「乗って」


草の呼吸音が聞こえてきそうなほど真っ暗で静かな深い夜に、流れて消えていきそうなくらい透明感のある儚い声が響く。

その声を合図に、緊張の糸はプツリと切れた。
瞬間、胸がいっぱいになり、鼻の奥がツーンとして目頭が熱くなる。

そのままうっすらと水分が溜まるけど、この深い夜がそれを隠した。
さり気なく目元を指で拭ってからドアを開けて狭い箱の中に入る。


あなたの隣がわたしの特等席。


なんて、ベタな言い回し。

小学生の頃に流行った女子に人気のポエムシリーズの本に、同じような言葉があった。

恋や友情に希望をもっていて、この世界の汚れを知らない。


きらきらしている純粋な子どもに響くような言葉。

今のわたしは鼻で笑うくらいになってしまった言葉。


あの頃の純粋な輝きはもう、わたしにはない。

そんなポエムの定番の言葉みたいに、わたしはあなたの隣が特等席だなんて思っていない。

ましてや、独占したいなんてことを考えるはずもない。

ただ、この真っ暗な世界の中でも、あなたの隣にいるだけで心が落ち着き居心地が良いと思う。


そう感じるだけ。
ただ、それだけ。


カチッと小気味いい音を立てて、シートベルトを締める。

その音が響くと同時にゆっくりとふたりの空間が走り出す。

息もしていないような暗い夜の景色が動きだし追い越していく。

わたしたちを乗せた小さな箱は深い闇に混ざり同化した。