椅子こん!



オージャンが合図するタイミングで、アサヒ、私とグラタンさん、椅子と女の子がそれぞれ外に出る。
外は相変わらず、出店の準備、機材の準備で慌ただしい。
 少しでも目立たないように動かないと。
機材が積まれて入口近辺に影が出来ているのもあって、ここまでの脱出はそう難しくはなかった。
階段の脇道の陰に逃げ込むアサヒを追って、教会の裏に回り込む。
「グラタンさん。大丈夫ですか?」
私は腕を引いていた彼女を見た。その頭上で完全なクリスタルになるより前の、小さな欠片が生まれだしている。
(スキダが……)
「あ……な……たは……」
かすれた声が、言葉を発した。まだ目に光が戻っていないけれど、少しだけ、意識が戻っている。
「ママ!」
女の子が、ママを呼んだ。
「ま……ま……?」
「ママ、此処にさらわれてきたんだよ。ハクナが家に来たんだよ」
彼女は苦しそうに頭を押さえた。
「う……うぅ……」
いろんなことがあったので、まだ混乱しているのかもしれない。
 次のバスの時間などを思い浮かべながら、ここからどうやって出るか考える。
 ドレスを着せられているのは、出品されるからだろうけれど、招待された富裕層もドレスを着ているので、思っていたよりは目立たなかった。けれど、一応万全を期して観察屋の謎装備の出番だ。
「アサヒ! サングラス!サングラス!」
アサヒは、えぇ、と微妙なリアクションをしつつもサングラスを渡してきた。
「たぶん度は入ってないし大丈夫なはずだけど」
ぼーっとしたままのグラタンさんに着けて、それから、暖かい帽子を彼女に着せる。こういうときは冬って便利。
「よし! 完璧だ! 観光客にしか見えない!」


ドキドキしながら坂道を歩き、バスを待つために下に向かった。


  昨日はいろいろと考えたけれど、結局、何事もなるようにしかならないらしい。
結構すんなりと出口に向かっているので拍子抜けした。今のところは、うまくいっているけれど……こんなに静かでいいのだろうか。
(いや、良いはずだよね。今までが、いろいろと起こり過ぎたんだ)
アサヒは、なんだか複雑そうな顔になっていた。

 バスに乗っても、彼女はぼんやりしたままだった。女の子も戸惑っている。
「これで、後は、帰りの飛行機に乗るだけだね!」
  私がそう言ったときだった。
グラタンさんは、顔を真っ青にして、震えた。何か取り乱している。
「帰して……くだ、さい……」
「え?」
帰して、と言ったのか。
「また、見られている。きっと追ってくる……次はあの子にも……そうやっていけば、あのとき、ママが死んでてくれたらと思うようになる……私が逃げるから……家だって……44街が私たちを許すはずないわ……また、今度はもっとひどくなるかもしれない……」

 私たちはただ、誘拐されたとしか思っていなかった。けれど、そうじゃなかったらしい。
 彼女は娘を巻き込まないために自らついていったのだ。今は認識していないけれど、心のどこかで娘のことを考えていた。

「ならないはずです。44街は、もう、その頃と違います」
 グラタンさんは何かに怯えたように周囲を警戒しているが、ふと、私を見た。
「ち……がう? どうしてそんなこと。どういう、こと……あなたたちは……」
「私は、44街の片隅で、ずっと悪魔の子として、10年以上接触禁止令を出されていました。
だけど、いろんなことがあって、みんなで戦って――
そのおかげで、今まで接触禁止令を承認していた田中市長も、つい最近逮捕されたんです」
「市長が……?」
彼女は、信じられない、という顔になる。
「本当ですよ。あちこちに監査が入って、街も、変わろうとしています。
恋人届けも、同性愛だけじゃなく、対物性愛も、他にも、制度の適用が増えた」

私は、ゆっくり、言い聞かせるように言った。
少しずつ彼女の瞳に輝きが戻り始めている。
本当に、戻ってこられない覚悟で此処に来ていたらしい。

「だから、ほら」
私はリュックを開けて、パスポートを見せる。
そこには「パートナーの名前:椅子」と書かれた割引制度の為の書類が挟まっていた。椅子さんと一緒に申請した、私の宝物。
「昔の44街だったら、こんなことあり得なかった、でしょう? 今では対物性愛者でも自由に書類が出せるんです」

私の足下に居る椅子さんが、ガタッ、と小さく返事をする。

「…………娘は……! そう。娘が、居たんです、私」

女の子が、彼女の手を握る。

「ママ!」

「嘘、本当に? どうして、此処に居るの? 夢、じゃ、ないわよね?」

 グラタンさんはようやく、気が付いた。








  その頃、牢を開けに来た兵士がそこが空になっているのを見つけた。
そろそろ余興もそこそこに目玉の出番だというのに、目玉にするはずの女が居ない。
「まずいことになったぞ!」
なにがまずいって、一番は、犯罪の露見だ。見張りは楽な仕事だと思っていたのに! 
朝から眠すぎて下でちょっと居眠りしていたら、こんなことになるなんて。
 兵士は焦った。雇い主も稼働スケジュールや人員くらい把握しているし、自分1人一生懸命にやらなくても本当は問題ない。
 それなのに他の部下の中に入って、部下の仕事を奪っての見張りでミスをおかした。
牢屋のやつだって鍵が締めてあるからそうそう逃げてこないとばかり思っていたのに、今日に限ってこうなるとは。
 物を運んだり、遠征に参加するところを体調不良を理由に部下に代わって貰っていたとはいえ、そんなものは言い訳にもならないだろう。
「あぁ……『忙しくて主任の所に行けません』なんて、なんて情けない」
本当なら、部下に仕事をまかせりゃ、一日中暇でも当然!なんで部下に任せずに一緒のところでやってこなせないのか。
「具体的にいつ敵が来るのかって誰か教えてくれれば良かったのに」
確か上司がマニュアル作って、これ見て作業しろって言われて『自分で何とかしてみます』って言った気がする。

――俺がマニュアル作ったから『何とか』出来るんだ。やる気あんのか? 辞めてしまえ!
そういわれるような気がして、身震いする。
そういえば、此処の警備、もう一人居たはずだが……ふと、辺りを見渡す。
 何故か兵士が数名、教会付近の陰に倒れていた。

「薬……?」

どうも、みんな眠らされている。彼らからはスキダのような甘い香りがした。







 連絡はすぐに、城で優雅に待機していた『幹部』にも伝わった。
 誰よりも怒り出すと思われた義手の男は、席に着いたままなぜか怒らず、ニヤリと笑う。
「――やはり来ているな」
 ほとんどの幹部は今、城のささやかな会議室に詰められている。
現会長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「取引が中止など! あああ!! 学会が!!!!! あぁあああ!!!」
もはや何を言っているのかわからない。
「落ち着いてくださいにゃあ。もしものときは、万本屋北香の宝石がある。純度は落ちるけれど」
黒猫が、にゃおーんと鳴く。
「しお、この取引、いつもドキドキします……」
しおが言い、斎藤はため息を吐いた。
「ヨウが捕まったが、まぁ、仕方ない。二束三文などが代わりに取引されるなど、彼はすぐにキレていただろうから、今居ないのだけは幸いかな」
今、義手の男があまりに怒らないので、みんなは逆に怖かった。