうございました!」

アナウンサーのその声を合図に番組はCMに切り替わる。それと同時にスタジオ内はいっきに緊張の糸がほぐれた。

「おつかれさまでーす!」

カメラや音声などの各スタッフたちの声で綾乃もようやく笑顔になれた。同時に大きく息を吐いて、深呼吸をする。ようやく一息付けたのだ。

朝の予期せぬアクシデントから、哲也への連絡。突然の代打出演など無理だと言われても、綾乃はなんとかしてお願いするつもりでいた。でも思いがけず即OKと言ってくれて、電話を切ってから30分程でスタジオ入りしてくれた。

その間に綾乃は台本の一部修正して上司からゴーサインをもらい、他スタッフへの変更点の連絡と、哲也とアナウンサーと打合せをして本番。

ここまでの流れが二時間ほどと思うと、本当に綱渡りのようだった。自分でもよくやったなと、冷静になってみると恐怖感と疲れがいっきに押し寄せてくる。

視聴者の反響や視聴率などはまたこれからわかってくるだろうが、きっと大丈夫という安心感は確かだった。

急な代役を気持ちよく引き受けてくれて、そして見事にその大役を果たしてくれた哲也に綾乃はスタジオから控室に向かいながら、改めてお礼を言った。

「今日は、本当にありがとう。もう本当にそれしか言えなくて」
「役に立てることがあってよかった。」
「あなたじゃなければダメだったと思う」

何気ない言葉だったが、綾乃は自分でもなんだか情熱的な言葉を発した、と思って少し恥ずかしくなる。
哲也の穏やかに笑ってよかった、と言う。

綾乃は送迎車の手配をするからと控室の前で言うと、彼は少しの間、何かを考えたようにしていた。車の手配は不要かと思って綾乃が首を傾げると彼が言った。

「今日この後、時間は?」

唐突な彼の言葉に驚きながらも、綾乃は彼が言わんとしていることがわかる気がして、つい笑った。
いい仕事をした後、一人で乾杯してもつまらないのは、お互いによく知っている気がした。

「ちょっと事務作業があるの。それが終わってから…そうね、夕方以降なら大丈夫」

その言葉に彼は笑って、午後七時にコン・ブリオへと言った。ディナーを用意しておくよと。
綾乃もまた笑って、了解、と言った。