私の家には執事がいる。
 世間では珍しいことだろうが、それが私にとっての日常。



【BUTLER】

 私、佐倉眞理は幼い頃から一人だった。家族で食事を囲んだことなんて、覚えている限り片手で数えられる程度しかなかった。可笑しな話だ。中学生が一人。高級マンションの最上階に住んでいるなんて、どこからどう見ても普通じゃなかった。

 ガチャリ。
 玄関を開ければ珍しく玄関には靴がいくつかきっちりと並んでいる。

「あら、眞理。おかえりなさい」

「お母さん!」

「見ないうちに大きくなったわね」

 前に会ったのは去年のクリスマスだったかしら?と言う母に両手を広げて抱きついた。本当は一昨年のクリスマスだよ、と修正したかったが今はそんなことどうでもいいと思えるくらい嬉しかった。

「ごめんなさいね。ずっと一人にして」

「ううん。大丈夫!」

 両親は二人とも医師だ。父は私が小学生の頃に経験を積みたいと海外へ赴任。母はここ数年、都心で最先端の医療を学びたいと一人東京で働いていた。久しぶりの再会に胸が高鳴る。話したいことが山ほどあった。

「あのね、お母さん」

 何から話そうか、はやる気持ちを抑えキッチンへ行く。紅茶でも飲みながらゆっくり話そう。と思ったところに大きな影にぶつかった。

「紅茶ですか?」

「え?」

 きっちりとした燕尾服にオールバックに整えられた髪。

「眞理。今日は報告があってきたの」

「え?」

 嫌な予感がする。私のこう言う予感は大抵当たるのだ。

「お父さんの仕事先に一つ席が空いたって報告をもらって。こんなチャンス滅多にないの!」

 貴女ならわかってくれるわよね?とやや興奮気味に話す母。

「え、う、うん」

「それでね、今までは家を開けている間。家事代行サービスとかを色々頼んできたじゃない? でも流石に海外に行くのに眞理を一人にするわけにはいかないから」

「え」

「執事を雇うことにしたの。あ、もう時間だわ。お母さん、このままアメリカに行くから。真理も元気でね」

「え?」

 そそくさと玄関で靴を履く母。

「も、もう行くの? そ、それに私」

 男性は苦手なんだけど、と言う言葉は分厚い扉によって遮られてしまった。いつもそうだ。私の気持ちなんか置いてきぼりなんだ。

「っ」

 ぼろぼろと溢れる涙を両手で拭っていく。拭っても拭っても溢れ出る涙。

「眞理様」

「大丈夫。今日はもう帰って」

 帰って欲しいの。と泣きながらお願いする。

「すみません」

 大変申し上げにくいのですが、と口籠る執事。

「奥様から24時間お願いしますと頼まれておりまして」

「え?」

「恐縮ながら奥様に自室も用意していただいており……」

「……」

「申し訳ございません」

「わかった」

 そう吐き捨て自分の部屋へ閉じこもる。ここなら誰にも邪魔されない。私は勢いよくベッドへ倒れ込んだ。突然の出来事に頭を抱える。そんなぐちゃぐちゃとした頭に響くノック音。

「眞理様」

 ほっといてほしかった。返事をするのも面倒で何も返さずにいれば足音がどんどん遠ざかっていく。そうだ、このまま執事にここでは働けません、と言わせればきっと母も考え直してくれるに違いない。そんな悪知恵を働かせては深く、ため息をついた。
 そんなことをしても母は帰ってこない。そんなのわかってる。

「お母さん。私、高校生になったよ」

 誰からもおめでとうなんて言ってもらえない。誰も祝ってくれない。昔からそうだ。誕生日も、クリスマスも。ずっと一人だった。

「っ」

 枕が涙で濡れていく。小さい頃にもらったクマのぬいぐるみを抱きしめ声を殺して泣いた。ただ一言。おめでとうって言われたかった。