地下の扉が近づくと籠ったような低い音が耳鳴りのように聞こえてきた。思わず耳を塞いでしまいたくなるほどの音で、神経をあまり鼓膜に集中させないようにする。なんとか扉を開けると、その音は一つの音楽として今度は溶け込むように耳に入ってきた。店内に流れるこの音楽はおそらく誰もが知っている有名な曲のベース音だと思うのだが、どうしてベースの音だけを流しているのか謎である。ただ、この部屋は薄暗く落ち着いた雰囲気があり、原曲を流すには少し違和感がある気もした。まぁ実際のところ理由は分からないけれど、そんな不思議な空間がいつになく新鮮で、めずらしく私の心臓は高揚感で満たされていた。あまりの興奮に胸の真ん中から心臓だけ飛び出しそうな気さえしている。

 入り口から奥へと進んでいくとバーカウンターがあり、その横にはグランドピアノとベースが置いてある小さなステージが設けられていた。ギターやドラムが置いてある訳ではなく、ピアノとベースのみ。今までこんな風景を一度だって見たことがあっただろうか。

 店内に鳴り響くベース音と実際に置いてあるベースを眺めていると、不思議な感覚に陥っていく。そういえば何語なのか分からなかった店名にも、日本語読みをすると『ベース』という文字が入っていた。もしかするとここはミュージックバーのような場所なのかもしれない。だけどこんな時間に何をするというのだろう。それに今、私が見る限りでは店内にお客さんらしき人は見当たらない。そんな店ごとベールで包まれたような不思議な空間は、今にも私をどこかへ連れ去ってしまいそうだった。