少女たちが出かける準備を整えていた、次の日。
早朝。44街にある学校中に愛を綴った『ラブレター』という凶器が、残酷に、ばら撒かれた。
下駄箱に着くなり、生徒たちはそれぞれの反応を示した。バタバタと全体の30~50名ほどの生徒が倒れていき、見かけた人たちに貧血と思われて保健室に運ばれては、病院に搬送される。15名ほどが、決闘のために相手を探すこととなった。ほかに吐き気やめまいを訴える生徒が続出し、地域の複数の学校が阿鼻叫喚となった。意識不明になるものもあらわれているという。
それだけでも悲惨だったが中でも、差出人があるもの(妹選別者)には、放課後に告白からの決闘――突き合いが待っている。
スキダが暴れ、沸騰し、ときに、怪物の姿にゆがみ、少年少女の身体にまとわりついてくる、生き死にをかけた、始まったら止められない恐怖のテロ。この日だけは教師たちは『青春』と呼び、推奨しているために、授業への逃げ道も塞がれる。
――どうして、いくらかの人は人を好きになるのだろう?
古来より、恋愛感情というのは、闘争本能を呼び起こす道具だった。
人々を攻撃的な怪物に変貌させてしまうのは、当然のこと。それが、殺し合いの合図になると、わかっていながら、その気持ちを止められない。
ヘリの上から、ギョウザさんは、にやけた顔をしてそれを眺める。
「フフフフー!!」
すぐ後ろの席に座っていた、せつ、は、スキダの輝きを早く見たくて地上を眺めながらわくわくしていた。
事情通のギョウザさんによると本当に万本屋北香は北側で処刑されたらしい。
そしてどんなものになるかはわからないが「一応」秘密の宝石に準じるものに加工してくれるようだ。
薬のことなどを聞きたかったが仕方がない。組織の裏切り者には死が与えられる。
いつだってそれだけが、決まっている。
昔から大好きなお兄さんおねえさんが罪人と呼ばれ殺されていくのをせつは見てきた。
だから、他人が、どんな人物であってもごく普通の家族や友人に囲まれている、というだけで幸せなのだと、よく、思う。
『悪魔』という自分の支えを失った日も、せつは歩道をふらふらと歩きながらも、訴えるように叫んでいた。
ぬくぬくと、暖かい家庭で、家族や友人に恵まれて幸せに過ごしてきたであろう彼女のその立場を奪ってやる計画が、ほんの些細なミスで崩れたあの日。
同じウィークリーマンションで暮らす『親切な友人』に、ギョウザさんたちがなにやら動いており、せつのことが伝わったかもしれないと聞かされた。せつの存在が明るみになることは、悪魔が明るみになるということ。
ギョウザさんや幹部にそれが伝わるということは──簡単に言えば、せつの排除を意味している。
「お……お願いします。捨てないで……」
せつは、その日、必死に頭を下げて頼んだ。
「まだ、完全に、悪魔の子の地位が渡ったわけじゃない」
これまでずっと悪魔に近付くものは事前にリサーチして、先回りして殺して排除して来た。
あの『家系』から母を殺して、父も消した。あとは娘だけだった。
それに成り代わる役目をせつがこなし、物心がつかないうちに、洗脳すれば楽勝だと、そう考えて今までずっと──うまく、いっていた。
処分される――いや、殺せるものなら、殺してほしい。大切なみんなのところに、行きたい。
相反する気持ちに苛まれながら、何度も、何度も、お願いした。
ギョウザさんは怒らなかった。そっと、せつの肩に手を置き、『なにか知っている事情でも』あるのか「あれは、『事故』だったんだ、仕方ないよ」と言いながら慰めた。
「万本屋が。だけど。どうしよう。とっくに死んだと思って、一足先にお悔やみ書いちゃいましたよ。死んだなら仕方ないしって」
「いいよいいよ。しばらくはしばらくは、行方不明、としているけれど、その嘘もどうせわかることだ。嘘なんかついて、騙して、ククク。宝石は、ちゃんと、手元に届くヨ」
「パパン……」
「お前を、最高の霊力のお姫様として、会長のあとを継ぐものとして、かつて会長は育てるように言った……昔の文献には、社会の誰からも隔離され、孤独の窮まった少女を用意し、神にあわせる……と書いてある。常に、大好きな人から見放され、寂しい思いをしながら生活していたお前しかいないではないか」
「そうですよね。今更ですよねー、今更……あの悪魔の子に……私の地位を奪われるなんて、許せない」
いつも可愛がってくれた、大好きな、お兄さん。お姉さん。
彼らのためにも。
「また、小さいときみたいに旅行したり、あんなふうな家族で、美味しいものを食べに行きたいな……ねぇ、パパン。出来るよね、きっと」
悪魔の子。
せつと、その後援、そしてギョウザさんとはその噂を広める利害が一致している。
ギョウザさんはテレビ局とかのスポンサーもしている隣国の投資家で、誰も彼に逆らう人は居なかった。
だから、学会の力を借りて、悪魔を遠ざけましょうというメッセージを織り込んだ放送を44街に十数年ずっと流す刷り込みを続けてきた。
幸せだった、昔の、微かな思い出を、取り戻したい。
せつたちには野望がある。
ゆくゆくは44街全てを乗っ取って、そこの神から何から何までを、恋愛総合化学会にし、果てに王に君臨するのだ。
その為にも、国家犯罪と思ってくれなくては困る。我々は、此処にいて、既にお前たちを支配している。
戦け、ひれ伏せ。
いつか、過去に自分たちを排除しつづけたこの街に言ってやりたい。
「ワシが命をかけて観察屋に取り入り、やってきたドライブ!何年間もルーティンを踏んでやっと得た!データ!やっとつかんだ!
場所選択、思案ポイント!! ルーティン作り! 簡単にせつの立場を覆させたりしないさ」
凛凛しい眉。くるんとカールしながら分けられた前髪。フリルをなぜか盛大にあしらったスーツに、パーティーにでも出掛けそうなスパンコールのネクタイ。極めつけにどこかの国で食される芋虫みたいな、または巨人の指みたいに異様な太さの葉巻を口にくわえ──ニヤニヤ笑うギョウザさん。
「ネオ・コピーキャットの、頂点を掴め。せつ!」
「はい。ずっと・もっと・つなぐぞー!!」
「その意気だ」
唐突にヘリの無線が入った。
ギョウザさんは、こんなときになんだ、と愚痴りながら応答する。ハクナ部隊の一人からだった。
「田中市長が不正献金などで逮捕されたようですが……、その隔離政策の件で芋づる式に、ギョウザさんにも気づかれているかと」
「なに? 田中は逮捕されたのか。忙しくて、情報を確認しきれていなかった」
「はい、本当です」
「ふうん。だがワシは、田中と直接かかわっては居ないんだ。気づかれるわけはないだろう」
「田中市長の件、接触禁止令の書類が混じって居まして、それが、選挙のバックアップの見返りに恋愛総合化学会から頼まれたものだと判明し、なんの目的で、誰の接触を禁じているのか、という調べが入りました」
「ぐっ……」
現会長たちが行っていた放火は、まるで『誰かの迫害を、全体の出来事にすり替えたかのような』、そしてそうすることで、批判感情を煽るかのようなものだ。過去にも、カルト宗教によるテロが起こされた際も、そういった、『まるで、印象を操作するためのような』テロだった。
大きく、大げさに、報道出来れば出来るだけ良い。
過去数年の派手好きな犯人が出てくる事件の裏では、よく別の取引も起きている。
そのときのパターンと似ているというのがささやかれていた。
「迫害を仄めかすような放送も流されてしまいましたし……局の関係者とかは、そのときの煽るような報道について、いろいろ噂してるらしいです」
ギョウザさんは、通信を受けつつ、地上にスーツの男がちらほら現れてきたのを見つけた。
彼らは携帯電話で何か連絡を取り合っては時折、頭上――こちらを見上げている。気づかれて、居るのか?
「一度、帰るか……」
遠くで、銃声が響いた。
スーツの男たちの数名が、何やらその方角に向かっていく。誰かが、救急車を呼ぼうとしている。
ギョウザさんはヘリを上昇させた。
――発作が酷く、病院に運ばれた人たちの中に特に、スキダの純度が高い人が居るはず。
学会は、それを狙ってくる。それはオージャンたちの考えも、一部のスキダ関連事件担当の捜査官の考えも同じだった。
取引の為の調査を兼ねるにも、死体を運ぶのにもうってつけだ。
朝。仕事の傍らでしばらく見張っていた病院の駐車場に、いつもあまり見慣れない車が止まり、病院の裏の方でなにやら話し合う人たちの姿を確認したオージャンは、家で出かける支度などをまさに進めているアサヒに連絡を取った。
「昨日から、病院側が、やけにベッドの確保をしていたんだ。そして恐らく今日、決行された。あの子も、本当はあと一日様子を見るところだったそうだが、大体完治しているので退院が早まったらしい」
「大体完治しているのなら良いが……さっそくだな。時間がよほどないのか」
応答したアサヒは、少し眠そうだったが、それでも旅行の緊張があるためなのか、どことなくテンションが高かった。
昔は何に対しても無関心で、適当なやつだと思っていたのに。少し悔しいようなもどかしい気持ちを抑えつつ、オージャンは続ける。
「あそこは個室だ。隠して置きたいような選ばれた患者が運ばれる可能性もある」
「政治家みたいだな、なんか」
「冗談を言っている場合じゃない。警察関係者も張っている。もともと、あの宗教はテロに携わった疑いで監視対象だったからな。確保が早まれば、僕たちのプランも変わってくる」
「俺は、現地まで泳がせると思うな」
「凍え死ぬぞ」
「冗談を言ってる場合じゃないってお前が言っただろう」
「……すまない。昔の癖が。だが、治外法権を利用される場合も考えなくてはならない」
「そうか、亡命の常套手段だ」
「とにかく、あのあたりのベッドを、個室を中心に気を付けるように興信所に頼んだ」
「何から何まで、すまんな。だが、秘密の宝石に選ばれた奴がわかったとして、俺たちは取引を見るしかできん。そこから、遺族に電話でもするのか」
行方不明者として名が挙がるのは、失踪からおおよそ1か月以内くらい経ってからだろう。
すぐには拉致かどうかなどわからないはず。オージャンは出来るだけ冷静に話すのを心掛けた。
「いや、スキダがどう暴れるのか、周りが何を計画しているのか、僕たちには手が出せない。わかっているでしょう、
迂闊に知られたらこちらまで狙われてしまう」
今、アサヒは、見なくてもきっと、昔のあの時のような、悲し気な表情をしているのだと思うけれど……これが現実だ。
だから――
「そう、だな。忘れてくれ。わかっている。俺たちは全ての民を救える訳じゃない」
「とにかく、この取引の前段階の打ち合わせが最も濃い情報を探れると思う。『闇商人オンリーのやかた』のことも」
闇商人オンリーの館で、サイコたちが盗品を仕分ける。その中に紛れ込ませるのが、昔からの手段だろう。
だが、北国のどこにあるのかまではわかっていない。



