椅子がなければ、作ればいい。
『男』は帰宅して早々に工房の方へ向かった。父は帰って居らず、今、この家には彼が居るのみだ。
カグヤも、出かけて居ない。
木の匂いに満ちた、粉っぽい空間。強い木のにおいが立ち込める室内。
そこら中にくずが舞う床。机には糸のこぎりやカンナ等が並んでいて、あちこちに作りかけの椅子や、やすりをかけているミニテーブル等がある。
静けさのなかで、時計の秒針が時を刻む微かな音が響く。
工房の中、木材を切ったり整える道具類に混ざり、あちこち四隅に置かれた机には木材が積んであった。
「──椅子がなければ、作ればいい」
呟いて、男はなかを見渡した。
彼は椅子に関心があった。
だが、まさか母の命を奪うつもりは当初なかった。カグヤの祖母でもある彼女が学会の悪口を言ったことをこじつけて動いたのは『学会そのもの』なのだから。
『椅子』に関心を寄せ始めていたのは、なにも彼だけではない。悪魔、と呼ぶ会長だってある意味注目していたし……
まあどのみち、あと数年程度の老い先が一気になくなっただけの話だと、彼はさほど悲しまなかった。
いっそ、あとは家具屋からノウハウを奪えば父も用なしだろう。
特別な家具があれば、もしかすると『秘密の宝石』を作る以外のやり方すらあるのかもしれない。
『秘密の宝石』はスキダから逃れられるといえど、やたらとコストがかかるし、リスクも高い。国民に参加してもらって、公然として特定の人間の迫害を進める為には、
『個人の人格の問題』にしなくてはならないからだ。
対象の性格や容姿にわざと話をすり替え、足りない部分は芸能人を見立てて、スキャンダルや丹念に仕組まれた台本で補う。そして映像を流す。
ハクナや観察屋はその一端でもあった。ばれたらBPOの審議行きのときもあるが、繰り返し行われる詳しい目的そのものについては彼らはまだ到達していない気がする。だけかもしれないけれど。
そんな手間よりは最初から戦えるようにして、今の学会の信仰の謎の定義から変えてしまえば良い。つまり、椅子がなければ作ればいい。
「──確か設計図が……」
男は真ん中にある机に近付くとなれた手つきで引き出しの中を探す。これは工房の天井裏に仕掛けておいた監視カメラの映像を見て知っていたものだ。
クリップで止められた紙を引っ張り出して、めくる。
「何々……」
そして舌打ちした。
材料になる大樹でなくとも、それらしいものを拵えてみようと思ったのに、紙にあったのはただの椅子の設計図。やはり大樹以外の木で作った椅子から触手が生えたりするわけがない。
作り方だけの問題じゃないのだ。
わかっていても、悔しくなってしまう。
単なる豚には不可能だ──
まるでそれは脅迫、監視、付きまといという卑怯な方法によってタダで自分たちが助かる力が手に入るなんて都合が良いことがあるわけがないだろ、と言われているようだった。
「チッ、役立たずが」
都合が良すぎるのはわかっている。頭で考えるのが得意だったなら、きっとウォール作戦だって中止され、大樹が伐採されやしなかったし、学会だって今のようなことにはならなかったのだから。
──いうなれば困っていることはほとんど自業自得、考えなしに起こしたことによる因果応報。
責任がとれるわけもなく、更に罪を増やして、自らの首を絞め、それを補う為に他人の真似から糸口を探す。そんなことは都合が、あまりにも良すぎる。代償もなくタダで罪や責任が消えたりしないことは、理解している。するだけだが。
ページを閉じ、引き出しに戻しながら男は工房を出る。
「俺は、『好き嫌い』が嫌いだ。
他人に評価されるのが我慢ならん。あらゆる全ての愛すべき生き物に対して、肯定し、全ての評価されるべき物が好きか良いでなくてはならない。嫌いは、存在すべきではない!! いいか!! スキだ! 嫌いという言葉は許さんからな!!
俺の目の前には、好きという言葉しか残らん!
好きしか要らん!
僅でも!
どんな一瞬でも!
すべての人類から嫌われることはない!」
怒りに任せ、彼は誰も居ない部屋で怒鳴り散らした。
──娘から嫌われている。
許せなかった。
カグヤのことを考えたついででカフェのことまで思い出してしまう。嫌われるのは嫌いと何度も言っているのに、不快な目をされたのが、許せなかった。
なんて思い出していると、家の固定電話に着信。
慌てて廊下に出ると受話器をとる。
「はい……」
『もしもし? かぐらしあつ子ですけど?』
すっとんきょうな高い声が、送話口から響いてくる。
「アッコか、どうかしたか」
『はぁいー、いやね、秘密の宝石にふさわしい子が居たと思うんですけど? 今、暇?』
「今、葬儀のことで忙しいんですが」
『あのですね、まだまだ我々の目標に足りないので……
そろそろラブレターを用意しようと思うんですけど?』
「はあ、どうして私に」
『いやそれがね、会長今、ハクナに視線を集めてるでしょ?
ブンちゃんたちが、ヨウさんを守ろうと新しく宝石を作ると言い出して、あなたも危ないでしょう?』
「……危ないとは、私がハクナの指揮で、捜査の手が及ぶということですか」
『そうでしょう? 警察だか、マッドわんわんだか知らないけど、鼻が効く連中がハクナを洗い始めるだろうと中に居るネオちゃんの子が教えてくれたのね?』
「──ですが」
『もうじき、奉仕活動がありますからね、時間は合わせたいのよ?』
奉仕活動はごく稀に行われる海外支点とのかけ橋だ。
貧しい国に食料を配ったり、ゴミを拾ったり、教えを広めるボランティアだ。宗教の理念にも、まず困っている人に施しをするようにある。
最近はよく、懇意にしている北国に行くのだが……
その奉仕活動の裏では宝石の取引が行われ、学会の運営費になっていた。大事な取引だった。
「しかし……ラブレター……ですか、今の宝石で間に合うでしょうかね」
『間に合わせるんですけど?』
『男』は帰宅して早々に工房の方へ向かった。父は帰って居らず、今、この家には彼が居るのみだ。
カグヤも、出かけて居ない。
木の匂いに満ちた、粉っぽい空間。強い木のにおいが立ち込める室内。
そこら中にくずが舞う床。机には糸のこぎりやカンナ等が並んでいて、あちこちに作りかけの椅子や、やすりをかけているミニテーブル等がある。
静けさのなかで、時計の秒針が時を刻む微かな音が響く。
工房の中、木材を切ったり整える道具類に混ざり、あちこち四隅に置かれた机には木材が積んであった。
「──椅子がなければ、作ればいい」
呟いて、男はなかを見渡した。
彼は椅子に関心があった。
だが、まさか母の命を奪うつもりは当初なかった。カグヤの祖母でもある彼女が学会の悪口を言ったことをこじつけて動いたのは『学会そのもの』なのだから。
『椅子』に関心を寄せ始めていたのは、なにも彼だけではない。悪魔、と呼ぶ会長だってある意味注目していたし……
まあどのみち、あと数年程度の老い先が一気になくなっただけの話だと、彼はさほど悲しまなかった。
いっそ、あとは家具屋からノウハウを奪えば父も用なしだろう。
特別な家具があれば、もしかすると『秘密の宝石』を作る以外のやり方すらあるのかもしれない。
『秘密の宝石』はスキダから逃れられるといえど、やたらとコストがかかるし、リスクも高い。国民に参加してもらって、公然として特定の人間の迫害を進める為には、
『個人の人格の問題』にしなくてはならないからだ。
対象の性格や容姿にわざと話をすり替え、足りない部分は芸能人を見立てて、スキャンダルや丹念に仕組まれた台本で補う。そして映像を流す。
ハクナや観察屋はその一端でもあった。ばれたらBPOの審議行きのときもあるが、繰り返し行われる詳しい目的そのものについては彼らはまだ到達していない気がする。だけかもしれないけれど。
そんな手間よりは最初から戦えるようにして、今の学会の信仰の謎の定義から変えてしまえば良い。つまり、椅子がなければ作ればいい。
「──確か設計図が……」
男は真ん中にある机に近付くとなれた手つきで引き出しの中を探す。これは工房の天井裏に仕掛けておいた監視カメラの映像を見て知っていたものだ。
クリップで止められた紙を引っ張り出して、めくる。
「何々……」
そして舌打ちした。
材料になる大樹でなくとも、それらしいものを拵えてみようと思ったのに、紙にあったのはただの椅子の設計図。やはり大樹以外の木で作った椅子から触手が生えたりするわけがない。
作り方だけの問題じゃないのだ。
わかっていても、悔しくなってしまう。
単なる豚には不可能だ──
まるでそれは脅迫、監視、付きまといという卑怯な方法によってタダで自分たちが助かる力が手に入るなんて都合が良いことがあるわけがないだろ、と言われているようだった。
「チッ、役立たずが」
都合が良すぎるのはわかっている。頭で考えるのが得意だったなら、きっとウォール作戦だって中止され、大樹が伐採されやしなかったし、学会だって今のようなことにはならなかったのだから。
──いうなれば困っていることはほとんど自業自得、考えなしに起こしたことによる因果応報。
責任がとれるわけもなく、更に罪を増やして、自らの首を絞め、それを補う為に他人の真似から糸口を探す。そんなことは都合が、あまりにも良すぎる。代償もなくタダで罪や責任が消えたりしないことは、理解している。するだけだが。
ページを閉じ、引き出しに戻しながら男は工房を出る。
「俺は、『好き嫌い』が嫌いだ。
他人に評価されるのが我慢ならん。あらゆる全ての愛すべき生き物に対して、肯定し、全ての評価されるべき物が好きか良いでなくてはならない。嫌いは、存在すべきではない!! いいか!! スキだ! 嫌いという言葉は許さんからな!!
俺の目の前には、好きという言葉しか残らん!
好きしか要らん!
僅でも!
どんな一瞬でも!
すべての人類から嫌われることはない!」
怒りに任せ、彼は誰も居ない部屋で怒鳴り散らした。
──娘から嫌われている。
許せなかった。
カグヤのことを考えたついででカフェのことまで思い出してしまう。嫌われるのは嫌いと何度も言っているのに、不快な目をされたのが、許せなかった。
なんて思い出していると、家の固定電話に着信。
慌てて廊下に出ると受話器をとる。
「はい……」
『もしもし? かぐらしあつ子ですけど?』
すっとんきょうな高い声が、送話口から響いてくる。
「アッコか、どうかしたか」
『はぁいー、いやね、秘密の宝石にふさわしい子が居たと思うんですけど? 今、暇?』
「今、葬儀のことで忙しいんですが」
『あのですね、まだまだ我々の目標に足りないので……
そろそろラブレターを用意しようと思うんですけど?』
「はあ、どうして私に」
『いやそれがね、会長今、ハクナに視線を集めてるでしょ?
ブンちゃんたちが、ヨウさんを守ろうと新しく宝石を作ると言い出して、あなたも危ないでしょう?』
「……危ないとは、私がハクナの指揮で、捜査の手が及ぶということですか」
『そうでしょう? 警察だか、マッドわんわんだか知らないけど、鼻が効く連中がハクナを洗い始めるだろうと中に居るネオちゃんの子が教えてくれたのね?』
「──ですが」
『もうじき、奉仕活動がありますからね、時間は合わせたいのよ?』
奉仕活動はごく稀に行われる海外支点とのかけ橋だ。
貧しい国に食料を配ったり、ゴミを拾ったり、教えを広めるボランティアだ。宗教の理念にも、まず困っている人に施しをするようにある。
最近はよく、懇意にしている北国に行くのだが……
その奉仕活動の裏では宝石の取引が行われ、学会の運営費になっていた。大事な取引だった。
「しかし……ラブレター……ですか、今の宝石で間に合うでしょうかね」
『間に合わせるんですけど?』



