3月7日

孝行さんへ

少し落ち着きました。
葬儀にも来てくれてありがとう。
堂々と「大学の先輩です」って言うから、ちょっと笑っちゃった。嘘じゃないけどね。

1週間も一緒に居てくれて、本当にありがとう。
毎日来てくれて休みの日は一緒に居てくれて、本当に嬉しかった。
まだ夢みたいにふわふわしてる。孝行さんと付き合うって、現実感が全然ないよ。
本当に?私、都合の良い解釈してないよね?

心配かけてごめんなさい。
おばあちゃんが死んでしまったことはもちろんショックだったけど、少し前からあまり調子が良くなかったから…。急ではあったけど。
それだけじゃないって、すぐにわかっちゃうの、すごいなあ。かなわないや。
上手く言えないから、手紙に書くね。

父はね、母が私を産んだのは「間違いだった」って昔言ってた。母は体が弱くて、私を産んですぐ死んじゃって、父は海外での仕事があった。私は父から母を奪った上に、邪魔になる存在だったんだろうね。
子供の頃から、おばあちゃんだけが私の家族だった。
喪主だった人は北海道の父方の伯父で、と言ってもほとんど交流はなくて。おばあちゃんも父のほうのおばあちゃんなの。母方とは会ったことがない。そこはよくわからない。
めったに会うことのなかった伯父だけど、私と父がこんな状態になってるなんて知らなかったって、私に謝るの。伯父さんも伯母さんも悪くないのにね。

結局父は通夜と葬儀だけ出て、また海外へ戻っていきました。(どこにいるかも、結局私は知らないままです。だって、そんなに親しく話すほど、父を知らないんだもの。もしかしたら、向こうに家族を作っているかも知れない。)
帰り際、父と少し話す機会があって。
この先大学を卒業して就職した時、結婚したくなった時、もしも子供が産まれた時、どうしますか?連絡いりますか?って聞きました。
答えは、なかった。
困ったような顔で固まっちゃって。笑っちゃった。
きっと連絡しても、来ないな。って。
最低限はメールか何かはしてくれるんだろうけど、それだけなの。死んだら、今回みたいに帰国して来るかもね。
私は、父の家族にはなれなかったし、私も彼のことを家族とは思えなくて。最初、本当に誰だかわからなかったもの。それはお互い様だった。
初めから父にとって私はいらなかったんだなって。
でも少なくとも、母は私のこと命がけで望んでくれた。おばあちゃんもたくさん可愛がってくれた。伯父さんも、いつでも頼ってって言ってくれた。伯母さんもしばらくこっちに居るよって言ってくれたし、その気持ちだけで嬉しかった。
そしたら、もういいやって。自然に思えた。
好きに生きることにした。
今は、孝行さんがいてくれる。
この先の保証はなくても、それだけで今は自力で立っていられる。

今が春休みで良かった。
また授業が始まる頃には、普通に生活ができそうです。

思いつくまま書いたので、ごちゃごちゃだね。

英里