椅子こん!






「あなたの……すきなもの、なんて──」

なくなって  ────

 自分の声で、ハッと気が付いた。
そういえば、朝ごはんのあとから何をしてたんだっけ。

「すきなものが、なくなってしまったら、椅子さんに会えない……」

無意識に声が震える。

「わたし──」

 椅子さんと、それから、アサヒや、女の子と、カグヤたちと……
短い間にもいろんな体験をした。
いろんな暖かい思い出があったはずだ。
 そうだった、私はいじめられてる椅子さんを追いかけて来たんだっけ。後悔はしてないけれど、せっかく来たのに椅子さんに会えなくなるのは嫌だなと思う。
今まで何をしていたんだろう?

「椅子さん……」

周りを見る。真っ暗な空間、見慣れたリビングが広がっている。
でも、あちこちに根が張られていてなんだか不気味だ。油や血みたいな匂いが濃くて、吐きそうになる。

「おねえちゃん!」

 身体が、足が動かず顔だけで振り向くと、傷だらけの女の子が、立っていた。
私は首を横に振る。

「その呼び方は、家族を思い出すから、あまり好きじゃなかったの」

 目を丸くしている彼女に、私は繰り返した。

「私は、ノハナ。月と大樹の血を引く母と人間の父のが交わった子よ」

「月と大樹の──え? っていうか、これもお姉ちゃんなの?」

「うん。月の光と大樹が子どもを作ったのが母なんだって。あまり信じてなかったけど、この身体を見る限りそうみたいだね」

「……」

女の子はぽかんと口を開けて唖然としている。

 「ごめんね……こんなことになるから、いつも笑ってなくちゃいけなかったのに」

私は苦笑と、本気での謝罪を込めて
謝る。
しかし女の子は初めて、私の前で声を荒げた。

「……いつも笑ってる必要なんかないよ!」

「え?」

「わたしこそ、ごめんなさい──戦いが、こんなに辛いなんて、思ってもいなかった、痛くて、痛くて……こんなに痛いのに、弱いからって、目をそらしていた、いつもこんなことばっかり、してたんだね、背負わせて、ずっと……」

 こんな不気味なところに一人で来るなんて、なんて勇敢な子だろう。
さすがはグラタンさんの家の娘というべきだろうか。でも家族の話が好きじゃない私は、どう声をかけていいかわからなかった。

「ありがとう。きっと、すごく、大変な想いをして迎えに来てくれたんだね、それだけで、うれしい」

「わたし、いつも見ているだけだったから」

「当たり前だよ。私は私の家の使命があるけど、あなたはまだ、学校に行ったり、遊んだりしなくちゃいけない」

「でも、決めたの、
これからは……わたしも、戦う!」

 あまり危ないことはしてほしくないけれど、そのまっすぐな目を見て、本気なのだと確信した。
止めたところで無意味だろう。

「ありがとう」

 感謝を述べて、改めて自分の身体を見た。身体中から根が張られている。別に痛くはないけれど、動けないのは動けない。

「ところで──なんだか、空間に耐えようとした身体が、随分と同化してしまって……るみたいで。
しばらくしたらもとに戻る、気がするんだけど……あなたも、私にされないうちに、此処からでたほうが良いよ。私、こんなだから」

「私にされる、って、どういう意味?」

女の子は悲しそうに顔を歪めた。
そんなに不安がるなんて、よほどこの先に何か恐ろしいものがあるのだろうか。彼女は、なかなか一人で先に行こうとはしなかった。

「そのままだよ。せっかく来てくれたところ、うれしいけど、ずっと此処にいたら、じきにあなたも私になってしまうよ──私なら平気。すぐ追い付くから、先に行って。
送ってあげられなくて、ごめんなさい」

「でも! この先も、あいつが……」

「そっか、そういえば、そとにはあのロボットさんが居たんだったね……まだ暴れてるんだ、不安だよね、わかった、じゃあ、しばらく此処で待っててくれる?」

不気味な場所ではあるけど、私がそだった場所だ。そこに、独りじゃない。なんだか変な気分になる。

「うん。その間、少しでいい、何か聞かせてほしい……」

「わかった」

なんの話がいいかな、と考えていると、女の子の服のポケットから人形が飛び出してきた。

──久しぶり!

──会いたかった!

「わぁ! 久しぶりだね!」

根元に降り立った人形たちは、相変わらず記憶のままの愛しい姿をしていた。
「まだ私のこと、覚えててくれてたんだ……感激だなぁ。物も、記憶力が様々だからさ」

「その子たち、此処に来るまで、魔除けというか──わたしを守ってくれてたの。たぶん居なかったらもっと酷い悪夢を見ていたと思う」
と女の子が頬笑む。

「そっか──良かった……この子たち、あの日を思い出すのが辛くて、タンスの奥にずっとしまって居たんだけど、やっぱり、再会も良いものだね」

「殺人事件、って聞いた。
これがあのロボットさんが──学会の幹部たちが、脅迫してまで、入りたかった事件なの?」

「──そう、そっか、幹部なんだ……
そっか…………どうしようかな、
どこから話せば良いんだろう。
前提として、私は、普通の子じゃないのよ。それは、母も同じで、その前もそうだと思う」

「うん……」

「──人を、愛する苦しみ、嫉妬、寄ってくる醜い穢れに耐えられなくなった先祖が、一度、か何度か、樹と結ばれた、うまく言えないけど、そこから血が別れていったのかな……そう、その前に、えっと……」

すうはあと深呼吸する。
なんだか、これから言うことを思うと、胸が痛くなった。

「私になる、って言ったけど──これも、うちの、変わったところで──ね……あの、昔話、でたぶん、そうじゃないかって思ったりしたんだけど、私は、神様と、対話しながら、ずっと、紡がれてきたの。これって、私の意識と神様が同時に居るのね」

ここまで言って、既に、話すのをやめようかと考えた。べつに無理をする必要はない。けど……

「だから……うちはずっと、男性が短命なんだ。結婚したってすぐに死んじゃう、それか、器が破壊されて終わり」

「器? えっと、だから、って、ことは──」

はっ、と女の子は察した顔をする。

「まさか……器っていうのは」

泣かないように、私はせめて、笑った。
「私、アサヒを巻き込みたくなんかない……アサヒが器になったって、きっと、耐えられなくなったら、また、殺しあいになってしまう……」

笑って、居たのか、わからない。やっぱり視界がぼやけてきて、気が付くと泣いていた。女の子が私を抱きしめる。あたたかい。木だけど。ぬくもりはなんとなく伝わる。

「器って、対話のための器よ! 
アサヒの精神を犠牲にして、死ぬまで、私が、ずっと、縛ってしまう。

──昔、私の母にも力が手にはいると勘違いした人が何人も言い寄って来たんだって……
今もその座を、狙ってる人が居るらしいけど、全部、死んだか、病んでおかしくなった。
修業でも積んだか、適正がないと無理よ。じゃなきゃ身体を乗っ取られて、精神が破壊されるのがオチだわ。
 バカみたいだよね、力だ力だって言って、みんな何にも知らないで寄ってくるけど、本当は、こんな──残酷な。たぶん、44街が悪魔だ、っていうのも……本当は──」

「違う。おねえちゃんは、人間だよ!」

「ふふ。殺人事件に、なってても?」

「え……」

「お父さんとお母さんはいつも喧嘩してた。俺が好きなのか、神様が好きなのか。俺は俺自身だ、って」

「……」

「当たり前よね……人を、愛するとはきっとそういうことだもの」

物心ついたときには、嫉妬にかられてほとんど怪物になりかかった父と、母の争いが、全てに及んだ。着るもの、見るもの、食べ物に至るまで──

「普通の家じゃ考えられないね、疑心暗鬼で、父の世界は、きっと、すごく歪んでしまった。
母もまた、そうだった。
自分が愛するもの全てを責められて、おかしくなっていった。
おかしくなっていったということは、どちらにも愛情があったのね。

──母が神様を責めることはなかった。
 神様って不思議なのよ、本当にあたたかくて、やさしくて……一目見るだけでスッと疲れなんて吹き飛んじゃうような……ずっと、守って居たくなるような、命に変えても、って人が居ても頷けてしまう。
 人間の感情じゃ言い表せないけど、私も、神様のこと、すごく好き。どうしても憎んだり出来ない。
神様はただそこに在るだけで、悪いことをしようとしてるわけじゃない。先祖が命がけで守って、一緒に暮らしたのも、尊いことだと思う」

「そっか……」

「でも、父はただの人間。選ばれただけで、他の価値はなかった。
案外周りの妬みや根回しがあったかもしれないね。
そして母の愛だけじゃとても父の孤独も補えない。神様はそういうものだから、だから──父は母を殺そうとしたのかな。
 此処はそれを見ていた私と、私以外の記憶が混じった場所……」

足元の人形たちと目が合う。
暗闇のなかでも、明るく励ましてくれている。少し気が紛れた。

「人形さんたちは、崩壊しそうな家の中でもずっと、私を気遣ってくれた。私は人間が怖かった。
 自分が一番に愛されようとしたり、それのために醜く争って、見るものも食べ物もさわるものも全てがその争いの元になって──そういう煩わしいのがないのよ、木や物や、死んでる相手だと、考えかたが違うし……神様が身を落ち着かせやすい身体でもある」

「えっと、わからないことと、わかったことが、沢山あるけど、幹部の話は」

「──あぁ、そう、幹部。
昔はきっと、あの44街の昔話が今よりは知られていたのだと思う。
 母は昔話の家の子として学会に目をつけられてもいた。どうにか取り入ろうと、器になろうと母に付きまとっていたのかもしれない。けど、母はもともと誰とも付き合う気がなかった。関わる人間を器にしてしまうことを自覚していた母は、
それがどんな意味を持つか知って居たから。家うちは、ただ取り入れば良いなんて生易しいものじゃなかった」

「でも、結婚したって」

女の子がきょとんとする。こんな愉快でもない話を真面目に聞いてくれるなんてちょっと変わった子だと思う。

「──そう。誰とも付き合う気がなかった母が、何度断っても、学会がいろんな手を使えば、外堀から埋まっていく。
小さい頃はよくわからなかったけど今はなんだかわかる気がする。
偉大な力を手にしようとして、それがどんな代償を払うかまでは彼らは理解出来なかった。宗教家のくせに」