椅子こん!



バスを乗り継いで、この地域で一番大きな結婚式場に向かった。

 

 そこは小高い丘にあった。坂道のあちこちにきれいな敷石のタイルが敷き詰められ、塀で手すりのように囲まれた上り坂のてっぺんに、真っ白く塗られた美しい教会がある。ステンドグラスが取り込む光で辺りが淡く煌めいていて、なんだか夢の中みたいな気分にさせられる。


 昔、オージャンとアサヒが此処に来たことがあるらしい。その頃は、オージャンの現地調査で、結婚式でスキダがどのように形を安定させるようになるのかというのを探すのに此処を訪れたという。
「そのときは行き先間違えて博物館へ行ったんだよなぁ」

 ――早朝から人出が多く、あちこちで、この日の準備が行われていた。

「昔と全然変わってない」
アサヒが辺りをきょろきょろする。
 式場からやや離れた道に出店の準備もされていたけれど、その台に置いてあるのは「ファイン劇物無料水の巫女の命と引き換えお試し鉄の暴風」とか、普通に読むとよくわからないものばかりだった。
 同じように早く来た通行人たちがそわそわしながら遠巻きに見ている。いろんな人が居たのだが、なんだかチャラそうな男が、なんだか軽そうな女に謎のレクチャーをしていたりしたのがちょっと面白かった。

「顔と性格と人生観だけでいい人そうかを判断出来る嗅覚ってそれなりに人と絡んでいる人の特技だと思いますよー」
「そうかなぁ」
「その嗅覚が磨かれるまではなんだかんだ言っても「有名人だから」「誰かが褒めてたから」とかの理由で友達だったりするもんだと思う。石もね、結局買うまで、買ってからもわかんないって人はわかんないのに、ここに買い付けに来る奴の多いこと」
「まぁ、結局ソウルの相性よねぇ。何もかも、本当は意味なかったりして」

「あと、最低限の情報で面白そうか判断出来るってのも錯覚だな。単に好みの傾向を感じとれるようになるだけだから」

「えー。でも、面白くなさそうって思ったやつ、大概その通り面白くないのよね。あれなんなのかしら」

私は、ただそこにあったから、以外の意味など何もないと思った。広い図書館と、小さな図書館ではどうしても本に偏りがある。それが決めているラインナップの影響しか存在しないし、大きな町と、小さな町で、人に偏りがある。




「とりあえず中を探してみよう」
私は提案した。
此処には少し早めに来たのだが、それには訳がある。
勿論、取引が始まってしまってからでは遅いからだ。
 昔何かで見た、『ちょっと待ったー!』 みたいに、バァン!とドアを開けてみたかったものだが、機材の搬入などで既に開けられていたので、あまり視線が集中していないときを見計らって中に入る。ちなみに簡単な挨拶でマイクや映像を使う関係の機材らしい。
  
中は、外からも綺麗だったステンドグラスがあって、長い椅子がいくつか置かれ、静かで厳かな空気が漂っていた。
 
こんな時でなければ、ゆっくり訪れてみたかった。きっと良い思い出になるだろう。


   ふと、書類のことで認められなくて、笑われて、アサヒがちらりと封筒に目をやりながら苦笑した、あの日が過る。
――嘘をつけば済むだろ?
――済まない! それに私、初めて、椅子を好きになったんだよ……ワクワクしながら、椅子さんのことを書いた……!
椅子さん以外を書いてなかったことにしたくないよ!

(やっぱり、今も、それで、良かったって思うんだ……そうじゃなきゃ、こんなに満たされた気持ちにはならなかったよ)





 しばらく中を見ていると、後ろを歩いてきた椅子さんと横並びになった。
 昨日、今日と、なんだかあまり話していないので、ただの椅子のようにも感じられてちょっと怖くなりそうだったけれど……
やっぱり、こうやって並んでいると暖かい。良かった、うまく、話せそうな気がしてきた。

「椅子さんは、人間の文化って興味ないかな」
「ガタッ」
椅子さんはいつもと変わらない様子でそう答える。
「そっか」
 目の前に居る椅子さんを前にすると、やっぱり、あの独特のフォルムや、淡い木の色合いに、ときめかずにいられない。
「……そうだね」
変わらない椅子さんの言葉にも、思わず笑みがこぼれる。
 いろんなことがあったけれど、こうやっていると、嫌なことも忘れてしまえそうな気すらした。
 いつも、椅子さんが居た。
 
人間は好きになれなかったけれど、椅子さんは、怖くならなかったんだ。



「おーい、見ろよ、さっき見つけた。此処から地下に行けそうだ! 探検できそうだぜ!」
アサヒの声がして、ふと我に返る。
どうやら部屋の隅、パイプオルガンの横に、少し何かがずらされた形跡があるのを指さしていた。
早く、と女の子が呼ぶ。
「行ってみようよー!」

 地下……行って何かあるものなんだろうか。空港の時はたまたま、そういう通路があっただけで……
そう思わなくもなかったのだけれど、探検という響きは確かにちょっと面白そう!
「あ、うん……オージャンは」
オージャンを見ると、「僕は見張りです」と言ってここで待機することを告げてきた。
「じゃあ、行ってきます」

 薄暗く、ちょっとじめっとした道を歩く。
天井が低いので頭をぶつけないように歩かないとならない。
真っ白い壁はさわやかだけれど、低い天井の威圧感を緩和してはくれなかった。
アサヒが、こういう施設にも逃亡者を匿うための道があったんじゃないかとか言っていた。
いわゆる逃がし屋というものだ。こういう街で人間の奴隷が頻繁に取引されていた頃にそういうものもあったらしい。
(まぁ、今も、あると言えばあるのだけれど)
 まっすぐの一本道をしばらく行くと、だんだんと、不思議な、いや、懐かしい、においを感じ始める。
そう、これは……
鉄と――生ごみみたいな……


「牢、獄……」

さぁっと血の気が引く。アサヒも同じようなリアクションだった。女の子も怯えている。
目の前に現れたのは、檻一つ辺り、ギリギリ数人が寝泊まりするスペースがある程度の、牢獄。
なんで、こんなものが……もしかして、こうやって、ここで管理した人間を出品するのか。
ママは、もしかしたら――そう、思ったときだった。

「ママ!」

女の子が声を上げた。

「ママ! ママだよね?」

入口から二つ奥の方にある牢屋に向かって、彼女が呼びかける。
「椅子さん!」
私は椅子さんを呼んだ。
椅子さんはふわりと浮き上がると、牢に向かっていき、触手を伸ばした。慣れた手つきで触手が鍵を外す。
重たい鉄扉がゆっくりと開くと、
 薄汚れた毛布を身にまとう、痩せこけた白髪の女性が現れた。なぜか場違いにドレスを着ている。

 女の子と、確かに目元や顔の形がどことなく似ていた。
「ママ!」
 彼女は特に反応を示さなかった。ぼーっと宙を見ている。
「…………」
「あの、グラタンさんですか?」
「…………」

アサヒが、冷静に、スキダが抜かれている、と言った。
 スキダは心の核になるものだ。何かが見えても、感じても、それがなければ何も反応出来ない。
分離脳のように心と意識が切り離されるのだ。だから彼女が何か思っているのか、居ないのかは、よくわからなかった。
 とにかく、此処から出ないと!
グラタンさんが動こうとしないので、どうしたら良いかわからずちょっと焦る。
椅子さんが、彼女の額に触れる。椅子さんも、スキダが抜かれていることを感じ取ったのだろうか。
やがて、突然、ひょい、っと彼女を椅子さんの上に乗せた。とりあえず連れて行こうってことなのか。
「そうと決まれば」
「逃げるぞ!」
「おー!」
私と、アサヒと女の子と、椅子さんは急いで地上に向かって走り出す。
 本当は道のあちこちで、何とも言えない、嫌なにおいがしていたけれど、
足下や奥の方は暗くて、ぼやけていて、あまり見えない。
――というか、あまり見ないようにした。

そーっと、教会内部に戻ってみたが、今のところ、誰にも見つかってない。
 パイプオルガンの横で見張りをしていたオージャンが、私たちに気づき、手招きする。
やがて「あぁ、その人か」と目をぱちくりさせた。彼女の様子のおかしさに、彼もまた「スキダが抜かれているね」と呟く。
「キムの手か……ひどいことをする」
キムの手……義手の男の、義手部分。
問答無用でスキダを抜き取ってしまえるという。。

「とりあえず、早いとこずらかるぞ」
アサヒが小声で言い、私たちもさっさと移動する。
椅子に座っていたらさすがに目立つので、グラタンさんは腕を引いて歩いてもらうことにした。