「おお、アサヒ!! 何かあったのか? あれから連絡よこさないもんだから……無事だとは思ってたんだがな」
通話口の向こうから嬉しそうに呼ばれて、思わず昔の癖で笑みを返しそうになった。だがそんな場合ではないのはわかっている。観察屋、で一番世話になった上司の電話番号にかけてみると、彼は機嫌良さそうにすぐに応答した。
「実はちょっと、指示された地域で、いろいろありまして……」
ヘリが破損して俺もついさっきくらいまで意識をなくして……
と言う話を本来しなくちゃいけないが、なぜだろう、言葉が出てこなかった。
──なんとなく、けれど、たしかな確信を持って俺は疑っていたからだ。
誰かが、ヘリコプターをわざと墜落させたんじゃないか、って。
だけど、なんのために?
そんなの決まってる……口封じだ。
「まあ、ゴタゴタしてるからな」
いつももう少し質問攻めにしてくるギョウザさんがやけに物分りよく頷いたのが、より一層俺のなかの不信感を募らせる。
「だけど爆撃許可なんて……」
「爆撃? 何を、言ってるんだ」
とぼけた声で不思議そうに返された。
っ?と自分を疑いそうになる。
「いや、不自然な火災とか……」
「あー、あー、『テレビの観すぎ』だなこりゃ」
俺は確信した。わざと話を逸らしている。
ぼそっ、と息のかかる音がして、ギョウザさんの潜めた声が続いた。
「あのな、あまり、言いたくないんだけど……君の、そのことは、こちらで処理するから」
「……」
「挨拶とかみんなで出来ないけれど。
世話になったね」
通話が遮断されると、現実に引き戻された。気づけば真っ暗だ。
通話してる間は見えなかった辺りの暗さを一気に背負ったかのような、漠然とした不気味さを感じてしまう。
少し歩いたビルの前、やや大通りに面した方に来ていた俺が改めて火災のあった場所に向かっていると、よろよろとふらつきながら少女が椅子を抱き抱えて歩いているのが見えた。家に帰る方角だ。
「……あ、観察さん」
ボロボロで、傷だらけで、なんて声をかければ良いか見当もつかない。
「そ、その……痛いか? 病院とか」
なんとか心配を表すと彼女は首を横に振る。
「いいの……身分証明書でクロにばれちゃう」
「身分証明書って……使うためにあるんじゃないのか」
「観察さんなら、戸籍屋を知っているでしょう?」
まっすぐな目が俺に問い掛ける。
……知っては、いる。
何処にいる誰なのかまでは知らないけれど。
確かにそういうやつらが居るんだ。
何か不穏な動きがあったら戸籍情報を横流ししている連中。
──観察屋と繋がりがあることも知っている。
「私は、代理をたてられて、そして何かあっても私の代理が病院に行くのだから」
「どういう意味だ」
話しながら、ビルとビルの隙間を歩く。
隠されるように、隠されるように連なる、建物や木の間を抜ける。
「──クロは私の痕跡すべてを、身分証明書レベルで、社会すべてから無くしたいの。だから、私は届けも出せない、外に出られない。身分証明も出来ない」
ますますわからない。
「スライムはどうしたか、聞かないんですね」
「死んだのか」
「殺しました。私が、私の手で」
「そうか……」
やけに、落ち着いている。
俺が子どものときはもっと元気いっぱいで明日のことは明日悩もうみたいな、感じだったと思うからか、それが気になった。
──そして、この家に続く道。
あのときは意識が不安定であまり見ていなかったが、やけに日当たりが悪いっていうか、いろんな影に隠れている。
クロが何かわからないが、俺が当然のように戸籍屋を知ってると思っている辺り、それに妙に孤独に慣れている辺り、ずいぶんと長く『身分証明』から逃れて暮らしている。恐らくは余程の罪もないはずなのに。放置して強くなる、とかいうのもなんだか気になる。
「幸せになれ、って、命令する人ばかりで、ずっと嫌でしたが観察さんはなにも命令しないから気が楽だな」
ふらつきながら、先に進む彼女は、やはり、ちょっと息切れぎみで、ときどき立ち止まる。
何回目かに立ち止まった彼女に、俺は近付いて聞いた。
「ああ。俺はその通り、上から観察して、撮影してテレビ局や新聞社に売り渡して生計を立てていた。
──お前は、何者だ」
「悪魔」
相変わらず、まっすぐな目で、なんてことないような声で彼女は言った。
「悪──魔?」
「みんなが、悪魔って呼んでる。
私は悪魔。生れたときから人権はあってないような仮初めのなか。
親が『悪魔は放置して強くなるから』って言ってて、こうやって周りから強引に隠された場所に暮らしてる」
悪魔は身分証明書でバレてしまうのだろうか? と言おうとして、それが先ほどの繋がりの話だと気付いた。
「俺は、幸せになれなんて命令しない。わからないものになるのは誰だって難しいからな。
──ただ、お前は、本当に悪魔、なのか?」
「本当かどうかは関係がないんだよ。
悪魔なら、悪魔でいい。
理由がなかったら、私のなかの私は、
悪魔でもないくせに何故こんな状態で生きてるのか思考を続けてしまう。性格が悪かろうと身分証明書を奪われる人は私以外知らない」
そうか、嫌われて拗ねている、なんて可愛いものではない。
悪魔と言われるなら悪魔で構わない。
ゴミと言われるならゴミでもいい。
生きる価値を感じられない日々に耐える正当な理由がほしい。
それが、すべてから無くされそうな彼女が今唯一願えることなのだった。
嫌われることにすらすがることができる。
「嫌われることは幸せなことです。
理由を教えて貰えるのはありがたいことです。それがなかったら私は存在さえ許されない」
とても嬉しそうに、そう言って改めて椅子を両腕に抱き抱えた。
「嫌われるから、人は生きていけるんです」



