「はーい、じゃあSHR終わりまーす。号令お願いしまーす」
間延びした話し方をする担任。それに応える号令係。クラスのみんなと、そして“彼”と過ごす時間。全てがあと一ヶ月で終わるのだと思うと、少し胸が痛い。


いつものように「さよなら」をしてから教室を出る。向かう場所は、生徒会室だ。高校三年生の私は既に生徒会執行部を引退しているが、生徒会長だったせいだろうか。後輩たちに、卒業するまでは暇なときだけでも良いから生徒会室に来てくれ、と頼まれたためこうして生徒会室に向かっている。


大学は県内の推薦入試を受けたから、この時期でも他の引退した生徒会役員より忙しくないのだ。と言っても、今の時期は生徒会が運営する行事がないので、ほぼ後輩たちとお喋りするだけだ。楽しいことこの上ない。私が生徒会室に来るのは、可愛い後輩たちに頼まれたからという理由もあるが、やっぱり一番の理由は自分が行きたいからだ。あそこは居心地が良い。“彼”もいるし、ね。


生徒会室に着き、「こんにちはー!」と明るく言いながら入っていく。


「あっ、恋澪(みお)先輩!」
「こんにちは!」
既に来ていた後輩たちが挨拶してくれる。それに微笑んで応えながら、室内を見渡す。“彼”はまだ来ていないようだ。肩を落とした矢先、後ろから聞き慣れた声がした。


「こんにちはー」
“彼”が来たようだ。低い声。それでいて、落ち着く声。


「蓮! 久しぶり!」
思わず声が高ぶる。“彼”ーー蓮といると、いつも心がおかしくなる。妙に胸が高鳴ってしまうのだ。
「久しぶりって……金曜日ここで会ったばかりじゃないですか。土日挟んだだけなのに大袈裟な……」
蓮はいつものように無表情で言う。「良いじゃん、別にー」と私は唇を尖らせて、円卓の椅子に座る。すると荷物を置いた学ラン姿の蓮も、私の隣に座ってきた。私はそれだけでドキッとしてしまう。何気なくする彼の行動に、心臓がうるさくなってしまう。


「先輩、もうすぐ卒業ですね」
「そうなんだよー! 寂しいなぁ」
「寂しいんですか」
「えっ、蓮は寂しくないの?」
少し、ほんの少し、期待した。でも数秒後、そんな私が馬鹿だったと気づく。


「寂しくないですね。僕が卒業するわけでもないので」


まぁ、大体想像はついたけど。私は全然目を合わせてくれない後輩に、ため息をついた。
「蓮もわかるよ、一年後。大好きな友達や後輩、好きな人と別れる季節になったら寂しくなるもんよ」
「好きな人……」


そう呟く蓮は、なんだか複雑な表情をしている。その顔を見た私は、もっと歪んだ顔をしてしまったかもしれない。


蓮には、好きな人がいるらしい。可愛くて優しい女の子だと、蓮の同級生で生徒会役員の子が言っていた。


移動教室のとき、毎週水曜日は蓮のクラスと階段で会うので観察してみたが、すぐにわかった。蓮の隣には確かに可愛い子がいたのだ。直感的に、あぁ、あの子だなと確信した。それから毎週観察したが、やっぱり常にその子が蓮の隣を歩いていた。多分、今までは蓮しか眼中になくて、気づかなかったのだろう。悲しみが滝のようにやってきたのを今でも覚えている。


それが、去年の四月頃。私が高三にあがったばかりのときだ。新しいクラスになってすぐなのに二人が親しげだということは、彼が一年生のときも同じクラスだったのだろうか。もしくは同じ中学校……? 教えてくれたその後輩は、私が蓮を好きだということを知らないので、深くは聞けなかった。片想いだと知っても気持ちを抑えられるはずがなく、だからと言って断られるのを前提に告白するのもなぁ……と思いながら過ごしていたらもう卒業だ。


「好きな人に告白するならさっさとしちゃいなよー! その子が突然いなくなったらどうすんのさー」
思ってもいないことをつい口に出してしまう。本当は告白してほしくないのに。


蓮が好きな子と付き合う……そうすれば私もきっぱり諦められるかもしれない。いや、本当は蓮が私を好きになってくれれば一番良いのだけれど、それは叶わないだろう。生徒会のみんなで恋バナしたとき、蓮はいやいやながらも先輩に言われて参加した。……蓮が参加したときにはもう私と同い年、三年生の失恋した一人の男子が会話の9割を占めていたのだけれど。


「蓮……! やっぱり好きな子がこっち振り向いてくれなきゃ嫌になるよな……? 俺、もう好きじゃないんだよな、あの子のこと……? フラれたら諦めるもんなんだよな?」

「え、これなんて言うのが正解なんですか」

「正直に答えていいよ〜。なんて言ったって、こいつがフラれたのは事実で変えようもない過去なんだから」

「僕は一度好きになったらずっと好きですよ」

「おい蓮! それは嘘だろ? お前はモテ男だから……片想いなんて味わったことないから知らないんだ、このどうしようもない気持ちを……! フラれたのに想い続けるなんて俺には無理だよぉ!」

「なら諦めればいいものを……何をそんなにウジウジしてんだか。ちなみに僕だったら何があっても諦めないですけどね」

そのあと結局その男子は蓮の言葉に対抗心を持ったらしく、自分の好きという気持ちを誤魔化さないようになった。……まだ付き合えていないらしいけど。
とにかく蓮は一途なのだ。そんなところも好きなのだけれど。だからそんな一途な蓮には好きな子と結ばれてほしい。はぁ、それにしても恋の神様はどうしてこんなに意地悪なのだろう。無意識に肩につくかつかないかくらいの自分の髪をいじる。


「告白もしたことない先輩に言われたくないです。先輩こそ卒業する前に告白したらどうですか」
さっきの話の続きだ。
私だってしたいよ、と心の中で呟く。
「私は片想いだから、無理。怖くてできないよ」
思わず私らしくもない本音を漏らしてしまった。蓮がじっと私を見て、言葉を放つ。
「僕も片想いですよ。まぁ、先輩とは違うから告白するけどね」
「えっ……いつ?」


心臓が飛び跳ねる。まだ、だめ。私が卒業していなくなってからにして。蓮が誰かの彼氏になるなんて……嫌だ。
と、さっきとは正反対なことを思ってしまう。恋とは矛盾だらけだ。


「……先輩には関係ないじゃないですか」
「ひどー。いいけど。付き合うことになったら教えてね!?」
「いいですよ」
なんとか笑顔を保てた気がする。だけど、『先輩には関係ない』という言葉がなにより辛かった。
関係あるよ……蓮は私の好きな人なんだから。



翌日。学校に来て一番に昨日の出来事を笑湖(にこ)に話した。彼女とは高校三年間同じクラスで、今では私の親友だ。元バスケ部だから生徒会のことはあまり知らないけれど、私が蓮を好きになったときからずっと話を聞いてくれる優しい子だ。


「はぁ!? なにそれ! 関係ないって……!ムカつく……」
笑湖(にこ)は無愛想な私の後輩に怒りを露わにした。
「まぁ、そういう人だから……。それはいいとして、蓮が告白しちゃうかもしれないんだよ! どうしよう、絶対成功するもん。蓮は片想いだって言ってたけど、あれは違う! あの子も蓮に恋してる!」
そう喋り倒した私に、笑湖はにやりと笑う。


「告白には告白で対抗するしかないだろぉー」
「え?」
「だから、恋澪(みお)も告白するの! その後輩くんが告白する前に!」
「無理!」
咄嗟に出た言葉だった。告白なんて……私が?無理に決まってる。フラれるのわかってて「好き」って言うのは勇気がいるし私にはできないことだ。


「無理じゃない! やるの! 星衛恋澪(ほしえみお)しっかりしろ!!」
「そんなこと言われてもぉ……」
うぅ、笑湖(にこ)に言われるとグサッとくるなぁ……。
「ねぇ、恋澪はなんでその後輩くんを好きになったんだっけ?」
「えぇ? 話したことあるじゃん」
「んー、覚えてないなぁ……。もう一回話して!」
そう言って目を輝かせる笑湖。もう、覚えてるくせにどういうつもりで……。まぁ、いいか。
そう思って私は一年半前ーー生徒会選挙の日を思い出す。



星衛(ほしえ)、頑張れよ! まぁ、星衛はしっかりしてるから心配はしてないけどな」
「あはは……。ありがとうございます」
担任は励ますように言ってくれたが、私は少し重荷に感じてしまった。


二年生の十月に行われる生徒会選挙。私はそれに生徒会長立候補として出ることにした。生徒会長になってこの学校をよりよくしたいと思ったからだ。我ながらありきたりな理由だとは思うけれど。生徒会の仲間も応援してくれたから、頑張らないと。と言っても、私以外に生徒会長に立候補した人はいないから緊張する必要はない。わかってはいるけれど、千名近くいる全校生徒と先生を前に演説するのだ。緊張しないはずがない。
「ふぅー」
体育館裏で大きく深呼吸をする。既に生徒たちは体育館に集まっていて、だらだらと並びながら近くの友達と話している。


恋澪(みお)、頑張ろうな」
私の応援責任者を引き受けてくれた前生徒会長が声をかけてくれた。
「はいっ!」
先輩は慣れているんだろうな……と思ったら、なんとなく心強い気もするけれど、不安にもなる。失敗して先輩にも迷惑かけたらどうしよう……。
と、そんなことを考えていたら、先輩が生徒会の先生に呼ばれて行ってしまった。
あぁ、心細い……。そう思った矢先。


恋澪(みお)先輩」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには一つ年下の頼れる後輩、蓮がいた。今日は選挙の手伝いを任されているので体育館裏にいたのだろう。緊張しすぎて、彼がいることにも気づかなかった。
「どうしたの? なんかトラブル?」
前生徒会長も先生に呼ばれていたし、少し不安になった。
「いや、違います」
ほっ……ならよかった。でもそれならなんの用事だろう?


「僕思うんですけど」
「え?」
「演説なんてみんなしっかりとは聞いてないですよ」
「……へっ?」
「だから、いつもどおりでいてください。もし緊張してるなら、俺に話して。きっと軽くなるから」


蓮は先輩や先生と話すときは自分のことを“僕”と呼ぶけれど、普段は“俺”を使うらしい。このときはなぜか“俺”と言っていて、しかもタメ口で、今考えたら驚きだ。だけど当時の私はそんなことも気にならないほど不安と重圧で胸がいっぱいだったのだ。
だから、『もし緊張してるなら、俺に話して』というその言葉がただただ嬉しくて私の心をスッと軽くした。


「……そうだよね。蓮、ありがとう! そう言ってもらえるだけでなんだか緊張ほぐれてきた!」
思ったままのことを口に出す。すると蓮は珍しく微笑んで「応援してます」とだけ言い残し、去って行った。


素直にかっこいいと思った。あんな言葉を年上の先輩に言うことはなかなかできないことだと思う。普通なら、私なら、自分が演説するわけでもないのに生意気だなって思われたらどうしよう、とか私がそんなこと言っても何も変わらないんじゃないか、とかそんなしょうもないことを考えているうちに全てが終わって後悔してしまうことが多い。
でも蓮は違う。すごい。尊敬する。……かっこいい。


そうして演説が始まる前には、もうこのドキドキが緊張によるものなのか、蓮に対する気持ちによるものなのかはわからなくなっていた。
だけどこれだけはわかった。
蓮のおかげでうまくいった、ってこと。



「あー、完全に乙女の顔だねぇ」
笑湖(にこ)が頬杖をついてニヤニヤしながらこちらを見上げている。
私はなんだか恥ずかしくなって目を逸らす。
「で、どうよ? 告白したくなった?」
「そんなわけないじゃん!」
「え、なんで?」
笑湖が意味ありげに首を傾げる。
恋澪(みお)はあれこれ考えて結局やらなくて後悔する自分が嫌で、だからそうじゃない後輩くんに惹かれたんでしょ? もう後悔したくないんなら、するべきことは一つじゃない?」


笑湖に言われてハッとした。そうだよ。そうじゃん。私は今まで何をしていたんだろう。蓮の何を見ていたんだ。そうは思うものの、
「うん……わかってはいるんだけど……。それでも、心が追いつかないよ」
苦し紛れに言葉を発する。また笑湖に叱られるかな、と思いつつ笑湖の方を見ると、彼女は意外にもうんうんと頷いた。


「それこそが恋だよ。しかも私から言っといてなんだけど、誰かに急かされて告白するんじゃ、後悔することになるかもしれないからね。ちゃんと恋澪のタイミングで告りなよ」


やっぱり笑湖は一番の親友だ。
「ありがとう! 色々考えてみる!」
「うん、いっぱい悩みな。乙女よ」
「あはは、了解!」


その晩、私は考えた。
卒業まで、残り一ヶ月。
本当は逃げ出したいというのが本音だ。だって、蓮には好きな子がいるんだよ? 私の最後の高校での思い出が大好きな人にフラれるって、最悪じゃん。蓮は好きでもない人から告白されたら、気まずくなって一生話さなくなる気がする。でもどっちにしろ私が卒業したあと連絡を取るのか、と言われたら微妙だ。きっと蓮からは連絡してこないだろうし。
「うーん」
苦悩の声が漏れる。


思考を逆にしてみよう。
もし私が蓮に告白したら。あぁ、きっと心がスッキリするだろうな。傷つくだろうけど。いやでも案外フラれるってわかってたら傷つかないかも? わかんないけど。わー! もうわかんない! 自分から告白したことだってないのに! 世の中の片想い中の女の子たちはこの気持ちをどうしてるわけ? 
やっぱり、告白は無理かも。よし、告白は、しない。


答えは出たものの、心に黒いもやがかかったまま眠りに落ちてしまった。



好きな人がいる生活って楽しいけど、特に片想いしてる人にとっては同じくらい(もしかしたらそれ以上に)辛いものでもあると思う。


恋澪(みお)は、それでいいの?」
今、丁度笑湖(にこ)に告白はしないと告げたところだ。
「うん。やっぱり、いい。私にはできないし」
勇気が出ない自分に内心苛立ちながら私は俯いた。
「そっかぁ。生徒会長やるような子でも告白って難しいことなんだなぁ」
「あはは……」
「恋澪がそう決めたんなら私はもう説得する気もないけど、一つだけ良い?」
「うん?」
「恋澪はそれで後悔しない? 私は恋澪がどこかで“もっとやれたのに”って後悔するのが一番嫌だよ。もしこのまま卒業しても未練はない、後悔はない、って言うんなら私はそれでも良いと思う。でももし最後に気持ちだけでも伝えたいって言うんなら、私は全力で恋澪に協力する」
「笑湖……」
『後悔しない?』と聞かれたときに心臓がドクンと大きな音を立てた。後悔……後悔……。


「恋澪、あんた今どんな顔してるか知ってる?」
「えっ?」
「今にも胸が張り裂けそうって顔してるよ。これは恋する乙女の顔だ」


髪にそっと触れながら考える。胸が張り裂けそう? 恋する乙女? 私、そんな顔……。でも、このどうしようもない気持ちに名前をつけるとしたら、それがぴったりだ。
もう、答えは出ていた。昨日出した答えは誤答だ。間違っていた。だから、訂正しよう。今ならまだ間に合うはず。


「私、蓮が好き。この気持ちを蓮に伝えないまま卒業なんて嫌……。私、蓮に告白する!」

私が笑湖をまっすぐに見つめてそう言うと、笑湖は「うん」とだけ言い、我が子を見るような優しい眼差しで微笑んでくれた。


そこからは私と笑湖の「恋澪告白大作戦」が実行された。
告白する日は、卒業式の日と決めた。理由は、蓮のあの無口、無頓着、無愛想な性格からすると告白したら気まずくなって話せなくなってしまうと思ったからだ。もう卒業するというのに挽回するチャンスもなく気まずくなるのは避けたい。
笑湖からは二つアドバイスをもらった。
一つ目は、自分の気持ちを素直に伝えること。笑湖曰く、

「振られた方は自分を愛してくれない人を失うだけだけど、振った方は自分を愛してくれる人を失うんだよ。だから恋澪は自分から告白しようとしてる時点で勝ち組なの! 怖がらずにシュバっと言っちゃいなさい!」

とのことだ。さすが私の親友。良いこと言うなぁ。
二つ目は、蓮の前でだけは何を言われても笑顔でいること。これも笑湖曰く、

「まずねぇ、こんな可愛くて優しくて明るくて外見も性格も美少女な恋澪をフる男は馬鹿でしかないのよ。もしその後輩くんがフったらそいつは馬鹿なの。で、馬鹿な男の前ではにこにこ笑ってるのが一番よ。でもすぐにその場を離れてね。泣きたくなったら私が迎えに行くから!」

まったく、私の親友は心配性な上に私のことが大好きなんだから。その言葉にうるっときたのは内緒にしておこう。
さて、その日まで私は何もしないわけにはいかない。少しでも蓮を意識させようということでいつも以上に蓮に話しかけたりできるだけさりげなく近くにいるようにしたりしていた。今日もウザがられない程度(その加減が難しいのだが)に頑張ろう……。


「あ、蓮おはよう!」
“おはよう”はいつもの挨拶。友達や後輩に“こんにちは“はしっくりこないのでいつでもこう言うのが私の中の定番だ。


「先輩……今日も元気ですね。受験生なのに疲れとかないんですか?」
蓮はリュックを置きながら眠そうに尋ねる。
「もう受験は終わったからね〜。いつでも元気だよ!」
蓮から会話を繋げてくれたことが嬉しくて、顔いっぱいに喜びを咲かせながら答える。
「大学どこ行くか聞いても良いですか?」
目が合う。一瞬心臓が止まって、私は視線を外してしまう。それでももう一度目を合わせて、言う。
「S大学だよ!」
「……そうなんだ。俺もそこ行こうかなー」
急な俺呼びと、タメ口と、最後の言葉に、心が心臓に追いつかなくなる。最後は独り言のようにボソッと言ってたけど、はっきり聞こえた。え? どういうこと? それって……私と同じ大学に行きたいってこと? わからない。その言葉の意味は!?


「おいでおいで! 多分楽しいよ! まだ入学してないからわかんないけど!」
ここはとりあえず、深く捉えないようにしよう。冷静に、冷静に……。と思ったのに。
「ふっ、じゃあ楽しかったら教えてくださいね」
そう言って目を細めながら笑う蓮の綺麗な顔を見てしまったら、もうこの暴れる心臓は止まることを知らない。近くにいる蓮に聞こえてしまうんじゃないかと心配になる程だ。
「うんもちろん!」
ぎこちなく笑いながら頷いた。蓮は何を思っているんだろう。ただの天然たらしか? もう、やめてほしい。期待しちゃうじゃない。だめなのに。
「なんか楽しいことあった?」
いつもよりテンションが高いのかと思い、一応、聞いてみる。それで好きな子が〜とかだったら自分の精神力を削るだけなのに。どうしても気になってしまう。
「いや、別にないですけど……」
蓮は思索に耽るように遠くを見つめながら答えた。
「そっか! えーと、じゃあ……恋バナしよ!」
咄嗟に出た言葉に後悔する。どんだけ蓮の恋バナが聞きたいんだ私。
「良いですけど僕は話すことないですよー。恋澪先輩の聞かせてください」
ぐはっ! 名前呼んでくれた! って、それより、何話そう? え、どうしよう困る。私の好きな人は目の前にいます……。


「私? うーん」
好きな人に好きな人の話したらどうなるんだろう。気づかれない程度に、言ってみようかな。
「私、好きな人がいるんだけど」
すごくドキドキするなぁ。
「その人には好きな人がいて、でも私にも時々優しくしてくれて、それは嬉しいんだけど逆になんで好きな子いるのにって思っちゃって」
あれ、こんな話するつもりじゃなかったのに。なんで責めようとしてるんだ? なんか止まらなくなる。
「その人あんまり自分のこととかも喋らないからなに考えてるのかもよくわからないし、私のことどう思ってるのかもわからないし……。卒業したら話せなくなるからもっと話したいけど、向こうからは滅多に話しかけてくれないんだよ。だけどたまに笑ってくれるとことか優しくしてくれるとことかあって」


待って、これ、もしかして蓮のことだってわかっちゃった? もしかしたら自分かも、とか。いや、そんな自己中な訳ないか? 
私がバレたかもしれないと冷や汗をかいていると、蓮はそんな私の気持ちとは裏腹に言葉を発した。

「そんな男、やめた方がいいですよ」

「えっ?」
それって、どういうこと? これは……蓮だってバレて、僕を好きにならないでくださいっていう、そういうやつ? フラれた? 違うよね、きっと違うよね。なんか前半悪いことしか言ってなかったから、私を心配してやめた方がいいって言ってくれたんだよね?

「もう好きになっちゃったんだから今更やめられないよ〜。それにすごく良い人だし!」
少しムキになって言う。でも蓮は相変わらず無表情で、
「先輩にはもっと優しい人がお似合いだと思いますよ」
なんて言ってきた。蓮は自分のことを優しい人間だと思っていないのだろうか。ううん、蓮は優しい。一般的な話をしてるだけだよね? 好きな人が蓮だってバレてないよね?
「その人もちゃんと優しいよ」
そう言って頬を膨らませると、蓮は「そうなんですね」とだけ言った。
なんか、うまくいかないなぁ。


「蓮の好きな子は? 全然話さないからたまにはいいでしょ?」
「えー、でも本当に何もないんですよ。普通に話したりはするけど、これといった進展もないし。そもそも好きな人いるんです。あんまりグイグイいって告白妨げるのも嫌なんですよ。その子が告白してうまくいかなかったら、そのときは全力で振り向かせます」
えっ、そういうものなの!? 蓮はやっぱり好きな人がいるときは、違う人からグイグイこられるの嫌なのかな……? いや、これってもしかして遠回しに私に言ってるのかな? 待って、私本当に蓮に嫌われてるかも……。ちょっと、いや、かなり傷つくな……。
「でも、それで別の子とうまくいっちゃったら嫌じゃない?」
「そのときはそのときです」
「えぇー、私は嫌だなぁ……」
じゃあ蓮は好きな子が告白するまで好きだって伝えないのか……。私は蓮とは違う考え方だけどそれでも良いのかなぁ。
「まぁ、人それぞれですけどね」
「そうだね……。じゃ、じゃあ、蓮の好きな子はどんな子なの?」


『移動教室のときいつも隣にいるあの子だよね?』なんて言ったら引かれる気がするから言わない。それを言ったら、いつも蓮のこと見てるって気づかれちゃう。本当は気になるけど。聞きたいけど、『そうです』って言われたらやっぱりと思いながらも心が張り裂けるのは目に見えている。結局私は臆病だ。


「え? えと、うーん」
蓮が珍しく顔をほのかに赤く染まらせて咀嚼する。
「可愛くて、優しくて、いつも一生懸命なところ……とかかな」
うわ……蓮がこんな風に恥ずかしがってるの、初めて見た……。蓮の好きな子は蓮をこんな風にさせるんだ。すごいな、羨ましいな。私も、蓮の好きな人になってみたかったな。
「最強じゃん、その子! ……頑張ってね!」
最後のはちょっと嘘っぽかったかな。そんなつもりは全然なかったのに。
ちょっとだけ、嫉妬してしまった。
「……先輩も、頑張ってくださいね」
「ありがとう」
私はそう言って微笑んだが、実際は複雑な表情をしていたに違いない。叶わない恋の相手からの応援。なんて皮肉なんだろう。私は人差し指に髪を絡ませていじりながら一点を見つめていた。


その日以降は特にこれといった出来事もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
そして、とうとう告白前日。
私はスマホとにらめっこしていた。笑湖(にこ)とのメッセージアプリでのやり取り。笑湖はどうやら私が最後の使命を果たすべきだと思っているらしい。

『だから、SNSなら簡単でしょ? 明日話したいことがあるから玄関で待っててとか、なんでも良いでしょ!』
『だって、それもう丸わかりじゃん! 卒業式の日に呼び出しなんて、告白しかないじゃん!』
『そうかもしれないけど! 恋澪(みお)、あんたそれで告白できんの?』
『え?』
『いつまでもそんな臆病でいいの!? しっかりしなさい星衛恋澪(ほしえみお)!』
言葉の端々から笑湖の私を思う気持ちが伝わってくる。口調は厳しいけれど、全部私を思っての発言だとわかっている。だからなおさら笑湖の言葉が胸に刺さるのだ。
そうだよね。思えば私はこれまでずっと笑湖に頼りきりだった。何をするにも笑湖に相談して、笑湖が解決策を出してくれるのを待っていた。今だってそうだ。でもこれは私の告白であって、あくまでも笑湖は第三者にすぎない。

『私ができるのはここまでだよ。あとは恋澪が勇気を振り絞るだけ! 私はなんの役にも立てなかったかもしれないけど、恋澪ができる子だってことは知ってるから。恋澪、がんばれ!!』

あぁ、本当にこの子は良い子だ。笑湖が応援してくれて、協力してくれて……。頑張らなきゃ笑湖にも失礼だし、そもそも本来なら私が一人で頑張ること。それを、笑湖が手伝ってくれたのだ。本当に感謝してもしきれない。

『笑湖……本当にありがとう。私、笑湖の親友になれてよかった。ほんとによかった。笑湖がいてくれたからどんなことも乗り越えられた。大学は違うけど、これからも笑湖の親友でいたいし、笑湖にもそう思ってもらえるような人になりたい。笑湖が不安になったり心細くなったときは私がいつでも笑湖のもとに駆けつけるからね。笑湖がいつも隣にいてくれることが本当に幸せなことなんだなって改めて思ったよ。ありがとう、だいすき』

珍しくこんな長文を送った。明日で笑湖ともお別れだ。学校が違うだけで会える頻度も一気に下がるだろう。だから、SNS上のメッセージだけでなく明日もちゃんと感謝の気持ちを伝えよう。

『もうっ、何言ってんの! こっちのセリフだし! 恋澪に出会えてよかった。私の方が恋澪にずっと親友でいてほしいと思ってるよ。こちらこそありがとう。大好き。』

笑湖はあまり簡単に“大好き”とかそういう言葉を言わない子だから、余計に涙が出そうになった。明日で、さよならか……。辛いなぁ……。

『じゃあ、とりあえず蓮に言ってくるね。明日いっぱい感謝の気持ち伝えるから、待ってて!!』
『わかった! がんばれー!』
『うん!』


笑湖の優しさを噛み締めながら、蓮とのトーク画面に移る。
よし、大丈夫。頑張れ、私。
何回も打ち直して、やっと『蓮〜明日卒業式終わった後さ、もし時間あったら玄関に残っててくれない? ちょっと話したいことあって……』と打ち終わった。うん、これでいいよね。
と、私がドキドキしながら送信ボタンを押そうとした、そのとき。

『恋澪先輩、明日一緒に写真撮りたいので玄関で待っててもいいですか?』

あろうことか連からメッセージがきた。
うそっ、写真? え、やばいやばいやばい! どうしよう嬉しい。
喜ぶのも束の間。私はこれから蓮にメッセージを送ろうとしていたのだ。つまり、蓮からのメッセージにすぐ既読がついたということ。蓮とのトーク画面をずっと見ている変態だと思われたらどうしよう……! そう思い、さっきの文字を消して、慌てて新たに文字を打つ。

『もちろん! 私も話あるから同じこと言おうと思ってた!』

すぐに既読がつき、返信もくる。

『そうなんですね。じゃあ玄関出て右側の方で待ってます。人が多いところ好きじゃないのでちょっと離れたところにいるかもです』
『おっけー!』

よし、これで良い。なんとかなってよかったー!
あ、緊張しすぎて今日は眠れないかも……。と思いながらも、いつでも睡眠欲だけはあるのでこの日もぐっすり眠りに落ちていた。


翌日、卒業式当日。
卒業式では泣かなかったけれど、卒業式が終わったあとの教室では色んな思い出が溢れてきて、笑湖の顔を見た瞬間に涙がこぼれた。少しだけ時間があったので、笑湖の席に寄る。
「笑湖……卒業おめでとうだね、お互い」
「そうだね……。おめでとう」
そう言ってふふっと笑い合う。
「笑湖、私、笑湖がいてくれてよかったよ。笑湖に出会えてよかったし、この高校に来て一年生のとき同じクラスになってそこから二年生、三年生も同じクラスになって、本当にこれは運命だよね。笑湖がいたから高校生活楽しかった。本当に……ありがとう……。笑湖と大学違うのはすごく心細いけど……笑湖との思い出は忘れられないから、大丈夫だって信じてる。……何かあったら……すぐ、私に言ってね。……私、ほんとに……笑湖のこと、大好きだよ。……笑湖に、出会えて……しあわせ……。親友になって、くれ、て……ありがとう……」
もう後半は二人とも涙で顔がぐちゃぐちゃだった。だけどそれでも笑湖は可愛かった。
「私だって……恋澪のこと、大好きだし……恋澪との思い出、全部大切にする、し……恋澪が、生まれてきて、くれたことから、感謝してるし……! ありがとう、なんて……私が一番恋澪に、言いたい、言葉、だし! だから……ありがとう。全部、全部、ありがとう」
それ以上言葉はいらなかった。私たちは教室の中の誰よりも泣いていたが、そんなことは気にならなかった。


みんなが帰る時間になって、ようやく私たちは泣き止んだ。笑湖の目が充血している。顔がパンパンだ。きっと私も同じような顔をしているんだろう。でもそんなことはどうでもいい。笑湖に「ほら、ここからが本番でしょ。涙拭いて」と言われたので、制服の袖でゴシゴシと涙を拭う。
「まだひどい顔してるよ」なんて笑う笑湖と一緒に、最後の階段を降りた。


「じゃあ、いってきます」
「うん。ここにいるから、いつでも来ていいよ。先に帰ってもいいしね。大丈夫。いってらっしゃい」
「ありがとう」
私は満面の笑みを浮かべてから、笑湖に背を向ける。きっと、大丈夫。


蓮の姿を探す。玄関付近は人がたくさんいて、蓮が人混みを嫌う理由がわかる。右の方に進むと、遠く離れたところに蓮がいた。
とくん、と全身が振動する。とくん、とくん、とくん……。
あと数十歩というところで蓮がこちらに気づく。
「あ、恋澪先輩」
「蓮」
あ、どうしよう、緊張してる。
「ご卒業おめでとうございます」
「……ありがとう!」
どくん、どくん、どくん。
「あの、先輩、僕、話があって……」
どくん、どくん、どくん。
「ま、待って、私からでもいい?」
あぁ、頭が真っ白だ。もう、心のままに行動するしかない。
「あ、はい、そうですよね。先輩、話があるって……」
「そ、そうなの。あのね……」
もう、後戻りできない。最後の力を振り絞って、頑張って言うんだ! 頑張れ!
「昔の話になるんだけど……私、生徒会選挙のとき、蓮は覚えてないかもしれないけど、蓮が励ましてくれたことがあって、その……それがすごく、嬉しくて、そこからすごい蓮のこと意識しちゃって……。蓮だけがかっこよく見えて、だから、その……」
言え、頑張れ!
「蓮のことが、好きなの」
唇を軽く噛む。言った、言っちゃった、どうしよう、怖い。でもなんだろう、この胸の爽快感。スッキリした感じがする。……蓮が何も言わないのが、気になるけれど。
そっと蓮の方を見上げると、蓮はぽかんと口を開けて驚いた顔をしていた。
そりゃ、そうだよね。
「あ、もちろん付き合って欲しいとかではなくて、ただ、卒業するからその前に伝えておきたくて……」
補足するように言ったが、それでも蓮は何も話さない。ただただ信じられないといった顔で突っ立っている。
「……えーと、それで、蓮の話は……」
「付き合ってください」
「……え?」
今、なんて? 幻聴? 
「俺と、付き合って」
今度は私がぽかんと口を開ける番だ。俺と付き合って。おれとつきあって。オレトツキアッテ。え、は? どういう、こと? 蓮は、私のことが、好き、なの?
「今日、恋澪先輩に告白しようと思ってた。写真は確かに撮りたかったけど、ただの口実で、ずっと恋澪先輩に片想いして、た、と思ってて……でも先輩は……先輩の好きな人は……」
そこまで言って蓮は顔を甘く熟したいちごのように真っ赤にさせてつぶやく。
「俺……だったんです、か?」
うそ、うそ、うそうそうそうそ。
「そ、そうだよ……? 私の方こそ、蓮に片想い……。だって、蓮の好きな人は同じクラスのあの子なんじゃ……?」
「……? 誰ですか?」
「移動教室とか、いつも隣にいる……」
そこで蓮がハッとする。
「いや、あいつは、中学が同じなだけです。俺と仲良い俺の友達のことが好きで、違うクラスで接点が少ないから相談に乗ってただけですよ……」
「え、そうなの!?」
自分の間違いに恥ずかしくなるのと同時に、嬉しさが込み上げてくる。
「じゃ、じゃあ……ほんとに私のことが……」
「好きだよ」
……え、どうしよう。なにこの気持ち。知らない。これが勇気を出した人にしかわからない気持ち……? 嬉しすぎて本当に天に舞ってしまいそうだ。
そこで蓮がしゃがみ込んだ。
「はぁー、まじかよ。嬉しすぎてどうにかなりそう」
……! 蓮も、同じ気持ち、なんだ……。わぁ、どうしよう。どうしようもないけど、どうしよう。
「じゃあ、その、返事は……?」
蓮がしゃがんだまま顔を出してこちらを見上げながらおそるおそる言った。それがすごく可愛くて、またどうしようもない感覚に襲われる。
「もちろん、おっけーに、決まってるじゃん……」
「よ、かったー!」
信じられない。私、蓮と付き合うことに……なったんだよね? 信じられないくらい嬉しい。
そこで蓮が立ち上がる。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「よ、よろしく……!」
嬉しくて、私の目からはまた涙がこぼれてしまった。
「え、どうしたんですか……? 大丈夫?」
蓮の心配する声が降ってきて、それがまた涙腺を崩壊させる。
「違う、の……嬉しくて……」
「……それならいいけど……さっきのは……?」
さっき……? 蓮に会いにきたときだろうか。笑湖と泣きすぎて目が充血していたことに気づいたんだろうか。しばらく水で冷やしたりしていたから大丈夫だと思っていたのに。
「それは、親友との別れが、寂しくて……でもよく気づいたね? 結構いつも通りに直したはずなんだけど……」
「……気づかないわけないじゃないですか。……好きなんだから」
顔が熱くなるのを感じる。好き……好き……。
照れ隠しのように袖で涙を拭っていると、蓮が手を伸ばしてきた。
「だめですよ、ゴシゴシしたら。傷がついちゃいます」
「え……」
そのまま腕を下ろされて、蓮は自分でも自分の行動に戸惑ったかのように、私の方を見下ろした。
「えっと……」
私が声を上げるのと同時に、蓮が私の頭に優しく触れて、自分の胸に押し当てた。
「向こうに人たくさんいるので、少しだけ、ですよ」
蓮の胸にすっぽりおさまった私はもうパニック状態だ。涙なんてとっくのとうに引っ込んでいる。蓮がこんなことするなんて誰が想像しただろうか。私は戸惑いながらも思いきって腕を蓮の体に巻きつけた。蓮が今どんな顔しているかはわからないが、蓮の心臓が私と同じくらいうるさくなっているのはわかった。これが、私の高校生活最後の思い出となった。後々色んなことを思い出して爆発することになる。


それから少し経って蓮とはバイバイして、笑湖の元へ向かった。私の報告を聞くと、笑湖は自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。おめでとう、と何度も何度も言ってくれた。私は笑湖に今日何度目かもわからないありがとう、を心を込めてたくさん言った。
私の高校生活は、こうして幕を閉じた。