吹奏楽部の演奏が、ぼんやり耳に入る。
 急いで廊下に出た、はずだが、小石の姿は見当たらない。

(どこ行った? もしかして、帰ったのか?)

 ここは三階の北校舎。すぐ近くの東階段を駆け降りて、一階の昇降口へ向かう。


 昇降口に着くなり、小石の靴箱を確認する。
 まだ靴があった。

(教室か?)

 そのまま1の7に向かう。もう、汗だくだ。


 1の7に――いない。
 いたのは窓際の後ろの席で喋っている、ギャルの比嘉(ひか)(はや)()の二人だった。

「誰か来なかったか?」

「来てないけど?」

「何? 尾瀬とか?」

「違う。ありがとう」
 

 とりあえず、そのまま一階を走って探し回る。
 途中、曲がり角でヒヤリとした。
 出会い頭に、面識のない太めなオバちゃん先生と、ぶつかりそうになってしまった。

「走るんじゃないの、危ないでしょ! あと、右側通行よ!」

「すみません!」

「さっきも走ってた女子がいてねぇ〜。
 ま、なんかワケアリっぽいから、咎めなかったけど」

「えっ? そいつ、どこで見ました?」

「何、痴話喧嘩? 相談室を出る時に、ぶつかりそうになったのよ」

 相談室は、北校舎三階の中央寄りの部屋だ。

(小石は特別教室を飛び出してすぐ、東階段を降りたんじゃないんだ)

「ありがとうございます!」

「青春ねぇ〜」

 呟き、頷きながら、オバちゃん先生が立ち去って行く。
 俺はその場で停止し、考えながら、彼女が見えなくなるのを待った。

(廊下を真っ直ぐ走ったということは、もしかして、あのまま――屋上に行ったとか……?)

 瞬時に胸騒ぎがしてきた。『屋上』という単語に、嫌な想像が湧き上がる。

(早まるな、小石!!)

 俺はその場をロケットスタートし、北校舎の西階段を目指した。
 

 口が乾く。動悸がする。汗が止まらない。
 そんな状態で、西階段を駆け上がる。
 また、吹奏楽部の演奏が、ぼんやりと聴こえてきた。
 階段を上がるにつれ、音が鮮明になっていく。

 ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン

 程なく露わになったのは、鬼気迫るような打楽器やトランペットのリズム。
 そして、重いトロンボーンの音。
 それらが俺の緊張感とシンクロし、焦燥感を掻き立てる。

(これ、ホルストの『惑星』の『火星』じゃないか。やめてくれ、滅茶苦茶不穏だろ!)

 三階を過ぎ、屋上階段を駆け上がる。
 急いで屋上扉のノブに手をかけた時、人の気配に気が付いた。

 階段を上り切ったところの隅に――小石が(うずくま)っている。
 抱えた膝に、顔を埋めて。

 あのリズムのBGMは続いているが、俺の中の最悪な想像が消え、幾分ホッとした。

「小石……」

「…………」

 小石の座るポジションの薄暗さが、彼女の彩度を下げている。
 まるでその心情を、物語るかのような灰色感。
 リュックのアクキーのキャラ達が、悲しく笑っている。

 俺は(おもむ)ろに、小石の横に座った。
 どうしていいか分からない。その場で、ただBGMを聞き続けるしかなかった。
 

 火星も終盤になった頃、小石が少し顔を上げた。

 俺を見る彼女の目は――すっかり輝きを失っている。
 前髪や(おくれ)()は顔に張りつき、顔を埋めていた部分のスカートの色が、所々濃くなっていた。

「もう……会えなくなった」絶望に満ちた、掠れた声。

「……諦めんのかよ」

「だって、もういないんだよ!?」
 絶望に怒りが加わった声と眼差しが、俺に鋭く突き刺さる。
 ティンパニーの激しい連打音が聞こえた。

 そんな小石に引っ張られるように、俺も声を荒げる。

「お前、そんな風になるくらい、好きなんだろ!?」

「……っ」

「絵描いたりキャラ弁作ったり……毎日毎日、太巻先生のこと考えてんだろ!?」

「……うんっ!!」

 俺を睨む小石の目。
 ドラの音とともに、そこから大粒の涙が溢れる。

 クッソ腹が立つ。
 ダダダダー

 最初から小石に会う気のなかった太巻先生にも。
 ダダダー・ダダダーダダダダー

 そんな彼を大好きな小石にも。
 ダーダー

「なら、諦めんなよ!!」
 ダーダーダー

 こんなこと言う自分にも!!!
 ダーーーーーーン。
 同時にティンパニーの連打音。そして曲が終わりを迎えた。

「『もういない』ってなんだよ? 卒業しただけだろ!? 故人みたいな言い方すんな!」

「じゃあ、どうしたら会えるの!?」

 静まり返った空間に、二人の声だけが響く。

「………………考える」

 俺は下を向いた。
 しばし自分の上履きを見ながら、考えをまとめた。