桜の花びらのむこうの青

彼の私に対する気持ちと仕事への思いは、全く別次元の問題なんだ。

どちらか一方だけに力を注ぐことができたら、どれほど彼は楽になるだろう。

そんな中でも最大限に私を大切に思ってくれていることは十分過ぎるほど伝わっていた。

そんな彼に私がしてあげられることは何?

一呼吸置いて、小さな声で答えた。

「わかった。待ってる」

「ごめん、ありがとう」

そう静かに言った彼は今どんな表情をしているんだろう。

会いたい……。

そう言いかけた時、電話の向うで長い息を吐いた彼が意を決したように切り出した。

「今日電話したのは帆香にもう一つ大事な話があるんだ」

これが胸騒ぎの本命なんだろうか。

ようやく落ち着きを取り戻した鼓動が再び早くなっていく。

省吾さんは、先ほどよりも緊張した声で続けた。

「またY国に明日から発つよ。前回は二週間で戻ってきたけれど、次の滞在はもう少し長くなる予定なんだ。
恐らく今最も紛争が激しい地域に行くことになるだろう。でも、現場に何度も行ってる記者と通訳が同行するから心配ない。」

心配ない?

日本にいて、モデルや社長の写真撮ってたら心配はないかもしれないけれど、

これから行こうとする場所に心配じゃない場所なんてない。

でも、彼は行く。

そこに彼の使命がある限り。

ようやく引っ込んだ涙がまた出そうになったのをなんとか食いしばる。

私にできることは、彼の無事を祈りながら彼の帰りを待つだけ。

「今回のルポが終わったら必ず君の元に帰る」

「いつまでY国にいるかもわからないのに?」

「いや、最終期限はこちらで決めてるよ。長くても一か月が限度だ。とりあえずニューヨークに戻ったらすぐに連絡を入れる」

また一カ月先まで彼の声が聞けないんだ。しょうがないけど、やはり寂しい。

「それから……」

彼は続けた。

「来年の春には日本に戻る。四月一日、カフェ・チェリーブロッサムに必ず行くから待ってて」

本当に?

彼が帰ってくる!

それだけで、先ほどまで私の心にかかった黒雲が一気に吹き飛んだ。

大丈夫。

彼は私のためにきっと帰ってきてくれる。

「待ってる。省吾さんが来るまで、例え閉店時間過ぎてもね」

彼はいつものように電話の向うで笑った。

「閉店までには行くようにする」

信じよう。彼の全てを信じて待とう。

電話が切れた後、しばらく彼との時間の余韻に浸りたくて手元のスマホを見つめていた。