椅子こん!




「悪魔は、幹部が──学会が、自らが手にかけた『作品』だった……
現実の事件は彼らにとっては『興味深い作品』以外の意味はない……
証拠を、確かめて遊ぶゲームだった……」


 ぐらりと、空間が歪む。
しっかり力を入れていないと自身さえ崩れ落ちてしまいそうだ。
少しずつ、逃げる範囲が狭くなり始めた。

──どこまで、逃げられるだろう、
いつまで、逃げられる?
外に出なくては。
ロボットは宛にならない。
私は、

「私は──事件なんて作品じゃない……私は、あなたが起こした事件、という作品じゃない……私は……」

 崩壊していく世界のなか、彼の異様な笑い声を聞きながら、私はただ、立ち尽くした。ぐらぐらと壁が崩れ、地面が割れていく度に、広がる穴。
怖い。けれど、怖いとうまく思えない。
私は────
ただ、悲しい気がする。
崩れ、壊れていくのは、紛れもなく私の思い出。
 たとえ、偽物でも、たとえ、再現されただけの家でも、それでも、確かに本物だった。確かに、現実だった。
私は此処に居たのだ。此処に、住んでいた。
 そりゃ勿論、強引に再現されたことは否めないし、良い記憶はないけど、だけど──
此処で生まれた。ちゃんと此処で育った。
それだけは紛れもなく本物の、否定してはならない感情じゃないか。
「ありがとう……私の、思い出」
壊れていく。何処に逃げたって無意味だ。
だったら闘うしかない。
「────私を、生んでくれた家……偽物なんかじゃないよ。だって、私の中にある本物……」














すっかり夜が近くなっては居たが、みんなは何となく、まだたむろったままでいた。
「彼女たち」が戦っているのに、休んでは居られないと思ったからだ。
 しかし夜に闇雲な行動は避けたい。明るくなったら追跡しようと、アサヒが、方角から車の行き先を推察しようとした。とき、ちょうど街の上空に大量のスキダが飛翔するのが見えた。
「なにあれ……」
みずちやめぐめぐが呆然とし、カグヤは咄嗟に「まるで、狩りのときみたい」と言う。
 目の前の道路を、網を積んだトラックが数台通りすぎ た瞬間、みずちたちの目の色が変わった。

「───やる気だ……、ここら一体は私たちの縄張りだってのに!」

彼女たちはそちらで狩りをするらしい集団の候補を上げて相談し始める。

(あのニュース速報、爆破に続いて、今度はスキダ狩りを始めるのか?
一体、なんのために……それに、万本屋……)

 アサヒは、何か言おうとした。言おうとして、激しい動悸に見舞われる。頭が痛いのか、目が回っているのか、よくわからない、漠然とした緊張感。呼吸が、苦しい。
「うぅ…………」
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
「あ……あ…………」
苦しい。呼吸が。苦しい……痛い。もがくアサヒに気付いて、めぐめぐが声をかけてくる。振り向けない。


────聞こえ……ますか


アサヒの脳裏に 声が響く。


──聞こえ……ますか

「ああ、聞こえる! 聞こえる……」


────聞こえ……ますか

「聞こえるって、言ってるだろ!」

誰の声だろう。辺りが霞む。体がうまく動かない。意識が淀んでいた。
 瞬間、すっと溶け込むように、自分になにかがうつるような、入ってくるような奇妙な感覚。
湿布を貼った瞬間に肌がヒヤッとするような、そういうものに近い衝撃だった。
「───彼女を、帰してあげて」

アサヒは、喋る。

「──彼女を、帰してあげて」

 しばらく話し合っていためぐめぐたちは、ぽかんとアサヒを見た。
アサヒはなにやら異様な空気を纏っている。

帰すっつっても──どうやって、帰すんだよ。

「────アサヒ……アサヒなら出来る、はずでしょう」

アサヒが、自分の名前を呼びながら奇妙な語りかたをするので、めぐめぐたちは驚愕のような、不審なような目でそれぞれ彼を見る。
その場にしゃがみこんで動かない。

「アサヒ?」

 カグヤが、そっと肩を触る。
あたたかい。生きている。

「──やめろ──俺、の身体だ……」

 アサヒは何かを言って、自分の肩の手を振り払うとゆっくり立ち上がる。
「──カグヤ……」
アサヒはいつに無く据わった目をしている。カグヤは怯えながらも何か用なのかと聞いた。

「──刃物を──借りたい。包丁とかで構わない、頼む」

「刃物!? なんで……あるにはあるけど……」

 カグヤとアサヒはカグヤの家に向かって走り出す。みずちたちは、街のスキダ調査に向かって行く。
程無く家に着くと、カグヤはさっさと靴を脱ぎ、先に家に居る父に叫んだ。

「お父さん! 刃物! 貸して」

「────ああ、帰ったか」

カグヤを見て、ちょうど台所から出てきたらしい男が返事をした。

「──刃物など何に使う」

後から追ってきたアサヒは、ただ頭を下げた。
「俺を────」

ただ事ではないと悟った男は、「待っていろ」と言い、部屋の奥の作業場まで引っ込むと、すぐに、酒と、清半紙、それから刀を持ってや
ってきた。
「はぁ……はぁっ…………俺……」

アサヒは頭痛が収まらないのか頭を押さえているが、それでも、男が渡してきた立派な紋様の小刀を見るなり、気を引き絞めたようになった。

「カグヤは消毒を、それから……」
男が静かに指示を出すので、カグヤはパニックだった。

「待って、これは何? 二人は何をしているの、お父さん普段なにしてるの、どうしていきなり私にそんな指示を? 刀なんて」

「──頼む。あとから、説明してやる。だから頼む」

アサヒが苦しそうにそう言うので、カグヤは少しイライラしながらも黙って、言われた通りに近くの部屋中に縄をとおし、 入り口に 大きな布をかけ、二階に消毒を取りに向かって行った。
 すうっと息を吸い込むと、まず腕を丁寧に水で洗い、拭いて──

「すみません……」

アサヒは緊張しながら男を見る。
彼は、なにも言わなかった。
すっ、と利き腕じゃない方の腕に刀を入れ、軽く引き抜くと、血がぽたぽたと流れ出して来た。手加減はしたが、やはりちょっと痛い。

「ふん、そうか……お前が」

男はそれだけを呟き、アサヒが血を清水に混ぜるのを待っていた。

「ほれ、筆だ」

 どこから出したのか渡された筆を、軽く会釈をして受け取る。
広げられた大きめの半紙を見ると、うまく出来るのかと少し不安になったが、ぐっ、と唇を噛み締める。
今は、とりあえず、目の前のことをこなさなくては。

「────話さなくて良い、聞き流して欲しいんだが……」

 男が唐突に話し始める。


「俺の──両親の家は古くから続くある派の神社でな……師匠であった、ある女の家の爺さんとはよく話をしたよ……」

アサヒは、何も答えない。正座して筆を滑らせていく。

「家が、嫌いだった。何だ祈祷って、何だ祓いって、何だ神って、そんなことばかり思っていた……俺は俺の神を見つける、実家の言いなりにはならない。人手がないからと、ガキの頃から手伝いはさせられたが、それは誓っていた。
爺さんは嫌いじゃなかったが、神社が嫌いだったもんだから、そりが合わなくてな──

だけど、ときどき顔を見せに来る、そこの孫娘だけは、癒しだった……
彼女を口説こうとした。
彼女は、穢れるからだめだと言った。何を聞いても、その一点張りで────神社に聞いても、じいさんに聞いても、彼女が頑なに人を寄せ付けない理由だけは答えてくれなかった」

「──青春の思い出ですか?」

アサヒは、その話に何を思えば良いかわからず、適当に返事をしてみた。
男は苦笑いした。
どこか、悲しげでもある。

「若かった俺は、理由が無いのに、俺を避ける、俺を嫌っていてバカにしているからだと、自分が穢れているからだと解釈した。孫娘にまで見下されているのか、と思って、ますます惨めな立場だった──けれど、どうしても諦めきれなくて、何日も彼女に言い寄った。俺は穢れているのか、どうして俺を避けるのか」

「──それって」


「自分は、神様に寄り添わなくちゃいけない。神様は、とても、大切な、みんなの拠り所だ。
神様に捧げるなら、この身も惜しいことはない。
だから他に現を抜かす気はない、彼女はそう言った。
神だ、神だ、また神だ! 俺の周りは、あるかもわからない、見えもしないものに心血を注ぐやつばかりだ、俺は猛烈に虚無感に見舞われ、自我がわからなくなりそうだった」

アサヒは思い出す。
 44街が出来るずっと昔。
村中の人から裏切られ、売り飛ばされ、身分もなく孤独に亡くなった彼女は呪いに転じ、村の子どもを食らっては嘆き続けた。
誰も、彼女の悲しみを癒すことが出来なかった。

──神様に、寄り添わなくちゃ。

 けれど、ある日現れた村人は
自分に子どもを食らうことを止めるよう説得するなではなく、ただ悲しみ、共に寄り添った。嘆きは鎮まり、彼女たちは44街の神様として奉られ称えられた。

「その次の日──
彼女は、自棄になる俺を案じて、昨日神様にお話をしたと言った。
「『二人で』幸せになるなら良いよ。私は神様を投げ出すなんて出来ない。そうすれば私の魂も持って行くでしょう」と」

「それが、『器』だったと……」

「らしいな。俺はそれから、彼女の言葉の意味を探し、あちこちの文献を探し回った。そして、ようやく、一冊の古い伝記を見つけた──44街の神様。彼女はその血を引いていたのだろう」

「待ってください、どうしていきなり、神様に興味もったり──」

「事件が、いくつか、あったんだよ。その撹乱のために、ラブレターテロが起きている……」

「え?」


アサヒは顔を上げて半紙から筆を離す。大きく書かれた鳥居を見ながらも、緊張に胸が高鳴る。
瞬間、鳥居が光った。

「うわっ!?」

 あの椅子のものだろうか、膨大な金色に輝く魚が、壁からすり抜けてきて半紙に吸い込まれていったと思えば、次の瞬間、ドサッ、とどこか外の方で音がした。思わず外を見る。
「あの……」

外を見てきたい。男は「片付けはやっておく」とだけ言ったので、アサヒは立ち上がり、玄関に向かった。
玄関には拗ねるように、睨み付けるカグヤが居た。
「終わった?」
アサヒは首肯く。
「わからない、あいつの家に行ってくる」
カグヤは何も聞かず、手に持っていた消毒液を見せる。
「腕、出して」