要するに、ハクナが観察さんと繋がっているってことなのだと思う。
私はちょっと怖くなった。
おねえちゃんまで、ママのように誘拐されるのなら私は早く此処から立ち去るべきだ。
「わた、私……此処にいたら……」
あわてて玄関に向かおうとした私を、おねえちゃんは呼んだ。
私の目を見て頬笑む。よく見るとあちこち傷だらけで、服も汚れてボロボロになっていた。一体、外で何があったんだろう。
「此処に居て。これから夕飯を作るから食べよう? 外はみんな、恋愛至上主義者だから、危ないよ」
「……でも」
「私なら、大丈夫。だって私は悪魔だから」
「あ、悪魔……?」
「そう。悪魔。でも嫌な悪魔じゃないよ」
悪魔……
「……だけど。あなたが悪魔と一緒に居たってことは、ハクナにはバレてると思う」
日記を思い出す。悪魔……悪魔に関わった人は死ぬ。油をかけられていた。
「悪魔に関わった、私の仲間だと思われたら、きっと彼はあなたを殺しに行く。
助けたのが私でごめんね」
「ううん、謝らないで。でも本当に悪魔なの? 悪魔って、そんなに嫌われているの?
あっ、そうだ、それより、恋人届けを出しに行ったんじゃ……」
おねえちゃんは、悔しそうに首を横に振る。
「対物性愛は、恋愛じゃないよって、やっぱり追い出された」
「そっか……あ。その傷は」
「私がそこを追い出されたのと同時に、なんか、人が群がって来たの」
妙な話だ。今まで静観し、悪魔と呼んでいるのに、急にわいて出てくるというのか?
「群がって、喧嘩に?」
「──ううん、そのなかにいた人のスキダが発動して、暴走したのよ!」
目の前の彼女の目から次々に滴が溢れ出る。肩が震える。ずっとこらえていたのだろう。
「うん……それで」
私はなるべく優しく続きを促した。
「それで、譲るつもりは無いって、椅子さんのことも否定して……
その上悪魔が、人間と同じ場所で生きるのはどうしたって隔たりがあるのに、私に出来ないことを簡単に言うの」
私は悪魔。既に笑い者になっているのに、
きっと役場に行くのも見ていたのに、変なことを言うと思わない?
「スキダは……」
私まで泣きそうになる。
笑われて、否定されて、さらにその否定を持ってスキダを投げられたのだ。
まるで何でも肯定しろといわんばかりに。
まるで下等な存在に意思はなく、悪魔には人間への拒否権はないとでもいわんばかりに。
当然のような顔で、スキダを投げられたんだ。
──受けとるだろ?
「恐ろしい化け物だった。しつこかったけど、倒せたよ。だからちょっと遅くなっちゃった」
「そっか」
後ろで戸を開ける音がして、観察さんが入って来る。
「おーい。とりあえず風呂入って来いよ、すごいぞ……それ」
それ、にぎょっとして振り向いた彼女は少し照れながらむきになった。
「わっ、わかってますよーだ!」
私もおねえちゃんいってらっしゃい、と小さく手を振る。っていうか、なぜこいつまでまだ居るのだろう。
彼女が、ちょっと失礼、と勢いよく私の背後の扉を開けて部屋に入りタンスかどこかの開閉音の後に着替えなどのお風呂セットを二人ぶん持って出てくる。
「それじゃあ、行ってくるけど、居なくならないでね!? 私・は・悪・魔・な・ん・だ・か・ら!」
彼女は元気な様子でどたばたと、玄関のわきに居たらしい椅子さんを抱き抱えて、奥の廊下に向かって行った。
「はーい」
背中に返事をしながら、私は改めて棚のなかを思い出す。悪魔の仲間は、どうして殺されるんだろう。
「お湯加減はどう?」
このまえピカピカに磨いた壁や床のタイルが、ランプの灯りで淡くオレンジになる。湯気のなかに見えるその色合いが私はちょっと気に入っていた。
静謐な間の空気にちょっとずつ染み込むように、お湯の流れてくる音が柔らかく響き渡っている。柔らかい風合いのその中に
──固く鋭い存在感を放つ椅子さんが居るのが奇妙な感じがして面白い光景に見えた。
椅子さんとお風呂!
……って、ちょっと恥ずかしいけれど、
それは椅子さんも同じかもしれない。
さっきから口数が少ない。
でも放って置いたら椅子さんは自分で洗わない気がする。
自分の身体を洗いつつ、椅子さんの足をタオルで拭きながら洗っている。
「今日は疲れたなぁー」
あわあわ、泡に包まれていると、このまま疲れが溶けていくきがした。そうなら良いのに。
──……うん。
「椅子さんは、どこから来たの?」
──……
椅子さんはそっと私から目を逸らす。
答えたくないのかな?
私はお湯をすくって自分の方にかけた。
暖かくて眠くなりそうだ。
「いい気持ち……」
──なんか信じられないんだよ。
椅子のこと、椅子だって言って、バカにするかと思ってたのに。
「そんなことしないよ、私、悪魔だもん」
──椅子は、椅子だ。
「ふふふ。助けてくれてありがとう。なんか気が楽だなぁ。
人間といるよりずっと…………人間ってね、優しいか優しくないか、すぐにそうやって総合的な内面の判断で他人を評価するの。
椅子さんは、椅子として素晴らしい椅子でも、ちょっと歪んだって、椅子だとか芸術だとか思えるのに。人間の場合はそうはいかない。プライドが邪魔して『個性』も嫌味なの。物は物でわかりやすくて、やっぱり私は、物が好きだなぁ。生身の人間って、面倒。内面まで考えて好き嫌いを選ばなくちゃならないなんてどんな拷問?
もういや、あれでうんざりした。物と人は違うんだ」
──それって人間らしく生きてこないと持てない尊厳思想だからね。
「…………そう、なんだよね。自分を人間だなんて思い上がって、やんなっちゃった」
────今日は疲れたね
「うん…………椅子さんは、どこから来たの」
───空
私はちょっと怖くなった。
おねえちゃんまで、ママのように誘拐されるのなら私は早く此処から立ち去るべきだ。
「わた、私……此処にいたら……」
あわてて玄関に向かおうとした私を、おねえちゃんは呼んだ。
私の目を見て頬笑む。よく見るとあちこち傷だらけで、服も汚れてボロボロになっていた。一体、外で何があったんだろう。
「此処に居て。これから夕飯を作るから食べよう? 外はみんな、恋愛至上主義者だから、危ないよ」
「……でも」
「私なら、大丈夫。だって私は悪魔だから」
「あ、悪魔……?」
「そう。悪魔。でも嫌な悪魔じゃないよ」
悪魔……
「……だけど。あなたが悪魔と一緒に居たってことは、ハクナにはバレてると思う」
日記を思い出す。悪魔……悪魔に関わった人は死ぬ。油をかけられていた。
「悪魔に関わった、私の仲間だと思われたら、きっと彼はあなたを殺しに行く。
助けたのが私でごめんね」
「ううん、謝らないで。でも本当に悪魔なの? 悪魔って、そんなに嫌われているの?
あっ、そうだ、それより、恋人届けを出しに行ったんじゃ……」
おねえちゃんは、悔しそうに首を横に振る。
「対物性愛は、恋愛じゃないよって、やっぱり追い出された」
「そっか……あ。その傷は」
「私がそこを追い出されたのと同時に、なんか、人が群がって来たの」
妙な話だ。今まで静観し、悪魔と呼んでいるのに、急にわいて出てくるというのか?
「群がって、喧嘩に?」
「──ううん、そのなかにいた人のスキダが発動して、暴走したのよ!」
目の前の彼女の目から次々に滴が溢れ出る。肩が震える。ずっとこらえていたのだろう。
「うん……それで」
私はなるべく優しく続きを促した。
「それで、譲るつもりは無いって、椅子さんのことも否定して……
その上悪魔が、人間と同じ場所で生きるのはどうしたって隔たりがあるのに、私に出来ないことを簡単に言うの」
私は悪魔。既に笑い者になっているのに、
きっと役場に行くのも見ていたのに、変なことを言うと思わない?
「スキダは……」
私まで泣きそうになる。
笑われて、否定されて、さらにその否定を持ってスキダを投げられたのだ。
まるで何でも肯定しろといわんばかりに。
まるで下等な存在に意思はなく、悪魔には人間への拒否権はないとでもいわんばかりに。
当然のような顔で、スキダを投げられたんだ。
──受けとるだろ?
「恐ろしい化け物だった。しつこかったけど、倒せたよ。だからちょっと遅くなっちゃった」
「そっか」
後ろで戸を開ける音がして、観察さんが入って来る。
「おーい。とりあえず風呂入って来いよ、すごいぞ……それ」
それ、にぎょっとして振り向いた彼女は少し照れながらむきになった。
「わっ、わかってますよーだ!」
私もおねえちゃんいってらっしゃい、と小さく手を振る。っていうか、なぜこいつまでまだ居るのだろう。
彼女が、ちょっと失礼、と勢いよく私の背後の扉を開けて部屋に入りタンスかどこかの開閉音の後に着替えなどのお風呂セットを二人ぶん持って出てくる。
「それじゃあ、行ってくるけど、居なくならないでね!? 私・は・悪・魔・な・ん・だ・か・ら!」
彼女は元気な様子でどたばたと、玄関のわきに居たらしい椅子さんを抱き抱えて、奥の廊下に向かって行った。
「はーい」
背中に返事をしながら、私は改めて棚のなかを思い出す。悪魔の仲間は、どうして殺されるんだろう。
「お湯加減はどう?」
このまえピカピカに磨いた壁や床のタイルが、ランプの灯りで淡くオレンジになる。湯気のなかに見えるその色合いが私はちょっと気に入っていた。
静謐な間の空気にちょっとずつ染み込むように、お湯の流れてくる音が柔らかく響き渡っている。柔らかい風合いのその中に
──固く鋭い存在感を放つ椅子さんが居るのが奇妙な感じがして面白い光景に見えた。
椅子さんとお風呂!
……って、ちょっと恥ずかしいけれど、
それは椅子さんも同じかもしれない。
さっきから口数が少ない。
でも放って置いたら椅子さんは自分で洗わない気がする。
自分の身体を洗いつつ、椅子さんの足をタオルで拭きながら洗っている。
「今日は疲れたなぁー」
あわあわ、泡に包まれていると、このまま疲れが溶けていくきがした。そうなら良いのに。
──……うん。
「椅子さんは、どこから来たの?」
──……
椅子さんはそっと私から目を逸らす。
答えたくないのかな?
私はお湯をすくって自分の方にかけた。
暖かくて眠くなりそうだ。
「いい気持ち……」
──なんか信じられないんだよ。
椅子のこと、椅子だって言って、バカにするかと思ってたのに。
「そんなことしないよ、私、悪魔だもん」
──椅子は、椅子だ。
「ふふふ。助けてくれてありがとう。なんか気が楽だなぁ。
人間といるよりずっと…………人間ってね、優しいか優しくないか、すぐにそうやって総合的な内面の判断で他人を評価するの。
椅子さんは、椅子として素晴らしい椅子でも、ちょっと歪んだって、椅子だとか芸術だとか思えるのに。人間の場合はそうはいかない。プライドが邪魔して『個性』も嫌味なの。物は物でわかりやすくて、やっぱり私は、物が好きだなぁ。生身の人間って、面倒。内面まで考えて好き嫌いを選ばなくちゃならないなんてどんな拷問?
もういや、あれでうんざりした。物と人は違うんだ」
──それって人間らしく生きてこないと持てない尊厳思想だからね。
「…………そう、なんだよね。自分を人間だなんて思い上がって、やんなっちゃった」
────今日は疲れたね
「うん…………椅子さんは、どこから来たの」
───空



