本屋で必要なノートやペンを選び、面白そうな本も一緒に購入し、近くの喫茶店へ入る。そこで甘い紅茶を飲みながらしばらく本の世界を楽しんだ。それから適当に街を歩き気がつくと時計は3時を回っていた。そろそろ帰ろうか、と思いながらもかわいいお店があればつい見入ってしまう。途中、乾いた喉を潤すようにアイスクリームを食べた頃にはあっという間に空は赤く染まっていた。ふと夜ご飯はどうしよう、と考えて思い出す。すっかり執事の存在を忘れてしまっていた。

「帰ろう」

 誰かのいる家へ帰るなんて何年ぶりだろう。樋口は待っていてくれているだろうか。

 エレベーターを降りて玄関をそっと開ける。なんだか自分の家なのに緊張してしまう。

「た、ただい」

「眞理様!」

 玄関を開けた途端に樋口が駆け寄ってきた。

「今何時だとお思いですか?」

「え、えっと……17時過ぎくらい?」

「18時です」

「あ、はい……」

「遅くなる時は連絡をください」

 わかりましたか?と樋口。

「べ、別に」

「別に?」

「別に……」

 貴方には関係ないじゃない、と言いかけてため息をついた。

「……わかりました」

 渋々了承すれば樋口はにっこりと微笑んだ。

「素直ないい子はすきですよ」

「あっそうですか」

 小さな声でぶっきらぼうに吐き捨て家へ上がるとリビングに近づくにつれていい香りが漂ってくる。

「お菓子の匂い?」

 それはまるでケーキ屋さんの焼き菓子に似た甘くて香ばしい幸せな香り。

「おかえりなさいませ、眞理様。アフタヌーンティーにと思ってマドレーヌをご用意しておりました」

「マドレーヌ?」

「しかし、先ずは夕食にしましょうか。こちらは夜食に」

 悪戯に微笑むドS執事。

「本日は和食をご用意させていただきました。鯛とアサリのの酒蒸しにお味噌汁、胡瓜の酢の物、肉じゃがです」

 ご飯は五穀米にしてみました、と樋口。テーブルに並ぶ食事はどれも美味しそうでキラキラ輝いて見える。
 だけど。

「樋口」

「はい?」

「……こんなに作らなくていい」

 それが逆に苦しかった。食事の時間は嫌いだ。一人で食べる食事はただ寂しくて、辛くて、苦しい。

「……畏まりました」

 心なしか樋口が怒っているように思え、余計に心が苦しい。それもそうだ。こんなに一生懸命作ってくれたものを拒否してしまったのだから怒っても仕方ない。

「……頂きます」

 眞理は味噌汁と小鉢に入った酢の物を食べ、他のものには手を付けず足早に自分の部屋へ逃げるように閉じこもった。


 暫くして部屋に樋口がやってきた。コンコン、とリズム良く部屋をノックし無視を繰り返していればゆっくりとドアノブが回る。

「眞理様」

「何よ」

 読みかけの本を閉じて振り返る。

「勉強の時間です」

 そこにはクイっとメガネのブリッジを中指で上げる樋口。燕尾服に眼鏡とは、なかなかにお似合いの格好だ。

「どうかなさいましたか?」

「べ、別に」

「では勉強を」

「ど、どうして貴方が私の勉強まで見るのよ」

「家庭教師役も頼まれていますので」

 よいしょっと持ち上げた段ボールの中には問題集が山ほど詰まっていた。ぱっと見ただけでも軽く10冊は入っている。

「とりあえずこの2冊を入学までに終わらせましょう」

「え、ちょっと」

「今のうちから予習をして。周りに差をつけましょう」

「勉強は一人で……」

「私は厳しいですよ」

 にっこり笑顔の樋口に眞理の笑顔が引き攣っていく。

「あ、はい。わかりました」

 眞理は観念して先程渡された問題集の一つを開いた。

「まずは基礎固めです。中学の数学と英語を中心に復習していきましょう」