「ありがとうございました」
二人で礼を言って車から降りる。
男性は、頑張れよと手を振り、再び車でどこかに向かって行った。
目の前にあるのは市長舎付近の、布がかけられたりして封鎖されている一角。
考えることはあるけれど、まず、なにより先に、これから久しぶりに、椅子さんに会える!
「椅ー子さーん!」
その屋根の上に、椅子さんは、ふわふわと浮いたまま佇んでいた。
こちらに気付くと、ガタッ!と
屋根に着地して、椅子さんが手をふる。手を振り返すと、椅子さんはどこか、微笑んだ気がした。
「うん、ただいま……!」
やっぱり、人か物かなんて関係なく、椅子さんを見ると落ち着く。
「え?」
椅子さんが言う通り、すぐ横に立って居るアサヒを見る。
「な、なにを、言ってるんだ?」
「アサヒもよく来たねって」
「あ、あぁ……どうも」
──あの中には、私は入れなかった……よくやったね。
「うん」
椅子さんが褒めてくれる。けれど、胸が痛む。
「──でも、あの子が、倒れちゃって、私が……しっかりしなかったから、はっ、そういえば、ロボットさんは」
──……
椅子さんが触手で、近くの建物などを囲うように布がかけられたすぐ横の一角を指差す。
「まだ、あの中に?」
遠くてよくわからなかったが、耳をすますと微かにその方向からなにか、聞こえていた。
ゴ──メンナサアアアアイ!!
ゴメンナサアアアアイ!!
ウワアアアアアアアア──!!!
ウワアアアアアアアア─────!!
あのなかで、何が……
──意識を取り込まれて、兵器ごと暴れている。
椅子さんが答えると同時に、背後から声がした。
「『これ』は本来、あなたに使うはずではなかったのに」
丸い顔に眼鏡、耳が隠れるくらいの髪、そして男性もののシャツとジーンズを身に付けている。青年?だった。
……男の、人?
いや、それにしては、なんだか……
「私はブン。その兵器に乗った彼の彼女ですよ」
「彼って、ハクナ幹部の?」
かまをかけてみたがブンは否定しなかった。特徴的な、女性のものとしてはやや低い声で彼女ははきはきと話す。「ご存知でしたか。ノハナさん。
民への苛めや損害、暗殺の企ては一部のハクナによって起こされたもの。
『本当の地位』が揺らぐことに耐えられずに、彼は焦っていたんです……
政略的な付き合いだから、互いに恋愛感情がなかったから良いものの……私を放り出してあなたに構っていたのが、悔しくないといえば嘘ですね」
「地位……?」
どういうことなのだろう。
なにか、言おうとしたとき、ちょうど叫びが聞こえる。
──ウワアアアアアアアア!
!ゴメンナサアアアアイ!!ウワアアアアアアアア─!!
確かに、ハクナは嫌がらせをし続けてきた。それは今更隠しようのないほどの事実だ。
けれど……その言い方もなんだか変なのだった。
「── 学会の、人ですか」
「そうです。あなた、確か、届けがまだだった人ですね」
「……あの、提出ならしました」
「役場でのことは、民の為を思っての責務で苦言を呈したに過ぎません。
みんな、知らなくて悪気はなかったと思う。
あまり、気負わないでくださいね」
「……あの」
ブンさんが立っていたら、兵器に近付けない。なんとなく、そんな気がする。
けれど彼女は執拗に絡んできた。
椅子さんやアサヒなんてまるで眼中に無いみたいに。
……もしかして、妨害をしている?
「我々は規範にならねばなりません。学会を、ゆくゆくは44街を栄えさせるべく、
常に正しく在りたいと考えています」
なんだか、言い掛かりにすらならない、なんの話をしているかすらわからないことを言い出した。
「それより──あの、兵器が」
ちら、と布がかかっている方を見る。さっきから暴れているのは伝わっている。布が破けたり、ロボットさんが飛び出さないか気が気でない。.私は駆け出した。椅子さんが空からゆっくり降下してきて、すぐ側にやってくる。
「椅子さん……」
椅子さんが触手を使ってそっと私の頬を撫でた。くすぐったい。
ちょっと会わないだけでも随分と懐かしく感じる。布を捲って進むと、空間には真っ黒い渦が広がっていた。ロボットがその中心に台風の目のように佇んでいる。中に居る人がどうなっているかはわからない。
先ほどまでの絶叫が止まっており、気を失っているのかもしれない。
──私は、入れないよ。あの中には
椅子さんが言う。
「うん……、だから、待ってる」
どうせ、彼の意識が無ければ再現空間自体が持たないだろう。崩れかけているし。
──懐かしかったかい
「うん」
椅子さんが、ガタッ。と笑う。
なんとなく『君は祝福されて生まれて来たんだよ』と言われているみたいだった。そうなのだろうか、だけどそんなのはどうだっていい。
──そう? 恋は、宇宙が与えた呪いなのかもしれないね。
けれどその呪いを受けとるかは自由だ。
椅子さん、お人形さん、それから……私は、椅子さんだけじゃないいろんなものの声を聞いた。忘れかけていた、いろんな物が、本当はずっとそばに在って、ずっと支えてくれていた。あの中には二度と行きたくないが、悲しいだけではない不思議な感覚が残っている。
「恋という嫌なものを、あえて引き受けてまで私をのこした……か」
勿論、嫌なだけではなかったのかもしれないけれど、『だからこそ』嫌なものだってある。それなのに、恋をする《呪われる》ことを選んだ
。
人になにかを強く好きになる気持ちさえなかったら……もっとみんなが冷めた感情でいればこんな悲しいことが起こらないのではないかと、本当に何度も何度も考えた。
みんなが椅子さんみたいに静かに佇んでいれば良いのに、と。
──引き金はいつも誰かの好意。
神様も悪魔も呪いも祟りもそこにあるだけなのに、スキダが余計な力を与えてしまう。……。
そう、考えてみるとやっぱり、わからない。
『その気持ち』さえなかったら、私は生まれなくて済んだのにとも思ってしまう。でも、同時に、椅子さんと会えて良かったと思うのだ。
だからあの日の両親のことを、どう受け取るか、まだ、よくわからない。
──繁栄は、永久に続く呪いだよ。
何年も存在するものはそうやって力を持つ。
人の身体は生命を注ぐ命の箱のように、人の想いは誰かの手に渡り、誰かを変え、ずっと続く呪いだ。
人が人を好きになる限りは、だけれど。
「だったら、もしその箱が──」
足元が揺れた。
思わずよろけそうになる。
ロボットの目?が、光り、こちらをセンサーで捉えている。
「──お、おはよう」
挨拶していると椅子さんが触手で私を庇うように下がらせる。
「う、わっ!」
口? から吐かれたレーザー光線が
避けたすぐあとに地面を焼いていった。ロボットさんがこちらを見て居る。
「オマエハ、オレダアアアアアア!」
自我を見失い、自分と私を混同する。
誰から見てもすでに手の施し用が無いくらいに『病状』が悪化してしまった、悲しい存在がそこには居た。
(2021/9/144:21加筆)



