翌日。目が覚めると家中にパンの焼ける香ばしい香りが漂っていた。

「おはよう御座います。眞理様」

 朝は紅茶でよろしいですか?と樋口。

「はい。お願いします」

 と返事をし洗面所で顔を洗う。無機質だった部屋がなんだか温かく感じる。とても、不思議な感じだ。
 テーブルには朝食が並ぶ。トーストにベーコンとスクランブルエッグ。色とりどりの野菜にフルーツ。

「す、すごい……」

 そんな豪華なメニューに圧倒されていると樋口が横にやってきた。

「眞理様。食事の後で構わないので、本日のご予定を教えて頂けると有難いのですが……」

「あ、えっと」

「あと今後の予定も少々教えて頂けると幸いです」

「わかりました」

「よろしくお願いします」

 丁寧なお辞儀につられて頭を下げると樋口が椅子を引いて「こちらへ」と朝食の席へ誘導する。

「お口に合うと宜しいのですが」

「あ、えっと、その」

「どうかなさいましたか?」

「い、いえ。……いただきます」

 せっかく用意してもらったのに朝はあまり食欲がないとも言えず先ずは一口、紅茶で口を潤した。

「あたたかい……」

 次にトーストに手を伸ばす。サクッと音を立てるトースト。ほんのりとバターの香りが鼻腔を通って眞理の食欲を刺激する。

「美味しい」

 野菜はみずみずしく、果物は食べやすいように一口にカットされていた。

「美味しい……けど」

 半分も食べられないまま満腹感に手が止まってしまう。

「も、もう食べられない」

「しっかり食べないと大きくなれませんよ?」

 樋口から感じる、まるで憐れむような視線。

「べ! 別に小さくてもいいじゃない。これから伸びるのよ」

 150ぎりぎりない身長には私も悩んでいるのだ。一時期は牛乳をたくさん飲んでみたり鉄棒にぶら下がってみたりと色々努力をしてみたものの結果は何も変わらなかった。

「失礼しました」

 くすくすと笑う樋口。

「……それではお下げしますね。紅茶のおかわりはいかがですか」

「いらないっ」

「畏まりました」

 淡々と片付けていく樋口に眞理の心は不安でいっぱいだった。こんな性格の悪い執事とこれからどう過ごせばいいのだろう。
 眞理はそっと席を立ち部屋へ戻った。

 お気に入りのワンピースに袖を通し髪を丁寧に編み込みヘアクリップで束ねれば三つ編みポニーテールの完成だ。今日は街へ出かけよう。
 来週には高校の入学式。今のうちに必要なものを揃えておきたかった。そこにタイミングよく鳴り響くノック音。

「はい」

「眞理様」

 ご予定の確認を、と話す樋口と入学後のスケジュールを大まかに話し合う。

「今日は本屋さんに行って本を見て、文具を少し買いに行ってくる」

「畏まりました。では車を用意して」

「一人で行く」

「……畏まりました。では私は食品の買い出しや日用品の買い出しに行って参ります。何かありましたらこちらに連絡をお願いします」

 渡されたメモには綺麗な文字で書かれた電話番号。

「お昼はどうなさいますか?」

「外で食べてくる」

「畏まりました。ではお気をつけて」

 お気に入りの白いリュックを背負い革のブーツを履いて玄関の戸を開ける。

「行ってらっしゃいませ。眞理様」

「い、行ってきます」

 誰かに行ってらっしゃいと言われて家を出るのがなんだかくすぐったい。

「あれ、私……」

 喜んでる?と自分の感情に戸惑った。

「家族」

 ぽつり、そう呟けば心がじんわり温かくなる。それと同時に意地悪な樋口の顔が浮かんでげんなりした。

『子どもはあまり好きじゃありません』

「……それならなんでうちに来たのよ」

 もっと優しい執事なら良かったのに。漫画に出てくるような甘々な執事を思い描いては理想と現実のあまりの差に頬の筋肉が引き攣った。