椅子こん!






 窓を、開ける。
外の空気に触れたからか淀んでいた部屋の空気は少しマシになっている気がした。

「他人に赦されようとするな、甘えるな!!!もういいなんてことは、一生無いんだ!!」


 叫んだとき、ちょうど頭に、ころん、となにかがぶつかった。
んだろうとそっと手に取ると、それは血の色をしたわっかだ。
「あ……」
───記憶が甦る。
(そうだ……ここには、キライダが居たんだった)
『意地でも嫌われたいその命──気に入った』
キライダの指に嵌めたわっかが、光りながら、周囲にわっかを飛ばすと、それが当たった箇所から人の手のようなものや苦しそうな顔が生え、所々が絶望的な雰囲気の場所に変貌して──

そこから、だったか。
 身体から意識が抜けて、根を張る植物が、再現された現場を少しずつ侵食していったんだ。
此処にいたキライダは……今は、何処にいるんだろう?

「……うわ」
いつのまにかポケットに入れていた紙飛行機が更に黒ずんでいる。
なんとなくだが、この紙が真っ黒になる前に此処から出るべきだと思った。
 わっかを握りしめ、窓から外に向かう。割れた破片があちこちに散らばって居たため、なるべく当たらないように慎重に降りる。
(ごめんなさい……嫌うことは決して悪では無いのに……)
キライダのことを考えると胸が痛んだ。
 それに、叫んで気が紛れたはずが、やはりなんだか無性に腹が立ってくる。

 勝手に入って来ておいて、自分が満足する証拠を出せという図々しさ。彼に証明してなんになる?
どんな立場で、どんな権利があってこんな暴挙に出られるのか。
自分は何もしないくせに。
何も出来ないからかもしれないが。
 それにそもそも戦う必要のなかった者たちをわざわざこうやって強引に私益で動かした──
 力を欲っするということは、その環境まで受け入れるということと同義だ。けれど彼は、力だけが欲しいのだろう。トモミのため?

ふらつきながらも、からだを引きずるようにしてロボットが居そうな気配の方へ歩いていく。





 やがて畑や山を背景に、途中、急に足元にあった何かにつまずいた。
身体を起こしながら見ると──女の子が倒れている。
つまずいたのは倒れていた彼女の足だったのだ。
 女の子は青い顔をして、薄く呼吸を繰り返していた。いつだったかに聞いた、発作かもしれない。
「しっかり……しっかりして!!」
彼女は私のところに来るまで、随分と無理をしていたらしい。しばらく意識がぼーっとしていたために、気遣ってあげることが出来なかった。
「う……ん……」
苦しそうにしている彼女の服から、薬ケースが見えたので思わず手に取る。1錠? 水は居る?咄嗟のことで、逆に硬直してしまう。
「えっと、えっと……!」

恋愛性ショックの薬──
錠剤に刻印されている「ヤダヨン」という名前が目に飛び込んできて、急いでポケットにあるはずの端末を探す。繋がるかわからないけれど…… 端末のスイッチを入れるが、なんだかうまく繋がらない。

「……ヤダヨンって、何錠!? 水は? わかんないよ……!」

 怖い。彼女が苦しそうなのが苦しい。私がパニックになるわけにはいかない。あぁ、どうして繋がらないの。
 許せない、あれもこれもあいつが身勝手に空間を引っ掻き回したからだ! 女の子が倒れている場所からそっと離れ、私はロボットさんの方に向かった。

「ねぇ!!」



ロボットは庭の中でキライダと戦っていた。
──たぶん。

《うわああああ!! トモミ!! やめてくれトモミ!!》

パニックになっている彼が、一人暴れているような気もするし、内部にいるのかもしれないが、あれはきっと何処かからキライダにとりつかれている感じだ。

「…………」

私も私で混乱していた。
混乱したまま、また戻り、とりあえず薬を1錠口に押し込む。
 これで良いのかは知らないが、1つくらいなら、とよくわからない根拠で。
 彼女は苦しそうに唸っていたが、しばらくして少し穏やかな表情になり眠ってしまった。体力を回復しているのだろう。このまま元気になると良いのだが……
 寝かせたまま、ロボットの方に向かう。

「私、もうやめた。探さない。
それは、あなたのものじゃない! あなたの力じゃない!
こんなこと、なんの意味もない!」

トモミ?
と戦っているロボットは、虚空に向けて短剣を振り回す。
戦っていて聞いてないと思いきや、答えが帰ってきた。

《違う! 私……俺から盗んだんだから俺が考えたみたいな力だ! それは俺なんだ! だから、俺が持つ力をお前が盗んだことになるんだ》

「なにを言いたいのかわからない、私は盗んでいない。
あなたは──事件に遭ったの? あなたは事件を考えたの?
所有していた事件だった?

なにそれ、事件ってそういうふうに悦に入るものだったの?
俺が考えた、とか──本当にあったことに、そんなふうに考えて嫉妬して、そうやって奪って──」

《ああ、悪いか、俺が考えた! そうだ、お前の事件も、俺が、考えた! 俺が考えてきた事件だ! 俺が、トモミのために考えた事件を、お前が────》

「あなたが、起こした事件?
だから、力も自分のものと言いたいの? 力が欲しいんじゃないの?」

《力は、俺のものだ! お前は、俺の考えた事件に遭ったのだから──アハハハハハハハハ!!! アハハハハハハハハ、トモミィ……トモミは、いいこだな……アハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハ!!》

途中から、トモミ、トモミ、と繰り返しながら彼は不気味に笑い始めた。
精神汚染のためだろうか。
随分進行しているかもしれない。

《アハハハハハハハハ!アハハハハハハハハ! ハアアアアッ! ハアアアアアハハハハハハハハッ》

 自分の考えた事件、だからこそ、私のことも所有物と見なしていた。
彼の考えていることが、よくわからない。
わからないながらにも、なんとなく、理解出来るのが不気味で、
そしてだからこそ、不愉快だ。
まるで、ミステリーに出てくる、
事件が人が死ぬ芸術だとかなんとかって類いの考えじゃないか。

「───幹部……」



 だとすればクロのこと、観察屋のことくらいしか知らなかったけれど、幹部絡みの事件──かもしれない。こんな強硬手段に出るのは学会絡みとしか思えない。

「事件を、何のために起こしたの!? どうして──! 事件なんか起こしても、トモミは」

《──うるさいな、透明化に耐えられないからだよ!!!》

透明化? 何か聞こうとしたタイミングで、ぐらっと世界が揺れる。

「あ──、再現が戻るみたい、
もう限界、ねぇとりあえず帰りましょう!」

……へんじがない。

「此処が持たなくなる、まずは早く!」

 それから何回か話しかけるが既に彼は上の空になっていた。

《トモミィ……ああー、トモミィ…………ウフフフン、ウフフフ……トモミィハハッ、アハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハトモミィ》

「────」

私は女の子のところに駆け寄り、彼女を担ぐ。
「どうしよう、ロボットが正気に戻らないし……」

天井のように空が剥がれ、ぱらぱらと崩れてゆく。ゆっくりした速度だが、ただの瓦礫ではないため私は緊張に包まれる。挟まると空間に飲まれてしまいかねない。

《トモミ……トモミヒィ……》

「────事件を考えた、彼は、事件を考えた……だから《何が証拠になるか》を、知っていた……透明化に耐えられないから、事件を考えた──」

頭が、痛い。ずきずき、する。
悪魔の、接触禁止令のなか、捜査が止めさせられたなか、証拠を知っていた……何が証拠かを知っていて、
なにを持って証明出来るかを試す理由など──

「──はは……っ」

 泣いているのか、笑いだしたいのかわからない。ただ、呆れのような、怯えのような不思議な感覚が、全身に湧き出てきて、私は呆然とする。
「悪魔は、幹部が──学会が、自らが手にかけた『作品』だった……
現実の事件は彼らにとっては『興味深い作品』以外の意味はない……
証拠を、確かめて遊ぶゲームだった……」


 ぐらりと、空間が歪む。
しっかり力を入れていないと自身さえ崩れ落ちてしまいそうだ。
少しずつ、逃げる範囲が狭くなり始めた。

──どこまで、逃げられるだろう、
いつまで、逃げられる?
外に出なくては。
ロボットは宛にならない。
私は、

「私は──事件なんて作品じゃない……私は、あなたが起こした事件、という作品じゃない……私は……」


 崩壊していく世界のなか、彼の異様な笑い声を聞きながら、私はただ、立ち尽くした。