椅子こん!




自由のなかの戦争








女の子が外に走って行くのを見届けて、
もう一度椅子さんを抱え直す。

「悪魔だから大丈夫。大丈夫」

もう一度呟くと、なんとなく辺りに、シンとかわいた静寂が響いた気がした。
「……」

 私は、こうやって生きている。
騒ぎで足元に散らばった紙が、生々しくそのことを遠回りだけどダイレクトに伝えていた。そこにある写真が、言葉が、汗や血で滲む。

──こうして、画面の奥に居た。
誰にも知られず、誰かに知られて、透明だけど、確かに私は私だった。
 スキダが動くと、それに合わせて盗撮写真が、ばらばらと宙に舞う。
私は「私というメディア」をみて、私だけの世界で、悪魔で、透明ななかで、ずっとこうやって、なにかと対峙することをやめていた。

「さて、それじゃあ此処から……」

新しい盗撮写真が、私の最期まで飾ってくれるだろうか?
それとも、初めて、
写真にも映らない、観察されない可能性を秘めた時間が此処に内包されるのだろうか?

「不思議。悲しいのに、自由だ」

ドロドロした巨大な人型になったそれと改めて対峙したときだった。
椅子さんがふわっと浮いた。

「えっ? なんで、まだ、あそこに……」

 強引に私ごと動いて玄関に向かって行くので、怪物の方も同時に此方に向かって来る。
 怪物が退いた背中越しに奥の部屋が見える。焦げているようなにおいと共に何か、うっすらと白い煙が見えはじめていた。
「私の部屋!!」

 思わず走りだそうとした私の身体はしかし椅子さんに支えられたまま、そとへと向かっていた。

「椅子さん……!」

椅子さんの決意は固いのか、ずるずると引きずられるままに玄関に足が向かっていく。

「ねぇなんで逃げるの? 今、やっと自由になれたんだよ? こんな争いのなかではきっと盗撮なんて出来ないよ、今なら好きなように私は、存在していられるかもしれないんだよ? 誰からも映されないで本を読んだりとか、ごはんを作ったり……そうだ、ごはん、まだ、食べ掛けだったんだ……、ねぇ…………なんか、言ってよ!」
 
──────…………。

椅子さんは無視してドアにぶつかろうとする。さっき女の子が出ていってから閉めたのだ。

「鍵、開けられないんだ」

私はなんだかちょっと安心する気持ちになっていた。部屋の奥のほうでちょっとずつ赤い光が見えてくる。意外と火がなかなか広がらないのは、ここの高さ上、
法律で防火カーテンが義務付けられているからだ。

「そうだ、せめて、鞄くらい持ってこようかなー……」

口と鼻を塞ぎながら、奥に歩こうとしたときに、ガチャ、と鍵が開く音がした。
椅子さんが鍵を開けたようだ。
強い力でからだが外に引きずられる。

「いやっ!  私、あのなかに行くの! あのなかは! あのなかはきっと、盗撮されないの───────!!燃えてる場所ならきっと………私が人間に────」


 奥の部屋の窓が開き、外からも誰かが入って来た気がしたけれど、身体はほとんど外に向かって居たし、ドアが閉まるにつれて部屋のなかはわからなくなった。





 火をつけたが良いがなかなか燃え広がらないことにちょっと腹が立ったサングラスをかけ、やや顎の突き出た長髪の男、コリゴリは、その次の予定だったヘリコプターで追撃──を一旦やめ、ベランダに着地した。

「────やぁやぁ! 失礼! 我が名はコリゴリ! ってか、燃えるのまだァ?」
挨拶をしながら中に踏み込む。
足元の火はちょっとずつ広がるが、さほど致命的な火災にならなさそうに見えてイライラした。
「あーっ、もう、いい!」
 窓を開け、中に入るなり、驚異のジャンプ力で台所に向かう。
腹が立ったコリゴリはテーブルにあった
マヨネーズの容器を火の中に投げ入れて、適当に毛布を被せながら舌打ちした。燃えていたところで彼は鍛えているのでちょっとくらいなら空気が悪くても平気だったけれど、中途半端はそれはそれで気に障る。

 部屋を見渡すと、あちこちに盗撮写真や送りつけられた紙が散乱しており、部屋のなかの物もまるでこの家だけ長い間時間が止まっているかのように古い家電や昔の雑貨に囲まれていた。

「ふーん、まるで何年も動いてないみたいな家ね……」

──これだけ貼り付かれて、常に監視と嫌がらせを受けていれば当然か。
相手もどうせハクナや観察屋だ。

 観察さん、はそもそもが悪いヤツである。善人みたいな気持ちでやる若者も居るが結局のところは違法。
国が許可したのも、隣国のニュースにあるような監視社会と思われないように国民をさりげなく水面下で監視するためであって、秘密裏ということは結局は、そういうことだ。

 ──ゆら、と影がゆれて、コリゴリの背後に立ちはだかる。

「…………あら?」

「ス、キダ……」

 巨大なドロドロとした形容しがたい怪物が、うめいていた。
コリゴリはポカンとしたまま、それ、を眺めてしまう。
コリゴリには告白や突き合いなどがなかったので、それが何か分からなかったし、先ほどスライムを上から見ていたが、やはり詳しくは分からないでいた。
見たことがないし生物なのかもわからない。

「アーッ!……ハヤクコロシテクダサイ……コロシテクダサイ……ハヤクコロシテクダサイ……ハヤクコロセー!ハヤク、ハヤクコロセ、ハヤクコロセー! ハヤクコロセー! ハヤクコロセー!」

 胸を押さえながらくねくねと動いて辛そうに呻きだすそれが、動いた際にとんだ透明な粘液がコリゴリの顔にも跳ねる。
触手が伸び、それだけは窓の外に向かっていたが、どうやら身体自体は紙だらけの場所から動かせないらしい。

「何なのホォ、こいつ……?」

涙、だろうか、人の顔に似せた部分が、粘液でべったり濡れていて、スキダは懇願するように吠えた。
「てか、なんで、泣いてるの」


「ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤク! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ!ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤク! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ!!」

 コリゴリは少し引きぎみにそいつを無視し、まずは観察屋の証拠を隠滅すべく、様々な足元の紙などを手で拾おうとした。しかし、手元の紙からもどんどん小人のような何かが溢れてくる。

「ひっ! 気持ち悪い!? 何これ。悪魔が飼っているの!?」 
『観察されたもの』から這い出しては、それらは元気に動き回る。

ハヤク!
ハヤクコロシテクダサイ!
ハヤク!
ハヤクコロシテクダサイ!
ハヤクコロシテクダサイ!

それはひたすらそう呟き、叶うかもしれない願いをかけている。

「悪魔ぁー! いったい何を連れてきたぁー!!!?」

 コリゴリは真っ青になりながら小人から逃げる。
 そもそもはアサヒを消すことが優先なのだが、アサヒは「この家の監視は上司が命令してるのに、今無視して俺に関わっていたら大変だぞ」などと抜かすから……
 コリゴリは悪魔女に至っては証拠を隠滅すれば殺していいと思っていたからアサヒを追おうとしたのだが、アサヒは違うと判断しているようだった。
わざわざ見張らせているのは殺してしまう為というよりも別の意図があるというのだ。

 けれど、確かに気になるところがあった。それがあの『椅子』────
(あの椅子、やはり、まさかとは思うけれど……だとしたら、悪魔を見張らせているのも)────

コリゴリは近くにあった包丁を手にしてスキダに向かっていく。
「ええい、死ねえ!!」
スキダは錯乱した様子で電話の上に大きな図体で座りながら首を左右に振っていた。
「メノトドク、ハンイニナイナイ!!!カノジョ、ナイナイ!!! アアアン! スキダアアアアアアア!! スキイイイイイイ!!!」

胴体に刃を突き立てるが、びくともしない。泣きながら叫ぶスキダはコリゴリには目もくれず、触手をさらに伸ばして窓から身体を少しずつ出そうとしていた。
 なにかはわからないが、スキイイイイイイと叫びながらこうやって、存在するそれが、何を探しているのかは察せられる。
「チカクニナイナイ!ナイナイカラ、カンサツ、テイサツ!」

コリゴリは悟った。
自分たちが、これを産み出した、それか呼び寄せてしまった。

「ハハァ、観察屋の正体の真の恐ろしさは、コレって、わけ、だ……」

刺さりもせず手に握られたままの包丁をもう一度構える。スキダはそんなものに興味は無いようで、それよりもやはり窓から少しずつ外に向かって居た。

「まあいい、今のうちに」

足元の紙を集める。集めると同時に「悪魔の観察」が一体どのような物なのかを理解した。

「でもこれ、現場の指示が出てるんだから、逆らえないのよホォ」

小人が手にぶらさがって来るのを振り払う。俺の思いを邪魔するな、というように足元の小人はそれぞれギャーギャー喚いた。

「悪魔に人権は必要ない。それが現実よね」