椅子こん!






 

 44街は夏が終わり、少しずつ夜が長くなり、秋になり始めている。
火災後も人々は懸命な復興作業を続けた。
 支援として被害のひどかった地域にはいくらかの保障費用が配られ、あちこちに仮設住宅が建てられた。
まだ、人々の傷は癒えたわけではないけれど、それでも、無理やりにでも歩くしかない。

 44街がこれまで迫害し続けてきたものを明らかにし、確執を浮きだたせる人災。
またある人たちにとっては、かつてのようなテロに等しい。
ある事実から目を反らし、またある事実に目を向けさせるために集団によって行われた。
そして、今も――――

「明日の、ラブレターの発送準備は終わりましたか?」
「明日、ですよね……ドキドキしております」
「えぇ、明日」
明日、を合言葉に、ラブレターの発送準備が進んでいく。
ハクナたちが調べ上げた、学生たちの好み、言語に合わせてレターを作成し、下駄箱やメールから送付する。
まるで少し早めのサンタクロースのようだ。係になった信者たちは、もくもくとその作業に明け暮れた。
 ラブレターテロのような、危険なリスクの例外に「スライムが凶暴化させたスキダが、少女と、その恋人の椅子により、殺されている」という事実があるのを、上層部は隠していた。




 敗北を認めたヨウは、無断で持ち出していた兵器について、また、ハクナの裏指揮をとっていたということについて,上役からの聞き取り、監視が始まっていた。公民館の二階の一室に設けられた簡易な取り調べ室にて、取り囲まれた彼は連日の会見を行うこととなる。
「どういうことなんですか? 椅子を追い回し、独断で兵器を使用していたというのは」
「あれは、議会で以前禁止されたはずですよね」
「あんな人目に付く場所で、再現空間を開くなんて、ノハナさんがあのまま死んで収集がつかなくなっていたら、恐らく制御不可能な量のクラスターが拡散されていました。必然的に我々も巻き添えだ。そのときどうするつもりだったんですか」

ヨウは、次々話しかけてくる複数の関係者の声をパイプ椅子に座ったまま、やる気なさそうに聞いていた。
そして、だるそうに、一言だけ呟く。
「あぁ。だから……。あの戦いの映像をわざわざ報道したのは、お前たちだったか」
組織にまで裏切られていたとは、とヨウはやれやれというふうにため息を吐く。
「どちらみち、市から『接触禁止令』の許可が、うまくいかなかったんだ。めぐめぐから露呈する可能性がある。終わりだね」

会長が指示した戸籍屋からの個人情報洗い出し、精神障害者への薬物許可などもそこに噛んでいる。
ラブレターテロでも、スキダの効果をうまく引き出すために媚薬のような薬剤を振りまいたケースもあった。
『秘密の宝石』の配布の効果はヨウやギョウザさんたちがもたらした恵み──
前会長にも成し得なかった、怪物化を防ぐ魔法のお守り。
 もちろん、全体的に見れば完全に防いではいないけど、自分自身の身を守るくらいの効果はあった。
『運命のつがい』が協力して身に着けたり触れ合うと、共鳴により家族全体に恵みをもたらすとされている。
「今回の、取引の目標は、大体決めてあるけど、いいの? 俺の指示がなくなっても」
「我々が引き継ぎます。ヨウさんと同じように、我々にも出来ます」

『幹部』の一人、クロネコ、がドアを開けた。
 ヨウが地下から兵器を持ち出していたことを発見して報告したのもクロネコだった、通行止めもそれ由来と判断された。
それになにより『あの放送』からの緊急召集。データはあかでみあ社に送られていることや本人から連絡があったことが内部から連絡が来ていよいよ彼の容疑が確定し始めた。ヨウはハクナともよく接触している。局などのスポンサーを牛耳るギョウザさんとも通じていた。
 観察屋を通じて『悪魔の子』に会いたいと歪んだ熱意を向けていたこともクロネコは知っている。
「『悪魔の子には、会えましたか』」
「……なんだ、黒猫じゃないか。あぁ、会えた。あの力が欲しかったが、兵器を使っても無理だった。あれは俺が扱える代物じゃない」
「そりゃ、そうですよ、あなたは人並みの心をお持ちですから」
クロネコは、わかっていたというようにニャハハハと笑い転げた。
「人、並み……?トモミを愛していた俺――私が……」
「当たり前のように『好き』を享受出来る我々と、あなたは変わらない。
あなたは、我々と同じ、その概念の境界から出るすべなど持っていないのですから。それを取りまとめる力を得ることなどあなたがいくら努力しようが不可能」
クロネコの横から、しお、が出てきておずおずと話した。
「しおも、本当は、ハクナ側が何かしようとしてるのずっとやめさせたかったんですよ。
ハクナ側はどうにか前向きな発言で自分を鼓舞しているようですが──
限りなく黒に近いグレーだったものが仕様と言うにも少々厳しくなってきています。市民も薄々勘付いたりし始めましたし」
斎藤が、さらに背後から現れて言った。
「独断と独り善がりの勘違いで勝手に暴走した結果だ。学会も疑われ始めた」
その横から、岡崎老人が苦々しい顔で唸るように呟く。
「ああ、我々には政治が──学会があった。少なくとも今は、44街の支配者だ……だが……もう……変革の時が訪れたようだ」


「なぜなんだああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
突如、静かに言葉がこぼれるのみだった部屋に、激しい絶叫が響き渡る。
ヨウは発狂したのだ。
「俺が考えた! あいつの事件も、俺が、考えた! 俺が考えてきた事件だ! 俺が、トモミのために考えた事件────」
「痛みは、受けた側のものです。事件の重みは、その事件を被った側に降りかかるもの。その事実は、考えただけのあなたには、どうにもなりません」

クロネコが、少し寂し気に呟く。
がたいのいい男たちが現れ、ヨウの両腕を拘束していく。


「ギョウザさんにも、じきに監査が入るでしょう」




 ヨウは、トモミを捨てても、トモミの代わりを探した。
トモミしか要らなかったが、ゴミにして捨ててしまった。
自分でも、わからない。なんで、こんなことが出来たんだろう。
それでもトモミのことを愛していた。
その喪失感。恋人のように、可愛い妹のようにかわいがっていた。
だけど、自分は鬼だったのではないか。
妹のようなあのトモミのフォルムが、頭から離れない。
あれから何度もゴミ捨て場を探したが、もういない。
鬼に、捨てられた、トモミは、どんな最期を辿っただろう。
妹、妹、妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹。
こんな鬼で、本当にすまなかった。

 ヨウは、激しい罪悪感から、再び部屋に籠りきり、『妹』が出てくる小説を書き続けた。
現れるはずもない『妹』の影を、感じているような、より、精神を通じて愛し合うような、不思議な感覚がヨウを満たすようになる。
彼女、としなかったのは、自分の身体の一部のように生活に馴染み過ぎてしまっていたためなのか、本当に妹のように接していたためか、ヨウ自身もうまく言えないけれど――

いつしか、人間の姿で現れたら、また、愛し合おう。

ヨウの中の『妹』の精神は、どこかで人の形をして存在するはずだ。
彼の特有の思考から、いつしか観察屋に入り浸るようになり、ギョウザさんにも献金などを通じて仲良くしてもらい、


そして、ヨウは観察屋の下調べを得て、トモミにふさわしい『妹』に向けたラブレターを発信する。




「皮肉な……、ものだな」
牢に連れて行かれながら、彼は誰にも聞こえない声でぼそっと呟いた。
テロ、と呼ばれたラブレターは、もともと、ヨウ自身の本心からの綿密な下調べを得て愛を語る、妹への手紙だった。
だけど、いきなり匿名で生活密着型のラブレターが届いても、一般的な女子は恐ろしがり叫び声をあげてしまうだけだということを、彼は知らなかった。運命の妹に、会えると信じていたから。


「うん、鬼さん。私、鬼さんの気持ち、つたわったよ。私も、おに……ヨウのことが。だぁいすきっ!!!!」






 次第にそれは、スキダを誘発させ、ときに破壊させる大量殺りく兵器として機能し始める。


44街で、通常の恋愛が出来ないものは不幸だ。
当たり前の好かれ方をしないものには、悲惨な結末が待っていた。
当然のように、血を吐き、暴れ狂い、人々は、告白し、突き合った。
スキダは怪物に変貌し、罪もない生徒を食い殺した。
テロ以外の何ものでもないそのラブレターを、学会は、承認する。
 ギョウザさんは、ヨウを責めたりしなかった。


部屋を訪ねるなり、ニヤニヤしながらこう告げる。

「スキダを……悪魔ってことに、しちゃおうねぇぇぇぇン!!」

誰かが愛し合うのも、憎しみ合うのも、みんな、スキダがあるからだ。
みんな、好き、があるからだ。
それはまさしく、悪魔の囁き。

「きみじゃない、悪魔がいけなかったんだ」

ギョウザさんの横には、せつ、が居た。ギョウザさんに不安そうにしがみついて、頷いた。

「ワタシは感謝してるんだヨ。この子を、『ある理由』のために育てているのだけど。

せつがどうしても欲しい、純度の高い――宝石(スキダ)を見つけるのに君は一役かってくれたんだから」

ヨウのラブレターは、一部の人たちの発作を誘発するのだという。
スキダ、の濁りが少ない人々は、裏で宝石にされることがあった。
彼ら彼女らは、本来通常よりも他者の感情が響いて具合が悪くなりやすい。
その濁りは、メラニン色素のように、多くの人間が心に持っているもので、少ないと直射日光を浴びて火傷する場合もある。暴力なのだ。
その好意の暴力を、より悲惨に、強く、相手に向けることのできる素質を、ヨウは持っていた。


「ラブレターを描いたり、ラブソングを歌うだけで、こんなことが出来る人間が居るとは思わなかった。これはいい漁が出来る」