SSS
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「そろそろ離れてくれ」


 そう訴えのは、そいつがぼくから離れないからだったし、ぼくはぼくで、そろそろ布団に入って眠らなきゃいけなかったからだ。

「いや」

だが、やっぱりそれを拒否された。さっきからこうだ。僕の部屋まで付いてきて、じっとぼくに貼り付いている。


  今までこいつはあまり、ぼくには関わらないのが普通だったのだが──どうしてなのか、最近はずっと、不安そうに、ぼくのそばにいるようになった。


どうかしたのだろうか。その切実な感じを見ていたら、つい、なにも抗う気が無くなりかける。でも、だ。


「……でも、とりあえずは──寝かせてくれないか。ぼくは朝早いんだよ」


答えがない。服の裾を掴まれて、俯かれてしまった。見ていたら、少し、可哀想に思えてくる。


「……わかったわかった。こっちで一緒に寝るか?」

 その問いかけに、ちら、とぼくを見たけれど、やはり不満そうだった。求めるものがわからない。まあ、いいや。

「じゃ、おやすみ……」

考えてもわからないし、とりあえず、ベッドに向かおうとする。服の裾が、合わせてびよーん、と伸びる。引っ張られている。離して、と言おうとしてやめた。どうせ離さないよな……

「……つかれた」

──と、突如、そいつは言い出した。やっぱりなにか不満そうに。だからぼくは、なにをかは、よくわからないが、本心を応えた。

「わかってるよ。お前は頑張ってるんだよな、すごいよ」

 
 そうしたら、やっと、嬉しそうに微笑む。えへへ、と。どうやら正解だったらしい。たしか、こんなことが以前もあった。

「……そんなに嬉しいのか?」

 ちょっと機嫌が治ったっぽいので、聞いてみると、まつりは少しはにかんだように答えた。幼さが混じるしぐさだった。

「だって、今まで、ほとんど誰も、言ってくれない」

「そっか。ぼくは、ちゃんとわかってるよ」


飛び付かれる。だから危ないって、と思いながら、咄嗟にベッドに倒れ込む。まつりは嬉しそうに、少し体を起こして、ぼくを見ていた。

「せっかく押し倒せたし──このまま言いなりにされてみない?」


突然何を言い出すのかわからないやつだった。


「なんに対する問いかけだか知らないが拒否する」

「む……愛情に餓えている」


「……ふうん。頭でも撫でてやろうか」


「嫌だ。夏々都の歪んだ顔をみて癒されたい」


 それは愛情なのかよ。
いちいち反応しては敗けだ。そうですかと、面倒になって、そのまま寝ることにする。まつりは布団の中に入らないと風邪を引く、とぼくを起こす──なんとなく、懐かしい気がした。あの頃のぼくらが。

 あの頃が──お屋敷が、ずっと壊れないでくれたら、良かったのだろうか。今となってはどうにもならないことだけれど、たまに、恋しいような、奇妙な感覚に見舞われる。夏休みの蝉の声が、脳内に反響する。



が、弾けて消えた。
ここは、自室の、ベッドの上だ。

……だめだ、またボーッとしていたらしい。なんとなくそんな予感はしたのだが口付けられていた。やたらと熱く絡んでくる。めんどくさい。押し倒せたので顔に手を添える必要がないのだろうか。

 なんにしろ、好きにされていくだけで、身動きは取れなかった。風邪を引くとかはどうなったのだろう。別に、今さらときめくわけでもないし、頭の中が、一時的にふわふわしたりするだけだ。まつりの動悸なども至って正常なものだった。平然としている。


 もともと、こいつの感覚は、ややイカレ気味なので別になんにも思ってないだろうし(しかしそれでもぼく以外、人様にはその面で迷惑をかけないようにしているのだとか)、ぼくもたぶん、どこか壊れているらしい。

まつりに拒絶されないなら、ぼくは生きていられるから、どうだって構わないことだ。もし嫌われてもそばにいられるし、こいつに殺されても、恨んだりしない。拒まれなければ、それでいいのだから。諦めてゆっくりと目を閉じてみる。
確かに、少しは恐怖感がマシになっているような気はした。


 何か思うところがあったのか、少しして、まつりはふと、ぼくから顔をあげた。


「──ん……どうした?」

「いや、なんか、つまんないなと。嫌がってくれていいのに」


「ふうん……あ、そうだ、お前って、ぼくのことは、好きか?」

ふと思い付いて聞いてみる。どんな答えが返ってくるのか興味があった。そいつは戸惑わなかった。照れもせず、自然な会話の流れとして、答えていた。


「愚問だよ。好きとか嫌いとか、どうだっていい」

それは、ぼくと同じ答えだった。
そういうものが、欲しかったわけではなかったし、そういうものを、求めたからそばにいるわけじゃない。最初から、ただ、自分かそうしようと思っただけ。
 いつかどうしようもなく嫌いになったとしても、そこにいたのなら、同じように守るだろう。そいつに傷つけられたからといって、それで見捨てたりもしない。

 好きか嫌いかなんて考えていなかった。ただ、環境のように、当然に、あるべきものとして、やるべきこととして。居るべき存在として認めていた。


「ぼくもだよ。──きっと、ぼくはあそこに居たのがお前じゃなくても、助けていたんだ」


「だろうね」


「ああ。目の前にいたのなら、誰であれ絶対に、結局同じことをしようとしていたよ」

。咄嗟に好きとか嫌いとかで、人を選んだりはしなかったはずだ。仲とか、信頼とかは、どうだって良かった。

 助けるか助けないか、ただ、それだけの選択しかなかった。好きとか嫌いとか、知ってるとか、わからないとかは、いざとなれば関係がないことで、ただ、そうあるだけのことでしかない。




 油断していたら唐突にさっきまでのことを再開されそうになったので、ごろんと背中を向けて、改めて、いつの間にか開けていた目を閉じる。


そうだ、このくらいの方向転換は出来たのだった。じゃあ、寝よう。


「えー、まだ夜は、これからなのに……」


目を閉じていると、不満そうに言われた。どんな顔をしているか、気になって目を開けてみたが、無表情だった。本当に、歪んだ顔がみたいだけの動機らしい。歪んでやがる。こいつも、ぼくも。


「うるせぇよ。空は徐々に朝に向かってんの」


「なにそれ、変なの」


特に興味もなさそうに、ぼくから離れて布団の中に入り始める。掛け布団に乗っていたぼくは、反対に転がりそうになる。真ん中を占領して寝始めた。

「おい、せめて枕を返せ。枕が変わると眠れない!」
「ん……一緒に寝るんじゃなかったの」


真ん中を占領しておきながら何を言うのだろう。


「ひどい洗礼を受けておいて、隣でなど寝れるか」

「あんまり嫌がってなかったけど……」


「ぼくの表情は、ほとんどかわらないんだよ」



それもそうだね、とそいつは言って、それから静かになった。眠りについたらしい。ぼくはとりあえず、枕を引っ張ってみる。

「動かない……」

ため息を吐く。
なにもかもが、ただ「それだけ」のことだった。

-END-