中途半端にリアリティをもった愛憎劇が
心底嫌いだ。
意図的に描かれた悪を、
見せかけの善が愛憎をもって成敗する様子を、
楽しそうに、果てには感動しながら、
涙を流し眺めている。
快楽を求めるセックスに深みなどはない。
浅ましいわけでもない。
ただの生殖活動に意味を持たせる手段である。
それを人間の自由だと混同し、
溺れ、溺れた事にも気づかず、
俯瞰したつもりで沈んでゆく。
もう辺りは暗闇に包まれているのに、
気付かずに目の前の発光体をただ見つめるばかり。
そして、そういう類のものが人間の善である
と脳裏に擦り付けられてゆく。
それが救いであると、
身体に染み込ませてゆく。
人間特有の愛憎という言葉をもって
自然の摂理に無理矢理落とし込んでいる。
生身の人間が演じる愛に生身の人間が演じる憎悪が
入り混じったものを美しいとし、
我々の思考は停止する。
これこそがグロテスクである。
私は気味の悪い不完全な生命体である。