数日後。
「えー、じゃあ、本当に合体したんだ」
カグヤがいきなり言うから、吹き出しそうになった。
──朝。カグヤの家の台所で朝ごはんの支度をするのが、私の新しい日課になっていた。
カグヤの家は他人の家なのになんだか懐かしくて、ずっとここに住んでいたかのような、不思議な落ち着きがあって、こうして何日か支度を手伝っていると、本当に、ドラマとかにある家族か何かのようだと、客観的に思う。
まだこの時間、おじいさんはまだ寝ているはずで、アサヒもぐっすり眠っていたから、此処には二人だけ。
と、わかってはいるけどちょっと恥ずかしい。
「う、うん……それで、合体を望みたいくらいの気持ちがあるなら、恋人って認めてくれるって」
「良かったじゃーん! で、どうだった?」
「どう、って……その……」
玉子焼きを作るカグヤの後ろのテーブルで、私は白米に塩を少々と、刻んだ大根の葉っぱ、鰹節、胡麻を混ぜている。
──思い出す。
背凭れの窪みが肌に馴染むように触れたこと。ひんやりした木の感触が徐々に温かくなること、椅子さんに彫られていた模様の凹凸が私の肌に後を付けたこと。木の香り。
柔らかい唇や瞳はないけれど、私を包むように座らせる椅子の感触。
「椅子さんがすごく、近くて……その……」
なんだか、顔に熱が集まる。思わず、作業の手を止め、頬に手を当てた。
「近くて?」
カグヤに聞かれても、なんだか言葉が詰まって出てこない。恥ずかしい。
幸せでいっぱいだった。
やっぱり、物とか、人とか関係なしに、私は椅子さんが、椅子さんだから好きなのだと実感出来た。
と、言うことすら、なんだかむずむずして、私は作業に戻る。
「……は、はやく、準備しちゃおうよ」
また、椅子さんを抱きしめたい。椅子さんとも一緒に朝ご飯を食べられたらいいのに。
相手が、人ではなく椅子だとわかっていても、やっぱりなんていうか、椅子さんは椅子さんなのだ。
カグヤはなんだか嬉しそうに焼けた玉子焼きをひっくり返している。
「わかったわかった。でも、本当、良かったねぇ……これで一緒に北国にも行けるわけだ」
「うん……許可証とか、医療制度は使えると思う」
《あちこちで過疎化が進み労働力の確保が難しくなり始めていたことを受けて、超恋愛世代の生き残り…………私より、前の前の前の前の前の前の……とにかくちょっと昔の世代の大人が決めてしまった》という建前も、もちろん存在している。選挙に勝つために、さまざまな場所に、あらゆる理由を作って呼びかけなくてはならないというのもあるし、事実、労働力が減っていたのもあるだろう。
物、では保証が適応されないこともある、というのは私にも理解出来ていた。
「でも、私も半分は木だから、子どもとかも……ってのも考えたんだけどさ。椅子さんは、椅子になってしまっているから、そもそもそういう
器官がないんだよね」
混ぜたご飯でおにぎりを作る。熱い。けど、美味しそうだ。
「私、無茶なことを言ってしまったのかな、って考えそうになるんだけど」
「そんなことないよ」
カグヤが、やけに真剣な声を上げた。
「そんなこと、絶対に、ないよ。だって労働力とか、周りが言うからとかじゃないでしょう?
恋愛が出来ない人や、他に、事情がある人のこと、この街はなんにも考えていなかった! 恋愛制度、なんて言っても結局すべての恋愛を受け入れて居なかったじゃない。同性と異性だけ。それが正しいわけ、無いじゃないの!
正直ね、私、あまり、リア充って好きになれなかったけど、それでもあなたの椅子さんを想う気持ちは素晴らしいものだわ」
「カグヤ……」
不安になりそうだった心を奮い立たせる。
そうだ。あの日、椅子さんに出会って、書類を突き返されたときからずっと、私は、椅子さんとの未来を信じ続けてきた。
いろんな人に会って、いろんなことがあって……
「今では、みんな、そう、思っていると思う」
嬉しい。もし、そうだとしたら、少しでも、誰かがそう思ってくれるのなら、なんて幸せなことだろう。
建前とか、世間体とか以上に、私自身を応援してくれた。
「ありがとう!」
おにぎりを二人分くらい作ったところで電話が鳴る。
急いで手を洗って、端末のボタンを押すと、表示されたのはあの女の子の番号だった。
『おはよう』
「おはよう。早起きだね」
『うん……、目が覚めちゃった。昨日、先生がもう退院できるかもって言ってたから、朝から着替えて、ベッドの周りを片付けていたの』
「そっか、迎えに行くね」
『うん! あぁ、そういえば、聞いた? 田中さんが、捕まったよ』
「え……田中、って、あの、田中市長?」
『今、テレビでやってるよ。不正けんきん? とか、いほうな書類を書くのを、たのまれていたんだって」
「カグヤ、田中さん、逮捕だって」
通話を終えると、私は思わず振り向いてカグヤに報告する。
昨日もなにかと忙しさと戦いの疲れで、ほぼ、ぼーっと過ごしたので、テレビなんて見る余裕がなかった。
「えっ、嘘マジ、テレビやってるかな」
カグヤは慌てて、台所の高いところに置いていたテレビをつけた。
画面に速報が映る。
44街の悪魔の実態
田中市長 逮捕。 不正献金、薬物疑惑、選挙を後押しか。違法な書類……
疑惑が乱立するテロップに、めまいがする。
まず、選挙で不正をしていて、学会が後押しして田中さんに票を入れていたこと、での、学会との繋がり。
それから学会からの見返りとして、本来なら滅多に使われないはずの『接触禁止令』の書類に、学会が目をつけた一部の民の名前を書き、権限で判を押すように頼んでいたこと。
これは、今、ハクナが疑われている迫害疑惑に、学会の本部自体が関わっていたのではないかという疑惑をもたらした。
これは、学会と、その恩恵を受ける人の権限で私だけの問題ではなく、めぐめぐや、他の誰かも『接触禁止令』を通されそうになっていたということだ。まるで、その事実から目を反らすかのように、あちこちで火災が発生していることも、もし、本部が関わっていたのなら、と気になる点として話題に上った。
これまでどことなく、ハクナが悪いですよね、というだけの話を強調していたメディアに走る衝撃。
「あれ、でも。今の会長が逮捕されたら、学会はどうなるの? 奉仕活動は……」
「うーん、もし、学会がなくなったとしても、どうせ、あなたたちの前に言ってた取引はあると思う。そしたら、普通に旅行して、追いかけましょう」
「なんだか、ちょっと、うれしそうだね」
「うちだって、おばあちゃん、信者だったのに。あっさり見限ったのよ。結局私欲に走って、たくさんの犠牲を出して、大昔のテロと、毒が撒かれる以外は変わらない」
大昔、とあるカルト宗教団体が、無差別テロを起こして、教祖が逮捕された。
なにがあったのかは、断片的な情報しかわからないので正確なことは私にも言えないけれど、そのときの被害も、かなりひどいものだったらしい。
「ずっとすがっていたって、いつかは終わりが来る……なんにでも。それは、誰にも止められない」
これまで恋愛総合化学会と、遊び歩く父親に翻弄され続けてきたカグヤの人生も、今、少しずつ変わろうとしている。
「そしたら、新しいことを始めるわ」
少しして、アサヒが起きてきて、カグヤの祖父も起きてきて、一緒に朝食を摂った。
並べられたお握りや玉子焼き、漬物、みそ汁などは思っていた通りに美味しく出来た自信作だ。
「後で、工房に寄りなさい」
少し眠そうにやってきたおじいさんは、椅子さんのメンテが終わったことを告げた。
「ありがとうございます!」
お代とか、何か、要るのではとずっと気にしていると、カグヤがそっと横から肩を叩いて耳打ちしてくる。
「いいって、そんなの。おじいちゃん結構がめついのに、何も言ってこないってことは、そういうことなんだから」
「そうなんだ」
「何か?」
おじいさんがこちらをうかがう。
「いえ、なんでもないです」
「これからも、工房、続けて行くの?」
カグヤが話題を振る。
「あ? ほかにすることもないし、そうするつもりだが」
祖母が居なくなって、これからのこと、というので、何かしらあるのだろう。
あまり聞くのも悪いかなと思い、私は、気を反らそうとしてさっきから黙って漬物を口に運んでいるアサヒに目を止めた。
「美味しい?」
「あぁ」
どこか、ぼーっとした返事だ。これも、まずいと言わないから美味しいということでいいのか。
そう思ったら、カグヤのおじいさんの態度と被って笑ってしまった。
「何笑ってんだよ……」
「わかんない、なんか、気が抜けたのかな」
「はぁ」
なんだそれ、という顔をされた。
「カグヤと二人で用意したんだよ」
「知ってる……前の職場の頃は、カップ麺とか、安い弁当とかばっかりだったから、なんかこういうのもいいな」
何かしら反応を返せという風に受け取ったのか、アサヒは少しだけ食べる手を止めて答えた。
別に単に暇だっただけなので、そういうわけでも無いのだけど、でも何か言ってくれるならそれはそれで嬉しい。
「私も、こうやって過ごすのって、凄く久しぶり。これ食べたらお迎えに行くから、準備してね」
「わかった」
あ、その前に、椅子さん。工房に寄らないと。
元気になった椅子さんに会える。嬉しい。
今回は大人しくしていたのかな。
――じゃあ、本当に合体したんだ
カグヤとのやり取りを思い出して、急に、胸の奥と、手の指先が、かっと熱くなった。
顔にまで出ていないはずだが、鼓動が激しくなる。
さっさと食べてしまおう、と、まずお茶を飲み、それから私も本格的にさっきまで止めていた食事を再開した。
工房で、カグヤのおじいさんが、椅子さんを差し出した。
「少し、補強しておいた」
あと、何やら装飾がほんの少し豪華になったらしい。すっかり元の姿に直され、より肌が艶を帯びた椅子さんは、元気そうだ。
「わぁ。ありがとうございます!」
細部を確認し、おじいさんの話に相槌を打ちながらも、大人しくしてた? と小声で話しかけてみる。
椅子さんは、私をじっと見つめていた。
――心配かけてごめん。田中も、もういないし、今日は静かにしていた
え。椅子さんは、田中さんと知り合いなの?
前回は、田中さんに会いに行っていたのか。
少ししておじいさんが、部屋に戻っていったのを見届けて、私は椅子さんを抱きしめた。
ひんやりして、暖かい。木のぬくもり。
――浮気じゃないから、安心して
「うん……でも、何を、しにいったの」
――おまじない。かな。ちょっとした、昔話さ。
「そう。なら、いいわ……あぁ、落ち着く。あなたのそばにいると、すごく、なにもかも、澄んで、透き通って見える」
――クラスターの輝きは少しずつ、心に入り込み、素直な気持ちにもさせるんだ。
呪ったりするだけじゃ、ないんだよ。
でも、それは、お酒のようなもの。
人が、どんな怪物を内に秘めているのかは、椅子にもわからない。



