今日のシフトは磯村君とだったので私はこのお客さんのレジをすることが許されている。別に三浦さんとのシフトだからといって許されていない訳ではないけれど、以前あんなことを言われた手前なんとなくやりにくいところがある。それにしても休日に彼らの姿を見るのは初めてだ。そのせいか二人の姿はとても新鮮に映った。おじいさんの服装はもちろん毎日変わらないけれど、守さんはいつものスーツ姿ではなく上下スエットというなんともラフな格好である。普通の人なら少しだらしなく見えるその姿も長身でスタイルの良い彼の場合はそれすらもオシャレに見えた。
いつものようにお弁当をカウンターに置いた彼の口からタバコの番号が言い放たれるのを待っていると、その口からは数字でない言葉が発された。
「君はなに?新人さん?」
その言葉に私の体がビクッと反応する。それからすぐに全身に流れる冷や汗のようなものを感じ始めた。これはきっと緊張ではなく、怒りのせいだと気づく。さっきの会釈はなんだったのか——苛立ちはどんどん大きくなっていく。
今までどれだけこの人の接客してきたのか、その数は計り知れない。そしてつい先日あんな出来事があったというのに、彼はもうそれも忘れてしまっているのだろうか。本当は一発殴ってやりたいくらいだけど、私は店員で彼はお客さんだ。ここは冷静に、そして礼儀正しく対応するべきだ。もう三年も働いてきたのだから、それくらいのことは私にだって可能である。
「何この人、態度悪い。溝口って名札ついてますけど」
横にいる彼が珍しく声を荒げた。
「いえ、もう三年働いてます」
私の言葉に守さんがこちらを見つめた。それから下を向くとクスッと笑みを浮かべて、
「うん、それは知ってる。君……いや、ごめん。溝口さんじゃなくて、そこにいる彼のことを言ってるんだけど」
そう言って私から焦点をすぐ横へとずらした。状況が飲み込めない私はただ二人の顔を交互に見ることしかできない。何が、起こっているのだろう。
「へぇ、僕のこと見えるんですね。じゃあ、あなたの後ろにいる人も認識済みってことですか」
「もちろん。俺のじいちゃんだからね。二年前に病気で死んでからずっと俺にくっついてる」
「あ、やっぱり守さんのおじいさんだったんですね!」
意思に反して心の声がこぼれ出てしまった。まずいと思って咄嗟に両手で口を覆ってはみたものの、そんなことは多分してもしなくても変わらないだろう。
「大丈夫。ずっと知ってたよ。君がじいちゃんの存在に気づいてること」
「はぁ……そうですか。なんかすみません」
理由もなく謝ってしまった私に、「なんで芽依ちゃんが謝るの」と横から突っ込みが入った。そんなやりとりの中、それまで一言も発していなかったおじいさんがやっと口を開いた。
「守、早く本題に入らんか」
カウンター内で横にいる彼と顔を見合わせた。それから二人で守さんに顔を向けると、彼は一枚のメモ用紙を差し出してきた。小さなその紙にはどこかの住所が記されているようだ。
「今晩一時にここに来てほしい」
「一時って、深夜のですか?」
あまりに不自然な時間設定にさすがの私も勢いよく聞き返した。それに上乗せするように、
「そんな時間に女の子呼んで、何企んでるんです?」
と、怪訝そうな表情の彼が守さんを見ている。
「んーそうだね。この時間にしかできないこと、かな?」
それに対して瞬時に横から「は?」という言葉が出たところで嫌な予感がして慌てて口を挟む。
「ちょっと待ってください。もう少し詳しくお話を聞かせていただけませんか?」
私の声を聞いて我に返ったのか、横の彼はカウンターを飛び越えて守さんの前まで行きかかっていたのをやめて、もう一度私と肩を並べ直した。
「詳しくは今夜話すから、とりあえず来てほしい」
守さんは私に頭を下げると、
「大丈夫、君が想像してるようなことじゃないから」
少し笑いながら今度は隣の彼にそう伝えた。
「君、じゃなくて木嶋です。木嶋碧斗っていいます。僕の名前」
「木嶋君ね。俺は東堂守。よろしく」
「どうも」
笑顔を向ける守さんに一言だけ答えると、彼はもうそれ以上口を開かなかった。正直こんな姿を見たのは私も初めてで、彼になんて声をかければいいのかわからなかった。
守さんがお弁当を買って店から出ると、ドアが開いた瞬間に聞こえる雨の音はさっきよりも強くなっていた。