見慣れた景色を眺めているうちに、この車の行き先に嫌な予感がした。
この先の交差点を右折したら、行く場所は限られている。
右折した先の道路は、この大通りに比べたら、かなりの狭い道幅になる。
というか、ある建物へ行く為の道路に過ぎない。
10年前の私の記憶から変わっていなければ、この道路沿いには民家は無かったはずだ。
あ・・・・、右折しちゃったよ。――――ということは。えっ?やっぱり、行き先って・・・。

「せんせ?」
「ん?どうした?」
「この車って、医大に向かってますか?」
「よく気づいたな」
「そりゃ、気づきますって。じゃなくて、片瀬先生、入院してるの??」
医大に向かってるって事は、少なからず片瀬先生がそこに居るってことだよね・・・。
「ちゃんと説明しておかないと、椎野も混乱するよな」
相変わらず、真っ直ぐと前を向いた日向先生の声色は、今まで聞いたことのない低音だった。
「まず。片瀬先生と俺は従兄弟なんだ」
「い、いとこ?」
初めて聞いた。在学中にそんな噂、一度も耳にしたことがない。
SHRやLHRで2人を見ても、特別親しそうな雰囲気もなかった。
「母方の従兄弟。健治と、あの学校で会ったのはビックリしたよ。俺もだけど、アイツも。ましてや、どういうわけか正副担任として従兄弟同士が揃うしな。とりあえず、お互いに初対面を取り繕ったよ。」
あぁ、なるほど。だから、毎日2人を見ていた私たち生徒も、気づかなかったんだ。
でも、どうして?どうして片瀬先生は教職を退いたんだろう?
「片瀬先生はなんで、教師を辞めたの?」
「アイツの実家は大手の不動産会社なんだよ」
その後に口にした企業名は、県外に出た私でも知っている会社だった。
「10年前、ちょうど椎野たちが2年生に進級した直後、親父さんが心筋梗塞で倒れてな。長男だったアイツは、家業を継ぐように親族から言われたんだ。アイツも結構悩んでた。新年度に変わったばかりだろ?そんな中途半端に仕事を放棄したくないからと、年度末になるまで待って欲しいと交渉を繰り返してたよ。」
そう言ったのと同時に、車は医大の駐車場に着いた。
空いてるスペースに車を入れて、サイドブレーキを引く。
焦点をどこに合わせていいのか分からぬまま、私はフロントガラスの先にあるアスファルトを眺めた。
日向先生はそんな私に脇目も触れず、話を続ける。車から降りることもせずに。
「本来ならば家業は弟が継ぐ話になってたんだよ。でも当時、その弟はまだ大学生。そうなったら、アイツが会社に入るほかないだろう?中途半端な時期だったけど、アイツは教職を退いたよ。その後は、親父さんの片腕として我武者羅に仕事をこなしてた。時々会うと、必ず椎野のことを聞いてきたよ。椎野が卒業するまでの間、ずっと」
「ずっと・・・?」
「卒業するまではな。さすがに、卒業後は俺でも分からないだろ?」
コクリと頷いた。片瀬先生があの時期にそんな状況に追い込まれていたなんて知らなかった・・・。
私は・・・、私は好きな人の何を見ていたんだろう。
「健治はずっと・・・会社人間だった。結局、何もかもを諦めたんだろうな。それが仇となって・・・」
言葉を飲み込む音が聞こえた。
「仇?仇って、何のことですか??」
「不摂生な生活が続いてたんだろうな。半年前に大腸癌が見つかってな」
「ウソ・・・ですよね」
「この場所でウソを言ってどうする?」
「信じたくないんです」
「俺も最初は信じたくなかったよ。アイツ、まだ33歳だぞ。しかも、半年前に全摘出した筈の癌細胞が生き残ってやがった。今度の癌細胞を摘出しても、完治でもないし、再発は避けて通れないんだよ」
再発・・・は避けて通れない?それって、癌に負けちゃうってこと?
「会ってくれるよな?」
無言で私は頷く。ここまで来て、会わずに帰れるわけがない。
それを確認した日向先生は「行こうか」と呟いて、ドアを開けて、先に車から降りた。
私もその後を続くように車を降り、医大の建物に引きずり込まれていった。