三角関係
「アサヒ」
眠りについたキムのいた方に手を合わせてから改めて私は言う。
──脳裏に、椅子さんの笑顔とガタッという声。ごつごつした木の感触が浮かんでくる。人間や動物とは違う、ひんやりとした温かさ。
椅子さんとの思い出。
──役場で、書類欄に家具を書いたから笑われたこと。
私は本気で、椅子さんなら、椅子さんが良いと思って書いたのに。
相手が人間や動物じゃないくらいで、差別した。
「私、行くよ。たとえどうなっても。この恋が叶わなくても──最期まで守るから。
それが生まれてからずっと悪魔と呼ばれてきた私が唯一、皆のために出来ること。
だからアサヒも──」
言いかけたとき、パシン!
と高い音が響いた。
「俺が……負けると思って居るのか!」
「え?」
一瞬、何が起きたか理解出来なかったが、アサヒが叩いたらしい。
「俺はっ……負けない」
「なんで、私を叩くの? アサヒは、何に勝ちたいの?」
アサヒは何も答えない。俯いている。そういえば、女の子の気配がしないように思った。どうしたのだろう。
「44街に住むみんなのために、二度とキムを産み出さないためにみんなを守ろうって、アサヒは思わないの?
それが、私にとっての戦いだよ」
アサヒが何を考えて居るのか、よくわからない。
私が考えていること。
椅子さんが好き。
椅子さんが居たから、ずっと戦って来られた。人間かどうかや生き物かどうかなんて関係ない。
椅子さんは私にとって、いちばん素敵な人。対物性愛が、44街では人間の感情として認められて居ないとしても、それでも、好きになったのが、たまたま椅子さんだった。
みんなはどこか不思議そうにしていたけれど、これは私にとって自然な感情で、椅子さんは、ただ目の前に現れたときに《椅子の形をしていただけ》なのだ。
性別も種族も関係ない。
私にとっては、きれいな心と魂を持つ、唯一無二の相手。
それでも──神様がそれを望まないのなら、私は世界のために気持ちを──私の心を捨てる。
死ぬまで戦う。
いつかは大樹に還って、その先で、また椅子さんに会うんだ。
だからそれまで、44街を守ろう。
アサヒもにも迷惑かけちゃうけど、同じ街に居る同士、それまでは付き合ってくれると、思ったのに……
頬が、ヒリヒリする。
「負けるとか、負けないとか、わかんないよ、何を言ってるの?」
アサヒは少し怒っているみたいだった。
「俺にもわからない!
でもたまにイライラする。今だって、なんでもっと、青春っぽいこととか、これからの楽しいこととか考えないんだ。みんなを守ろうとか、叶わなくても構わないとか、年頃の女の子の言葉か?
44街がお前や家族に何をしてきたのかわからないわけじゃないだろ?
そんな街の伝承とか、神様とかで苦しんで、なんになるんだ、そんなものに俺たちが負けると思っているのか?」
「……でも、何であれ、現状は怪物が出たじゃないの。私が、誰かと繋がること、私が、外に出ることは、怪物と無関係じゃない」
「それはっ! だけど、学会のやつらが……いいように昔を利用して」
確かに、幹部の人が私に起きたことを、勝手に過去に起きた事件だと思ってる。
混同して、所有する権利があると言ってた。トモミ、で時間が止まっていて、何を見てもトモミにしか見えない呪いに侵されたまま。
今のこと、今起きている犯罪なんか見えてすらいない。
「でも──闘わないと、終わらない。
その結論が変わることはない。
それならきっと私しか居ない。あれを生み出し続けるときっと、もっと世界が大変なことになる!」
アサヒは悔しそうに顔を歪めた。私が言うことが理解出来ないというように。
「俺、たまに考えるんだよ。本当は全部怪物で、本当は神様なんか居ないかもしれないだろ?
案外、適当な霊とかで──」
「適当な霊って何?」
私にもときどき、何が真実かわからなくはなる。けれど、ずっと、物心ついたときから、なにかが声をかけてくれた。誰かが、守ってくれた。
私にとってそれはいつまでも変えようのない真実だった。
「それは……でも、神様なんて」
「神様はどこにだっているよ。この国は、そういう場所だから、みんなが、願えば、感謝すれば、どこにだっているよ」
怪物と怪物じゃないものの境は曖昧で、人間も、怪物も同じ。
「壺を買わせたり犯罪に加担させるわけじゃないんだもの。少しでも希望が残るなら、なにかを願いたいと思うものがあるなら、それが神様だと思う」
あの日の、人形さんも神様だった。私の真っ暗な世界の中で唯一の光だった。─
何よりも尊く、世界で一番に輝いている。
だからこそ、私はそれらに命を懸けられるのだと言うとアサヒは、突然「すまなかった」と言い出した。
「……え?」
「──うまく言えなくて……
お前に、最初から椅子さんを諦めるようなことを言って欲しくない。なのにずっと取り乱すし、お前の椅子さんを想って、一生懸命になるところ、俺は一番良いところだと思う」
アサヒは私を見つめたまま、少し気まずそうに、けれど真剣な眼差しで言う。
突然、どうしたのだろう。
「ありがとう。なんか照れるよ……」
「でも、椅子がもしお前にとっても椅子でしかなくて、本当は全部気のせいだったら、って気持ちがあって、
俺は人間なのに椅子よりも関心を持たれないって、気持ちが綯交ぜ(ないまぜ)になってしまった、酷いよな……椅子だって生きているのに」
「え? どういう意味……」
「……いや」
アサヒは何か言いかけたが、すぐに話を切り替える。
よくわからないが、心配してくれたということだろう。
恥ずかしがっているのか、彼の耳が赤い。
「とにかく──今、義手の男が町に来ているんだ。俺はお前が居ない間そちらを追ってカグヤたちと行動していた。今後の北国のことと関係があるかもしれないから、支度が良さそうならすぐに行動したい」
「そ、そうなの? 義手……手が不自由なのかな」
「もし、俺が探す奴なら、ただの義手じゃない。
傀無の手というスキダを操るための義手を持ってる」
「キム……」
そういえば、キム、とキムの手は同じものなのだろうか。
改めて、響きが同じだと思う。強い意識を持ちながらに生まれられなかった概念体。過去に住んでいた家を見てきたから、感覚でわかる。
人間そのもの、生命という概念自体を内外から否定されるということ──
それを依り代として別の概念にすげ替え、生命の根本から、違う概念として44街に植え付けている。
……言葉にすればややこしくなるけれど、つまりあれは単に生まれられなかっただけじゃない。
祝福そのものから、生命としての意義自体から踏み躙った。意味に置いては人柱に近く、存在に置いては永遠的な
──44街の神様の一部。
「でも、アサヒと何か関係があるの?」
「俺は、そいつを過去に──マカロニの誘拐ときに見ている。
夕方、万本屋北香が、拉致されたのと関係があるかはわからないが」
「万本屋さんが!?」
「あぁ。暗くなるから追跡は出来なかったが、口封じかもしれない」
「……そっか」
そのとき、外で、爆発音が聞こえ家がわずかに揺れた。
「チッ、またか……」
また?
「あちこちで家が爆破されてる」
「なんで!?」
「さぁな、なにか思惑があるんだろ」
「……そう。ところでアサヒ、あの、気になってたんだけど、あの子は?」
無事に帰って来られたのか私はわからないままでいた。
彼女が迎えに来てくれなかったら危なかった。
あのロボットの人があんなに私の力に拘るとは思って居なかったし……
「無茶を、させてしまった」
「カグヤが病院に連れて行ってくれてるよ」
「良かった……あとでお見舞いに行きたい」
良かったかはわからないが私はこたえた。
(2021/7/3116:40加筆)



