どれくらい時間が経ったのだろう。途中から樋口が席を外し、眞理は黙々と問題を解いていた。

「ふぅ。結構解いた……」

 頭を使ったらお腹も減ってきた。そろそろ休もうと思っているところに樋口は戻ってきた。木製のトレーにお菓子と紅茶をのせて。

「そろそろお茶でもどうですか?」

「ありがとう」

 甘いミルクティーにほんのりレモンの香るマドレーヌ。

「美味しい!」

 絶品だった。

「もう一つどうぞ」

 と差し出されるマドレーヌに眞理は子どものように目を輝かせた。

「良かった」

「え?」

 不意に安堵の表情を浮かべる樋口に眞理は首を傾げる。

「夜も少ししか召し上がっておられなかったので。安心しました」

「……」

「眞理様は何がお好きですか?」

 子どもの好みは分からない、といった表情で樋口は尋ねた。

「うーん」

 眞理自身、自分が何が好きなのかあまりわからなかった。

「あまり食べることが好きじゃなくて」

 元々少食だったのもあり食事は必要最低限に必要なカロリーを補給する程度にしか食べていなかった。

「難しいですね」

 口元に手を置いて呟く樋口。

「だ、だからもうご飯は作らなくてもいいわ。自分で適当に食べるから」

「……」

 怒らせてしまっただろうか。樋口はそれ以上何も言わずに食べ終わった食器を持って部屋を出て行ってしまった。


 翌日。

 まだ眠たい身体を起こしてリビングへ行くと昨日と同じ、きっちりと燕尾服を着こなし髪をオールバックに整えた樋口の姿があった。

「おはよう御座います。眞理様」

 朝は紅茶にしますか?珈琲にしますか?と樋口。

「珈琲は飲まない」

「畏まりました」

 どうぞ、と席に促され紅茶と一緒にマドレーヌを差し出す樋口。一口、口に含めばほんのりと香るサクラの香りと口いっぱいに広がるイチゴの風味。

「この紅茶」

「お口に合いました?」

 こくん、と頷けば樋口はにっこりと微笑んだ。

「昨日見つけて思わず買ってしまいました。春限定のフレーバーだそうです」

「そうなんだ」

「本日の朝ごはんにはホットサンドをご用意してみました」

 差し出された大きなお皿には色とりどりの野菜サラダととメインのホットサンド。卵とハムにチーズが挟まれたサンドイッチは熱によってチーズがとろけ、香ばしい香りと共に眞理の食欲を刺激する。

「……美味しそう」

 頂きます、と一口頬張れば口いっぱいに広がる美味しさに堪らず歓喜の声をあげてしまった。

「んー! 美味しい!」

 あまりの美味しさにあっという間に平らげてしまった。

「ちょっと、食べ過ぎたかも」

「大丈夫ですか?」

「こ、これは後で食べる」

 最初に貰ったマドレーヌを大事に抱えると樋口はふふっと笑う。

「何よ」

「いえいえ。なんでもありません」

 こちらに、と手を引かれてソファに座ればうとうととと眠ってしまった。

「!」

 寝てた!と飛び起きる私を見てくすくすと笑う樋口。

「まるでラッコみたいですね」

「ら、らっこ?」

「そんな大事に抱えちゃって」

 くすくすと笑い続ける樋口。どうやら貝殻型のマドレーヌを持ったまま眠っていた姿が面白かったらしい。

「っ!」

 そんなに笑わなくてもいいじゃないか。しかしマドレーヌを持ったまま寝てしまうなんて。眞理は自分がまるで食い意地を張っているみたいで恥ずかしいかった。

「……ところで、マドレーヌはどうしてこういう型なの?」

 ふと疑問に思ったことが口に出た。昔からどうでもいいことを気にしてしまう。眞理はどうせ答えの出ない問いに溜息をつくと樋口が隣に膝をついて語り出した。

「マドレーヌは色々な説がありますが、フランスからスペインの巡礼地を目指す一人の少女が、巡礼者のシンボル帆立貝の形をしたお菓子を作って他の巡礼者に配っていたという説があって。その少女の名前からマドレーヌと付けられたそうですよ。実際に昔巡礼者は帆立の貝殻をお守りに持ち歩いていましたし……」

 眞理はただただ驚いた。

「すごい」

「いえ、ちょっと語り過ぎてしまいました。申し訳ございません」

「ね、ねぇ! もっと聞かせて!」

「え?」
 
「えっと……まず巡礼ってなに? どうして帆立貝を持ち歩いたの?」

「えっと」

「あ、ごめんなさい」

 困らせてしまった。眞理はすかさず謝ると樋口はゆっくり立ち上がる。

「続きはゆっくりお茶でも飲みながらお話ししましょうか」

 その言葉に眞理の心は高鳴った。

「うん!」