恋とキム
コリゴリは意識をほとんど失くしかけていた。体が動かないし、あの生きものが今、どうなっているのかわからない。
頭を打ったらしく、起き上がると考えるだけで後頭部が鈍く痛んだ。
目を開けるのも億劫だ。
部屋は思い切り荒れているし、それに、愛してると書かれた大量の紙……証拠の品々が、まだ、隠滅出来ていない。
早く戻って報告しなければいけないのに。
「──人を好きになって、それを自慢したい、他の人には出来ないことだから喜びたいのはわかるよ?」
ぼんやりした頭で、ふと誰かの声を聞いた。
「自分が偉くなった気がするんだよね、恋って。
周りからみたら、それって偉そうになっただけなのに」
体が、動かない。
これは、誰の声?
誰に、言ってる?
「私は──性格が悪いなんて、他人を好きなるような人から言われたくないし、あなたも、他人を好きになるような人────だから私は、あなたが嫌い。死んで、ほしい」
────告白!
誰かが叫んだ。
それと同時にコリゴリは目を開く。
少女が椅子を担いだ状態で、目の前に立っていた。
「告白───! 告白! 告白──────────っ!!」
「───イウナ……」
その前にいる怪物は、頭を抱えて唸っている。
その足元に生まれている小さな怪物たちも怯えてひとかたまりになる。
「イウナアアアアアアアア!!!! ナゼイウンダアアアアアアアアア!!!」
少女の抱えている椅子が光りだし、怪物を殴りに行く。
しかしさすがに堅い。
「アアアアアアアア!!! スキダヨオオオオ!!!!」
「私は、嫌い──あなたが!!あなたなんかが大嫌い!!」
「あらぁ……可哀想に」
少しずつ落ち着いてきて、コリゴリはぼそ、っと呟いた。
「ギアアアアアアア────!!!! アアアアアアアアアアアア─────!!ジュンスイナオレノココロ!!!」
手に数枚、散らばった紙を拾うと少女はそれを椅子に与える。
(──って、いうかあの椅子はなんなの!?)
「折れなさい!!あなたのジュンスイナココロ!!」
椅子が紙を溶かしながら取り込むと、それが火をつけて吐き出され、怪物に向かって飛んでいく。
「嫌い! 嫌い! あなたが大嫌い!!あなたに嫌われるためなら、私は何度も言う! 心底嫌いなの! あなたが、邪魔で仕方がない」
怪物は耳を塞ぎながら呻く。
火をつけた紙のいくつかが怪物の体につくとその部分を燃やし、穴をあけた。
「イウナ……イヤダ……イヤダ…………イヤダ……イウナ……イウナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ミトメナイイイイイイイイイ!!!」
しかし怪物は多少穴が空いたくらいでは死なず、叫びながらバタバタ音を立てて跳びはね、壁を殴り付ける。
壁を殴り付けた衝撃でカレンダーが舞い、棚から皿が溢れ、テーブルに数枚散った。
思わず耳を塞ぎたくなる。
同時に窓の外に様子を伺いにいっていた怪物の体の一部も少しずつ部屋に戻ってくる。
「アーアアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー!ジュンスイナオレノココロー!!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアジュンスイナジュンスイナオレノココロー!!」
腕を巨大化させると、少女に向かって振り下ろす。椅子が盾になり、直撃を免れるも彼女も壁に背中をぶつける。
「聞きなさい。
他人を……好きになれるのは、才能よ。あなたには他人を好きになる才能があった……けれど、今はたまたまそれを間違って使ってしまった」
「ナンナンダヨソレナンナンダヨソレーアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
体ををぶつけた衝撃で、前へ歩きながらも、少女はよろける。テーブルに脇腹がぶつかり、痛そうな悲鳴をあげて踞る。
そのときにちょうど、コリゴリと目が合った。
「あ……コリゴリ」
無表情で、でも少し安堵したような眼差し。
なにも言えずに居ると、少女はまた怪物の方に向かっていく。
「キミハア! トクベツウウウウウウウウ!!!」
苦しそうに叫びながら怪物が少女にまた腕を伸ばす。両腕を巨大化させて挟み込む。
うまく避けられずに抱えられた少女は、怪物に笑顔を向けた。
「で・も・私・に・は、あなたがトクベツじゃない!! あなたに私がトクベツだとしても!!みんな、私を悪魔だと言っているから、みんなにとってそうなの! 何にも響かない!! あなたは、周りとおんなじ!」
怪物の光る目が少女に向けられる。彼女はそれを冷めた目で見ている。
「スキダヨオオオオ────! チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキ」
「このっ、鳴き声!」
コリゴリは口から血を吐き出しながらも思わず口にした。
「目を合わせちゃだめ────!」
コリゴリは立ち上がる。
頭がめちゃくちゃ痛い。
気分もよくない。だけど、だけどあれは。
あの鳴き声は、聞き覚えがある。
忘れもしない。あれは。
怪物が不気味に笑い、その顔から大きな禍禍しい瞳がのぞく。
いつのまにか怪物の顔はほとんど目になっていた。
「……チューキッ……ンーマッ!!」
少女は腕を固定されたままだったが抱えた椅子で、怪物のひざ辺りを強く叩いた。
バランスを崩した隙に、と思ったのかもしれないが、小さな怪物が群がって怪物の足を固定する。
────クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ
体をによじ登ろうとするそれを、なかなか振り払えない間に、怪物の目が更に強く光始める。
「チュキ……チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキ……チュキチュキチュキ」
「ぐっ……」
少女が苦しそうに呻く。これでは身動きが取れない。
「……うるせえ雑音!! 大っ嫌い! 私は嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い」
コリゴリはテーブルの下に居たまま、冷や汗をかいていた。
あの鳴き声は──昔の現場で聞いたことがある。
コリゴリは声を振り絞った。
「お嬢ちゃん、それは……そいつは、言葉など通じない、たぶん、それじゃあ、倒せないのよホォ」
「……」
一瞬、少女と目が合う。
「あれはね──」
少女は少し悲しそうに、コリゴリと同時に答えた。
「「キム」」
キムが何なのかは誰も知らない。
噂に寄れば戦時中に行われ隠蔽された呪具の類いで、今でもときどき姿を見せるのだという。
可愛がった子どもを殺し、金属に血や肉を混ぜて作ったもので「好き」のある場所に寂しさから現れる。愛の反対、さみしい、こわい、いたい。
「楽しそうな場所に、昔はよく現れた。おじいちゃんが、言ってた」
「……そう」
「スキに、集まって、スキになろうとして、なれなかった──永遠に、なれなかった」
生きることも、死にきることもなく、何にもなれなかった、それがずっと長い間、争いに使われた。
「だから、わかっては、いるの。
仕方がないんだよ」
「!?、……!?」
少女を捉えている怪物が目を見開きながら驚いている。なにかをしようとして、出来ないでいるらしい。コリゴリも不思議に思った。
彼女はまだ平然としている。(あれ? 昔新聞やニュースを騒がせたキムの手は、問答無用でスキダを取り出すことが出来たのに……)
「残念だったわね、私は────スキダを人間に対して発動させたことがない」
コリゴリは今なら、と腕を伸ばし、小脇に抱えて束ねていた紙束を渡す。
「これを!」
意図を汲んだらしい。
椅子から触手が伸びて紙を次々に飲み込んだ。
──かと思えば、棘のある触手に変化し、怪物にのびていく。
キツく怪物の腕を捻りあげていると、少女を抱えている力が抜けたため、彼女は椅子を抱えたままそこから抜け出る。
「助かりました」
少女がコリゴリになにか挨拶しようとしたが、それもそこそこに、怪物はまたすぐにぐにゃぐにゃ蠢きだした。
「ではまた」
彼女を捕まえようと動き回る。部屋のなかを二人がかけまわりしばらく鬼ごっこが続いてい
た。
「はぁっ、椅子さん……」
「わかっているわよ」
「キム、見たのは、さすがに初めてかもしれない」
椅子と話している……?
しかしコリゴリに聞こえるのは少女の声だけだ。
「スキダになれず、キライダになれなかった物、だよね……
今、効いたのは、送りつけられた紙に火をつけたものくらい」



