政略
初めてスキダを向けられたとき。
政略結婚したときにはなかった発作が、娘が生まれると途端に始まった。
部屋を荒らして、腕に切り込みを入れまくった。痛い、痛い、痛い。
わけのわからない刺激で完全に意識がコントロールをなくしていた。
胸が熱く、情報の判断が出来ず、麻薬かなにかの作用ように辺りが歪み、ときに幻覚を見せ、世界ぜんたいから判断を迫り、詰られるようだった。
カッと頭に血がのぼり、ただ、感じたことのない不安と聞いたことのない恐怖に支配されたときに、身体は思わずビルの窓際へと駆けていたほどだった。
なぜ自分がそうしているのかわからないが、怖い、辛い、痛い、逃れたい。
ガタガタと身体中が震えて吐き気がした。
目が回り、発狂し、自分の壁を作らなくては死んでしまうというパニックに陥る。
こんなものが、医学書に載っているだろうか?
── 恋は、本当に、病だったのだ。
最悪だったのは、 それが町中に行き渡り監視対象になったこと、そして私の病を市内の住民は嘲笑う対象に選んだこと。
それでも、私は生きてきた。
旦那からときどき距離をとり、発作が起きないように薬を飲み、壁を作れるように努力してきた。
そして、そんな市民にどう思われても構わない。だから仕事の合間に強制恋愛の反対を掲げた本を書いたり、チラシを配ったりと活動にも力を注いだ。
これからもきっと、この町、この国に理解されないだろうけれど私は満足しているのだ。
「今ごろ、あの子はどうしているかしら……」
そんな日々を思いながら自動車庫の暗闇のなかで、椅子に縛り付けられたままに彼女は娘を思った。
ややしわのある頬。肩まである薄い水色の髪は加齢でほとんど白くなっている。
────今の彼女は爆撃に合い、恋愛至上主義者に連行されてしまっている。娘が瓦礫の下にまだいるかもしれないが、今動くことは出来なかった。
まだ幸いにもここに、私をスキダという者は現れず、発作は起こっていない。
インフルエンザの新薬の副作用のように、恋にも副作用があるのかもしれない。
「グラタンさん、静かにしていてください」
サングラスをかけた男がにやりとわらう。
「こうやってさらわれたのは、あなたが、それだけ、みんなから愛されているということですよ」
「どうでもいいわ。愛されていようといまいと、私は病気だもの。愛されているなんて知っても知らなくても、変わらない。娘は無事?」
「さぁー、どうでしょうね」
男があきれたようにわらう。
「大方、性被害が怖いのでは? あなた、男嫌いですよね」
「違う」
「うるさい恋愛嫌いは、男嫌いと決まっている!!!」
「キャアアアア!!」
強い蹴りが飛んできて、椅子ごと倒される。咄嗟に頭をかばった。
「いいか、男嫌いだと言うんだ、殺されたくなかったらな!」
「誰が言うもんですか。同性も嫌いだわ」
「ふん、そう言ってられるのは今のうちだ」
男はにやりとわらうと背後からなにか取り出した。
「これは、キム金属でつくられた特殊な片手でな」
ゴツゴツした固そうな義手が、わきわきと掌を開いたり閉じたりするのを見せたかと思うと彼女の姿に翳した。
「キムの手に抗える心があるはずがなし!」
キムの手が柔らかくしなりながら、彼女の方に向かう。
『チュキ…………』
「え──」
『チュキ…………チュキ…………チュキ……』
金色に輝く義手が囁きながら彼女の頬に、首に触れていく。
──なに、これ。少しずつ発光するキムの手は、ゆっくりと牙を向いた。
彼女の心臓部から、魚の形をしたクリスタルが少しずつ引き出される。
「──あぁ…………や、めて」
『チュキ…………チュキ……』
男はサングラスの目を俯かせ、表情が見えなかった。



