その夜。
早速マスコミの言った通り、涼太と鈴菜の記事がSNSを騒がせていた。
どこで撮っていたのか、涼太と鈴菜が並んでいる写真が上がっていた。
鈴菜の方は顔にモザイクがあった為、誰かにバレることはないと思いたいがこのSNS社会である。
油断はできない。
記事を読んだ人達は、あるものは「涼太君に彼女なんて信じられない!担降りします!」という人や「杉谷涼太って誰だよw」からの「え、カッコイイかも…推そうかな」という人まで様々な反応があった。
鈴菜もフォロワー達と涼太を今後推していくか、いかないかで議論していた。
鈴菜は冷や汗をかきながら、フリック入力をする。
(私ってバレませんように…私はそもそもこれから推していくかいかないか以前に、スキャンダルの相手だし…でも恋人のフリって一体何をすればいいんだろう?デートとか?って最後にまともに男性とデートしたの何時だっけ?)
様々な思考が頭の中でグルグルしていた。

そして次の日-
ピピピ…
「うぅ…」
アラームの音で鈴菜は目を覚ます。
今日は月曜日。
OLの鈴菜は出勤する日だった。
「あー早く準備しないと」
発言とは裏腹に、まだ眠たげな目でスマホをいじっていると
【おはよう!武内(たけうち)さん!よく眠れましたか?】
「嘘!涼太君からだ…」
鈴菜は慌てて起き上がる。
「そうだ。昨日恋人のフリをして欲しいって頼まれて、それで連絡先交換して…」
なんだかまだ夢の中いるのような…
「えっと…とりあえず返信しないとね!でもなんて返そう…」
鈴菜はしばらくスマホを握ったまま、考えていたが中々思いつかなかった。
「あーどうしよう。もう時間ないのに」
鈴菜はベッドから起き上がり、しなければならない朝の準備を始めた。

鈴菜は満員電車の中で、必死にフリック入力をする。
【杉谷さんもおはよう】
結局散々悩んだ末、こんな当たり障りない、会話の広げようがない文面しか思いつかなかった。
普段涼太君と呼んでいる人を杉谷さん呼びするのは違和感があったが、向こうが苗字で返してきたのだからこっちもそうすべきだろう。
(それにしても…本当に涼太君と連絡先交換したんだ…)
様々なことに実感がないままだった。
(あ、涼太君から早速返信きた)
【朝、結構遅いんですね。そうそうところで今週の木曜日の夜って時間ありますか?】
(え、これって…)
デートの誘いだろうか?
(いやいや、いくら恋人のフリをして欲しいっていったってこんなデート?までする?)
それとも単純に何か大事なことがあって、直接話したいとかそんなことだろうか。
(木曜日の夜に限らず毎晩暇してるけど…)
家に帰ってすることとすれば、涼太が出演している舞台のDVDを何回も観てはSNSではしゃくか、フォロワー達と涼太の魅力について語り合うぐらいだった。
(生身の涼太君に会えて、しかも向こうから誘ってもらったなんて…)
フォロワー達が聞いたら、人によっては裏切り者として嫌われてしまうレベルのことだ。
(どうしよう…これって会うべきなのかな。そりゃあ私としては会いたいけど…)
昨日は驚きのあまり涼太のことをよく見れなかった。
もう1度会えるのなら、願ったり叶ったりだ。
(よし…)
電車が鈴菜の職場の最寄り駅に到着した。
【空いていますよ〜】
と返信をして、鈴菜は電車を降りた。

そして約束の木曜日。
時刻は17時を少し過ぎたところだった。
いつものようにパソコンに向かってタイピングをしていると
「おお、武内どうした?今日はやけにめかしこんでないか?」
上司の日比谷雅人(ひびやまさと)に話しかけりて、鈴菜の動きがピタリと止まり、顔を上げる。
鈴菜が務めているのは、従業員が100人ほどいる会社だった。
その中でも雅人は、職場ナンバーワンのイケメンと知られていた。
入社当初は、雅人が上司だなんて羨ましい!やどんな人がタイプか聞いてきてなど同期に言われたものだ。
「ええ!そうですか?」
「ああ、今日いつものメイクじゃないだろ」
「そ、そうですけど…」
(意外とよく見てるんだな…)
「お、さてはデートだな」
「違いますって!」
「まあまあそう言わずに、楽しんでこいよ」
とだけ言うと雅人は自分の席に向かって歩き出した。
「だから違いますって!」
鈴菜の訴えは聞こえなかったようだ。

「お疲れ様でしたー。お先に失礼します」
定時になり、いつもよりも元気よく職場から出る。
スマホを確認すると、涼太からメールが来ていた。
【お疲れ様です!駅の西口で待ってます。気をつけて来てください】
(西口かー)
鈴菜は西口へ向かって歩き出す。
涼太と初めて会ったのも西口だった。
(まさかまた会うことになるなんてね…)
今回は一体どんな用件で、会おうだなんて言ってくれたのだろうか?
(しょ、食事とかかな…付き合うってそういうことだよね…?)
そんなことを考えているうちに西口へ到着した。
どこにいるんだろうと探さなくても、背の高さと身体のライン、マスクをしていてもわかる顔の小ささですぐに涼太だとわかった。
「杉谷さん、お待たせしました」
「ああ武内さん、お疲れ様です。ってよく俺ってわかりましたね」
「え、ええまあ…」
(長年遠くから観劇してきてますから…)
「今日は俺のために時間を割いてくれてありがとうございます。先日のバッグの弁償をしたくって」
「そんなの私のセリフです。こちらこそありがとうございます。って弁償?」
「はい。俺のセーターが武内さんのバッグの金具に絡まってしまったでしょう」
「ああ、そういえば」
あれから帰って糸を解いて、今ではもう絡まってなどいなかった。
「だから弁償させてください」
「いえいえそんな私の方こそ」
セーターをダメにしてしまったのだから、弁償するのはこちらの方だろう。
「気にしないでください。あんなセーター、ノーブランドの安物ですから」
「私のバッグの方こそ…」
「まあまあこういうのは男の俺が弁償させてください」
「でも…」
「じゃあ、いつも仕事を頑張っているご褒美としてプレゼントさせてください」
「そんな頑張ってるだなんて…」
(私が頑張れているのはあなたのおかげです!)
言うべきか悩んだが心の中で留めておいた。
「杉谷さんのほうこそ頑張ってるじゃないですか」
「俺はまだまだですよ。それじゃあ行きましょうか」
涼太は歩き出す。
鈴菜もそれについて行く。

「ここのお店なんてどうでしょうか?」
「ここって…」
鈴菜世代にとっては憧れの的とされているブランド、PINKYCAT(ピンキーキャット)だった。
「ここならいいバッグがあると思うので」
「で、でもここのバッグって…」
可愛らしい見た目に反して、お値段は全く可愛くないことでも有名であった。
「ほらいいから行きましょ行きましょ」
鈴菜は涼太に背中を押され、お店の入口にあるふかふかの絨毯を踏んだ。
「いらっしゃいませ」
イケメンのドアマンに声をかけられて萎縮してしまう。
「本日はどのようなものをお探しでしょうか?」
続いて美人の店員さんがニコニコとこちらへ近づいてきた。
涼太は鈴菜の肩に手を置き、
「彼女になにかバッグと思って来ました」
(か、彼女…)
その響きに一々反応してしまう。
この彼女は恋人としての彼女ではないのはわかっていたが、それでもつい反応してしまう。
「かしこまりました。こちらなんていかがでしょうか?今シーズンの新作でして」
と紹介されたバッグは確かにとても可愛らしかったが、相変わらずお値段が…
「素敵なバッグですね。どう、鈴菜?」
(い、い、今鈴菜って…)
「え、えっと…」
名前を呼ばれたことに感動して、バッグに対しての感想を言う所ではなかった。
「他のを見せていただけないでしょうか?」
気に入らないのかと察した涼太は、店員に声をかける。
「かしこまりました。ではこちらはいかがでしょうか?」
「これはどう?」
涼太がこちらの顔を覗く。
初めてしっかりと目が合った。
「…っ」
(顔が良すぎる…)
鈴菜はマスクをしていてもわかる、あまりの顔の良さに硬直してしまった。
顔が良いだなんて観劇をしてて、何10回、何100回と思ってきたことだった。
SNSにも何回も呟きを投稿していた。
それなのに至近距離で見つめられると、もうダメだった。
顔が良い以外の言葉が見つからなかった。
「鈴菜?」
涼太は不安げに鈴菜を見つめる。
トドメの名前呼びで、もう鈴菜はただただ頷く事しかできなかった。

「今日は本当にありがとうございました」
鈴菜は座ったまま深々と頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ」
涼太は余裕そうな顔で、コーヒーを1口飲んだ。
結局あの後は使い物にならなくなった鈴菜を他所に、涼太がバッグを選んでプレゼントしてもらった。
そして今は駅ビルのカフェへ来ていた。
「早速明日から使わせていただきます。あ、でも職場になんか持っていったら浮いちゃうかな」
薄給のOLが持ってるには、信じ難いブランドだ。
「そんなことはないと思いますよ。武内さんによくお似合いです」
(あ、武内さん呼びに戻ってる…)
鈴菜は少しガッカリしながら、しかしそれを顔に出さないように明るく
「そうでしょうか…じゃあ観劇に行く時だけ持っていきます」
それはそれで浮きそうな気もしたが、職場に持っていくよりはいいだろう。
「ありがとうございます。今やってるミュージカルのチケットってもしかしてまだ持ってるんですか?」
「い、いえこの前の1枚だけで。でも来月からやるのはチケット持ってます」
「そうだったんですね。どうでしたかミュージカル?」
「もうもう最高でした!特に涼太君の顔の良さ!歌の上手さ!演技力の高さ!原作をよくよく読みこんでくれて毎回SNSに原作の単行本を載せてくれてるあたりとか!原作ファンも嬉しいだろうし!涼太君のファンとしても誇らしくってたまらないです!他にも…うっゴホッゴホッ…」
「大丈夫ですか?そんなに一気に話さなくても」
涼太はクスリと笑う。
「すみません…つい興奮しちゃって…」
「いいんですよ。鈴菜さん」
「え?」
もう1度呼ばれた自分の名前にときめく。
「俺もさっきついお店で、名前呼び捨てにしちゃいましたしね」
「あれはその…」
「嫌でしたか?」
「嫌だなんてそんなことないです!」
思わず立ち上がりそうになるのを抑える。
「よかったです。じゃあお互い名前呼びにしましょうか」
「そ、そ、そうですね〜あはは…」
鈴菜は誤魔化すように烏龍茶を飲む。
「ついでに敬語もなしにしちゃいますか」
「っ…ゴホッゴホッ…」
烏龍茶を吹き出しそうになってしまった。
「ってそれはさすがにですよね」
「い、いえ、できればその…砕けた感じで話していきたいです」
「じゃあそういうことで、改めて宜しくね鈴菜」
「う、うん…こちらこそ…」
(涼太君とタメ口で話せるなんて…しかも鈴菜呼びがデフォ…)
鈴菜は心の中のSNSに、感動と興奮を書き殴った。
「じゃあ今日はここでお開きにしよっか」
と、さりげなく伝票を持って席を立つ。
「あ、私の分…」
鈴菜は財布を取り出そうとすると
「ああ、いいよそんなの気にしないで」
「でも…」
あんな高いバッグまで買ってもらって、ここも奢ってもらうなんて申し訳なさすぎた。
「ここぐらいはせめて自分の分を払わせてよ」
「大丈夫だって、俺、他にお金使うところないし」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「とにかく俺に払わせて。っていうかカッコつけさせてよ」
「…っ。そこまで言うなら…」
鈴菜は渋々財布をしまう。
「うん、ありがとう。それじゃあ行こっか」
「うん」
鈴菜も席を立ち、涼太の後を追った。

「はぁ〜…」
鈴菜は自宅のベッドにダイブする。
「今日は…色々あったな…」
憧れの推しとデート?をして、ブランドバッグを買ってもらって、カフェも奢ってもらって…。
「彼女か〜…」
今日のはとてもデートっぽかった。
こんなの久しぶりだった。
と、涼太からメールが来た。
【今日はありがとう。もう家に着いたかな?】
「はぁ…どこまで私の推しは人間ができているんだろう…って彼氏?でいいのかな」
結局恋人のフリをしてほしいと言われたが、なにをしていいのかわからないままだった。
「このままでいいのかな…でもフリなんだからこんなもんか…」
今日買ってもらったバッグをちらりとみる。
「来月の観劇が更に楽しみになったな」
来月鈴菜が行くミュージカルで、涼太は準主役ポジションではあったがそれでも舞台に出てくれる。
「それだけで嬉しいよ…それまで仕事頑張ろっと」
鈴菜は返信をして、入浴の準備を始めた。

そしてミュージカル公演の日。
あれから涼太とは当たり障りのないやり取りが続いていて、会うことはなかった。
SNS上でもスキャンダルの件はすっかり落ち着いてきて、SNSのフォロワーたちからも、もう何事も無かったかのようになっていた。
(約1ヶ月振りに涼太君に会えるんだ…)
鈴菜はスマホを片手に今の心情を呟こうとすると
「ちょっとぉ〜、そこのあなたぁ〜」
「は、はい」
甘ったるい声で話かけられて、振り返ると絶世の美女が腕を組んで仁王立ちをしていた。
彼女の名前は早乙女姫華。(さおとめひめか)
早乙女財閥のご令嬢で、涼太の後輩であり、今回の舞台の主演である金汰壱魔琴(きんだいちまこと)のガチ恋勢であり、同担拒否過激派でもあった。
周りにいるとりまき達も魔琴のファンであり、姫華の圧力に負けて渋々ファンを辞めたフリをしている人達だった。
姫華を慕っているフリをしていれば、魔琴に対しての応援も比較的多めにみてくれたためそうせざる得なかった。
プレゼントボックスに1000万相当の金の延棒を入れたり、SNSでも同担と喧嘩して炎上したりと色々お騒がせな人だった。
関わるとろくな事がないだろう。
そう思ってた鈴菜は、極力接点を持たないようにしていた。
「あなたですわねぇ〜涼太様の恋人はぁ〜」
「えっと…」
遂に身バレする日が来てしまった。
鈴菜はどうしようかと頭を回転させる。
「とぼけてもぉ〜無駄ですわぁ〜。早乙女家のぉ〜特定班の力はぁ〜凄いんですからぁ〜」
まさかあの画像から、涼太と付き合っている人は鈴菜と特定したのだろうか。
しかし早乙女姫華だったらそれが可能だろう。
かつてはSNSに上がった、魔琴の写真から着ている服やアクセサリーを誰よりも早く特定していた。
現在では姫華がプレゼントした服以外を着ていると、その服は着るなと魔琴の事務所にクレームの電話をするそうな。
そんな噂が流れていた。
そのせいで最近の魔琴の服装は、まるで相当稼いでそうなホストのような全身ブランド品になっていた。
「そうよ、ちょっと美人だからって調子に乗らないでくれる?」
「そうよそうよ!」
周りのとりまき達が口々に罵倒してくる。
「はぁ〜?皆さん、なに仰っているのぉ〜?姫華の方がぁ〜明らかにぃ〜可愛いでしょぉ〜?」
(え?そこなの?)
「あ、はい。そ、それはもちろん姫華様の方がずっと可愛いんですけど…」
「ほ、ほら、一般の人にしては〜美人の部類かな〜って話です」
とりまき達が必死にフォローしている。
「ふん!まぁ〜いいですわぁ〜。それでぇ〜お付き合いの件ですが…」
「俺の女になにか用ですか?」
涼太は鈴菜の肩に腕を回す。
(俺の女…!)
「あらぁ〜涼太様ぁ〜…」
「うっそ、杉谷涼太…本物?」
「生の杉谷涼太、顔ちっさ、ってかほっそ…」
「カッコイイ…」
とりまき達や騒ぎに集まってきた人達が次々と絶賛しているのを、鈴菜は心の中で同意をしながら、頷くのを我慢していた。
「その様子ですとぉ〜、お付き合いの件はぁ〜本当なんですわねぇ〜」
「はい」
涼太は淡々と答える。
姫華は髪を指に巻き付けながら
「まあぁ〜姫華としてはぁ〜カンケ〜ないお話なんですけどもぉ〜。魔琴様とぉ〜涼太様のお写真がぁ〜アップされるのがぁ〜減りそうなのがぁ〜嫌だなぁ〜と思っていただけですわぁ〜」
魔琴と涼太はプライベートでも仲が良く、頻繁にSNSにツーショット写真を上げていた。
「それは心配いりませんよ。恋人がいようがいまいが、仕事に差し支えるようなことはするつもりはありません」
「だったらぁ〜構いませんけどぉ〜」
姫華は髪の毛を弄るのをやめると、鈴菜を見る。
自分に向けて、なにか厳しい言葉が掛けられるのかと思った鈴菜は身構えると
「せぇ〜ぜぇ〜、頑張ってくださいましぃ〜。行きますわよぉ〜皆さん」
とだけ言い残して、とりまき達と去っていった。
と同時に物凄い勢いで、人が集まってくる。
「行ったか…」
涼太は鈴菜の肩に腕を回すのをやめる。
「あの…助けてくれてありがとう…もう楽屋に戻った方がいいかと…」
「そうだね。そうするよ。でも危ないところだったね」
「う、うん…」
「きゃー、涼太君こっち向いてぇ〜」
「生の涼太君、顔良すぎでしょ…」
「尊い…」
更に人が集まってきた。
「じゃあ、俺は戻るよ。またね」
「う、うん。舞台楽しみにしてる」
涼太は人混みを避けながら、関係者入口へ消えていった。
「ちょっと、涼太君の彼女って鈴(りん)ちゃんだったの?」
普段SNS上で仲のいいフォロワーである、桜子(さくらこ)が駆け寄って話しかけてくる。
「う、うん…実は」
鈴菜は事情を説明すると
「嘘…そんなことがあったんだ…」
「私もまだ信じられなくって…」
「あの子何者なの…」
「涼太君の彼女ってあの子だったんだ…」
「えーなんかがっかり。確かに美人だけど、もっと一般人って言っても業界関係者かと思ってた」
「ねー…」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
「もう中、入っちゃおうか」
「う、うん…そうだね…」
気を使ってくれた桜子と共に、鋭い視線を浴びながら舞台の中へ入っていった。

「さてと、この席で合ってるよね」
「うん、桜子ちゃん、そうだね」
今回は桜子と2人で応募して、当選していたため隣の席だった。
席に着いた2人だったが、それでも冷ややかな視線は消えなかった。
「今日の舞台も楽しみだね。当選してくれてよかった〜」
桜子が何事もなかったかのように、優しく声をかけてくる。
「そうだね…」
鈴菜は周りの視線が気になって仕方なかった。
(早く開演してくれないかな…)
チラリと時計を見ると、まだ20分以上時間があった。
「ほら鈴ちゃん!昨日のアニメ見た?あれめっちゃ神展開じゃなかった?」
「ああ、そういえば…」
昨日、SNSで桜子と盛り上がった話題だった。
「もうあそこでエンド流すスタッフもやるよね〜。わかってるわ〜」
「ねー…」
(私といると桜子ちゃんまで被害受けちゃうんじゃ…)
会話に花を添えたいのは山々だが、気になることが多すぎる。
「鈴さんでよろしかったですよね?」
「あ…はい」
30代ぐらいの女性に声をかけられた。
こちらの名前を知っているということはSNS上で、知り合いかなんかだろうか。
1度も会ったことがないが、仲良くしているフォロワーなんて沢山いた。
「ちょっと辞めなって〜。気持ちは分かるけどさ〜。さっき早乙女姫華が釘刺してたじゃんか〜。そっとしときなよ〜」
隣にいた、同じく30代ぐらいの女性が囁くように窘める。
しかしそんなことは気にすることなく
「涼太君と付き合っているそうで?」
と、冷たく言い放つ。
「は、はい。い、一応…」
鈴菜は小さくなって答える。
「いいご身分ですね。涼太君を独り占めするだなんて」
「…」
「なにか言ったらどうなんです?」
さっきよりもキツい口調で鈴菜に問う。
(付き合っているっていってもフリなわけだし、なんて答えたら…)
「ほら〜、2人にも何かしら事情があるんだって〜」
「そうですよ!鈴ちゃんと涼太君のことで気になるのはわかりますが、そっとしておいてください」
桜子がすかさずフォローに入る。
「まあ、本人も黙りですし、もういいです。早く別れてくれることを心から願っています」
とだけ言い残して、何事もなかったかのように去っていった。
「大丈夫だった?鈴ちゃん?」
「うん…ありがとう、助け船出してくれて」
「ううん、そんなの気にしないで。あ、そろそろ開演の時間だね」
「ホントだ」
桜子と鈴菜は姿勢を正す。
舞台開演のブザーが鳴った。

(あれ、今日の舞台…)
「ねぇ、鈴ちゃん」
桜子が小声で声をかけてきた。
「なぁに」
鈴菜も小声で話す。
「なんか今日の涼太君、いつもより気合い入ってない?」
「だよね。私も思ってた」
それは涼太推しではない、桜子にも伝わっていたようだ。
主演は魔琴だが、その座を奪うかのようないつもには無い迫力があった。
動きにもキレがあり、思わず主役よりも目で追ってしまう。
(もしかしてさっきの発言の効果?)
仕事に差し支えるようなことはするつもりはありません。と言っていたのが頭にチラつく。
「涼太君…」
鈴菜は自分のスカートの裾をギュッと握り締める。
あの発言はその場を宥めるために言ったのではなく、本心からだったのだろうか。
(だったら私もそれに答えないと…)
フリではなく本物の恋人になれるように。
その隣に立つに相応しい自分でありたい。

「今日の舞台もよかったね〜」
桜子がにこやかに声をかけてくる。
「ね〜」
鈴菜は吹っ切れたように明るく答える。
「このあとどこか行かない?」
「ごめんね、ちょっと用事があるから今日はもう帰るね」
「そっか、わかった。またね〜」
「うん、またね〜」
桜子と別れると、鈴菜は早足で書店へ向かった。
(資格の勉強しなくっちゃ…)
鈴菜には持っていると、今の仕事で優位になる資格があるのを知っていた。
しかし中々勉強する機会がないと、尻込みしていた。
(今こそ資格の勉強するべきでしょ!)
涼太に相応しい彼女になるために。
プレゼントしてもらったバッグが似合う女性になるために。

「これ、お願いします」
鈴菜は書店のレジにいる店員に、元気よく参考書を向ける。

帰宅後。
鈴菜は早速買ってきた教本に目を向ける。
やはりどれも難解で、つい目を背けたくなってしまう。
「でもでも、涼太君に釣り合う彼女になるんだから頑張らないと。あー今日の舞台、本当に涼太君がかっこよかったなー。かっこいいなんて言葉じゃ足りないくらい」
ちらりと時計を見ると、教本と格闘してからもう3時間が経っていた。
「す、少しぐらい息抜きもいいよね…」
鈴菜はどこか後ろめたい気持ちでスマホを弄る。
「あ、涼太君からメール来てる」
鈴菜は何気なくタップすると
【どうだった?俺の本気。ちゃんと伝わったかな?ところで今度会えない?】
「っ…これって…」
やはりさっきのは勘違いじゃなかったと確信付けられる。
「しかもまた会いたいだなんて…」
今度はなんの用だろうか?
いや、そんなことよりも涼太は鈴菜に対して本気で付き合おうとしている。
「だったら私はそれに答えないとね」
【うん、凄くかっこよかったよ。来週なら予定空いてるよ】
とだけ返信をすると、鈴菜はスマホを置き、再び教本に目をやる。
(私は幸せものだな)
あんなに難解に見えた問題たちがスラスラと頭の中に入っていった。

そして来週。
「あ、涼太君。お待たせ。待った?」
「ああ、鈴菜。大丈夫だよ今来たところ。って相変わらずよく俺だってわかったね」
今日の涼太は帽子を深く被り、マスクをしていた。
他の人が見たら誰かなんて判断できないが、長年観劇してきている鈴菜は違った。
「まあまあ…あはは…」
鈴菜は適当に愛想笑いをして誤魔化す。
「それじゃあ行こうか」
涼太は歩き出す。
鈴菜はそれに着いて行く。
「今日はどこ行くの?」
「未来水族館」
「ええ!嘘!」
(また、すごいデートっぽい場所…)
未来水族館と言えばつい最近出来たばかりの、水族館だった。
なんでも最新鋭の水槽やライトアップで、今までにない水族館をコンセプトとしており、早くも定番のデートスポットになりつつあった。
「ホント。チケットもうとってあるから行こっか」
「いつの間に…」
チケットの入手も涼太が出演しているミュージカル並に取るのが難しく、一体どうやって入手したのか…?
「後輩から貰ったんだ」
「後輩って…魔琴君?」
「そうそう。よくわかったね」
涼太はどこか嬉しそうに微笑む。
(本当に仲がいいんだなー)
鈴菜は内心、心が温かくなる。
この前も舞台終了後に2人の写真がSNSにアップされたりと、仲の良さが伺えた。
「この前なんか魔琴のやつさ〜…」
と、貴重な舞台裏話を聞いている間に未来水族館へと着いた。

「うわ〜ここが噂の…」
鈴菜は目をキラキラさせて当たりを見渡す。
客層はやはりカップルが多く、次に親子や老夫婦など老若男女がいた。
「やっぱり結構混んでるんだな。鈴菜、はぐれないようにね」
「うん。大丈夫」
「じゃあ早速行こうか」
「うん」

「わーキレー」
鈴菜は水槽に両手を貼り付けて見つめる。
近未来的な形の水槽に、オシャレにライトアップされた魚たちが泳いでいる光景は思わず目を見張る。
「だなー。喜んでもらえてよかったよ」
涼太が満足そうに鈴菜を見る。
鈴菜はそんな視線に気づかずに水槽を見るのに夢中だった。
「涼太君は見なくていいの?」
「ああ、実は鈴菜…」
「うん?」
涼太は鈴菜に真っ直ぐに向き合うと
「ごめん。恋人のフリをして欲しいって言ったこと気にしてるよね」
と、頭を深々と下げてきた。
「う、うん…」
「最初は本当にフリのつもりだったんだ。だけど段々本気になってきて」
「そうだったんだ…って顔上げてよ…でもどうして私なの?」
涼太は顔を上げて鈴菜を見つめる。
「初めての俺の握手会の時覚えてる?」
「え?」
確かそれは5年前の出来事だった。
涼太がデビューして間もない頃に行われた。
「その時にすごく綺麗な子がいるなって思ってて、それが鈴菜だったんだ」
「嘘…」
(そんな前の出来事覚えててくれてたなんて…)
「あの時は驚いたよ。マスコミに追われてた時に、まさかその本人と偶然駅近くで出会うなんて」
「私もびっくりした…」
「とにかく俺は本気で鈴菜のことが好きだから」
「あ、ありがとう…」
「鈴菜は俺の事どう思ってる?」
「ど、どうって…」
(そ、そりゃあ5年も前から…)
好きに決まっていた。
「あはは。鈴菜の顔みてたらもう答えがわかったな」
「ええ!私そんな変な顔してた!?」
涼太はニコニコと鈴菜に近づき、こっそりと耳元で
「ライトアップされた水槽よりも綺麗だよ」
「っ…」
鈴菜は思わず1歩下がる。
「じゃあ鈴菜これからもよろしくね」
「こちらこそ」

そして1ヶ月後。
【今日の舞台観に行くから頑張ってね】
鈴菜は涼太へメールを送る。
【ありがとう!鈴菜が見てくれてると思うといつもの数倍頑張れるよ】
そんな返信が来たのを確認すると、鈴菜は持ってきていた試験の教本に目を向ける。
「久しぶり鈴ちゃん」
劇場の扉が開くのを待っていると、待ち合わせをしていた桜子に後ろから声をかけれらる。
「あ、桜子ちゃん」
鈴菜は試験の教本を片手に、ゆっくりと振り返ると
「っ…鈴ちゃん…?」
桜子が目をぱちくりさせている。
「え?どうかしたの?」
鈴菜が不思議そうに聞くと
「すっごい綺麗になったね!」
「え?」
「いや、元々可愛いんだけど、なんていうかできる女?みたいなオーラがある」
「そ、そうかな…」
(ってこのバッグのお陰かも)
と、鈴菜は涼太に買ってもらったバッグの持ち手を握りしめる。
「ほらほら、あの人だって。涼太君と付き合ってるって人」
「えー。めちゃくちゃ美人じゃん。美男美女でお似合いって感じ」
「だよねー」
(そ、そんな風に思ってくれてるなんて…)
「ほら、周りの人もそう思うってさ!やっぱり綺麗になったよ。なんか変化あった?」
「へ、変化か〜…」
涼太とは両思いということがわかり、毎日のようにするやり取りが鈴菜にとっては宝物になっていた。
「いや〜、特には無いかな〜」
「いや、その顔は絶対なにかあったな」
「そんな何も無いって〜」
「って、それこの前言っていた資格の教本?」
「あ、うん」
「こんな時でも勉強してるなんて偉いね〜」
「いや〜そんなことないって」
(ただ私は涼太君に釣り合う人になりたいだけで)
「試験いつだっけ?」
「再来週だよ」
「そっか〜。頑張れ〜」
「うん。ありがとう」
前に並んでいる人が動き出した。
どうやら劇場の扉が開いたようだ。
「それじゃあ行こうか」
「うん」

「相変わらず涼太君、気合入ってるよね〜」
桜子が小声で声をかけてくる。
「だね〜」
最近の杉谷涼太の演技が凄すぎると話題になり、現在ではスキャンダルが発覚した時以上のファンがいた。
今の涼太はまさにノリにのっていた。
(私ももっともっと頑張らないと)
鈴菜はそんな涼太の姿を見て、更に活力を貰っていた。

それから数ヶ月後-
あれから様々なことがあった。
姫華は魔琴と電撃授かり婚をした。
姫華曰く、初めて会った時から運命を感じていたそうだ。
鈴菜はというと、涼太と同棲を始めていた。
今では涼太の帰りを待ちながら夕飯を作るのが日課になっていた。
夕飯だけでなく、朝ご飯やお弁当も毎日欠かさず作っていた。
そして資格は見事合格し、仕事も昇給。
仕事とプライベート共に充実した毎日を送っていた。
「ふっふ、ふ、ふーん🎶」
鼻歌混じりにフライパンで炒め物を作る。
先程涼太から【もうすぐ帰宅する】と連絡があった。
できれば出来たてのものを食べて欲しい。
そう思った鈴菜は調理に取り掛かった。
ガチャガチャ…。
鍵を開ける音が微かに聞こえた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。今、作ってるからちょっと待ってて」
「わかったよ」
涼太が後ろから抱きしめてくる。
「も、もう…これじゃあ料理しにくいよ…」
「鈴菜に触れたくって」
涼太は抱きしめるのを辞めると、頬にキスをしてきた。
「夕飯楽しみに待ってる」
「うん!」
どんな料理も美味しい、美味しいと食べてくれる涼太を見てるとこっちまで嬉しくなっていたし、感謝しているのは寧ろこちらの方だった。
これから先何年も、何10年もこうして涼太の帰りを待ちながら料理をしていくのだろう。
なんて素敵な日々だろうか。
「ふふふ…」
鈴菜は小さく笑いながら、料理の仕上げをする。
こんな幸せな日々がいつまでも続きますように-
そう願うように。