私が今住んでいるこの遠見島は、小笠原諸島の最南端に位置する。
一年を通して暖かく、みんな半袖で十分なので、長袖とは無縁な島である。
洋服店にも、長袖が並ぶことは珍しいくらいである。

この島は、昔日本軍の物見櫓的な存在で、国外からの攻撃を、いち早く察知し、通達、迎撃する役目を果たしていたという。

島の周りに建ててある、高い塀や監視塔は、当時の面影を残していた。

塀や監視塔を壊さないのには理由があり、戦時を知る貴重な資料であるのと同時に、島の防波堤の役割もはたしている。
戦争のために造っただけあり、頑丈なようだ。

ここは、小笠原諸島最南端なだけあり、孤島と化している。

本島への船は、月に三通しか出ない。
船も物質運搬を主としており、乗員数も少ない。
そのため、船は完全に予約制となっており、島に着くと、数ヶ月は本島に帰れなくなってしまうのだ。

物資の搬入、搬出方法は船だけでなく、主に小型飛行機を使う。
とは言うものの、遠見島は小さな島なので、滑走路はおろか、着陸するだけ広い平地すらない。

そこで小型飛行機は、一日に二回、朝夕決められた時間に、物資の入ったコンテナにパラシュートを付けて、島周辺の海に投下させる。
それを、島の搬入業者が船で引き上げ、各地へ運搬する。

飛行機の数は、その時の運搬物の数によって変わってくるが、大体、三機から五機である。

運搬時間は、七時と十七時。
時間にきったりなのと、キリのよい時間ということもあり、島民たちにとっては、時報的役割もはたしている。