椅子こん!




──窓を開けると、空には一面青の空が広がっていた。じつに良い天気。

 私の住む44街の朝が歪み始めたのは、ちょっとまえ。
あちこちで過疎化が進み労働力の確保が難しくなり始めていたことを受けて、超恋愛世代の生き残り…………私より、前の前の前の前の前の前の……とにかくちょっと昔の世代の大人が決めてしまったのが『市民は全員恋愛をしなくてはならない』というものだった。
 昔、私は『椅子』に恋をした。
しかし、当初、44街はそれを恋愛として認めなかった。理不尽な迫害にあって条例違反とまで言われた。条例を守ろうにも、相手が人でなければ無いも同然だったのだ。

 最初は殺されかけたり、役場に笑われたり、周りの人にも、相手が人間じゃないってだけで笑われたり差別されてきたけれど、今では良い思い出。
人と物も通じあえるってことを、世界は今、ようやく理解している。

■■■■■年、
 椅子だけじゃなく、すべての物に対して恋愛が正式に認められ、パートナー制度がようやく確立された。


──今日も椅子と私の幸せな日が始まる。


「ねぇ椅子さん、何処に行く?」

──ガタッ!

まだ寝ぼけている椅子さんを起こしに部屋に行くと、椅子さんが照れくさそうにベッドから起き上がり、返事をした。寝ぼけているらしく少し慌てているような返事が愛しい。

──ガタッ!

「おはよう」

──ガタッ。

寝癖がついていると椅子さんに言われて、慌てて頭をおさえると、ぴょんぴょんと髪が跳ねていた。

「わ、ほんとだ! って、そんな笑うことないじゃない!」

 思わず椅子から目を逸らす。
ざらついた木の肌が、白いシーツに映えてなんだか眩しい。

「……なんか、変だな、いつも通りの朝で、いつも通りに椅子さんが居るのに、何か大事なことを、忘れている気がするの」

──ガタッ。

「ううん、なんでもない!」

扇風機が首を回す。風が肌に当たる。
「あー、すずしい。今日も、暑いね!」
誤魔化すように風を受けて、私は苦笑いする。何でだろう。こんなに幸せなのに、変なことを考えてしまった。


 44街にある私の家。三重の鍵を開ける先にある私の部屋。
ごちゃごちゃと壊れたラジコンとか謎の人形とかが本棚に乗っかり、くたびれてあちこち継ぎ接ぎされたソファーがあって、はだか電球風のライトがついている落ち着く空間。

──ガタッ?

椅子さんが心配そうに見上げてくる。

「──本当になんでもないから……ただ……ちょっと昔を思いだしちゃって。ほら、二人で街を歩いていたら、
爆笑した、とかって指をさされたやつ……椅子と人間が居たらそんなにおかしいのかって椅子さんが怒ってさ」

あれは信じられないよね、とべらべら話す私を見透かしたように、そっ、と触手が伸びてきて目元に触れる。
心配そうな椅子さんと目が合う。

──ガタッ?

「ありがとう、大丈夫だよ……」

自分の好きなものを、自由に好きに、嫌いなものを自由に嫌いになることが、こんなに大変だなんて……あの頃は思いもしなかった。

「私は、人間じゃない、人間じゃなくて、椅子のことが、好きなのに……って、なんでだろ、なんか、今、急に……言いたくなっちゃった」

朝ごはんはパンとご飯どちらが良いか聞きながら、台所へ向かう。椅子さんもガタッと言いながらついてくる。

「あ、だめだよ、まず顔を洗って来ないと……!」

──ガタッ。

「椅子さん……」

椅子さんが洗面所に向かう。
気にかけてくれている、早くいつも通りに振る舞わなくては、と服の裾を腕まくりして朝食準備にとりかかる。
 直後、バターン! と倒れる音がして廊下に飛び出た。
そういえば、椅子さん用に靴下を縫おうとして買ってきた布類を出しっぱなしだった……
「椅子さああん!」



 椅子さんは幸いにも軽く転んだだけで、無事だった。それだけなのになぜだかひどく怖かったし、安心した。

「椅子さん……」

椅子さんが、クスクス笑う。

──ガタッ。

「し、心配に決まってるじゃない!」

──ガタッ。ありがとう。

「どこか、痛く、ないの?」

──平気。

人間にはない、ひんやりした感覚の肌に触れる。傷は、無さそうだ。

「じ、じゃあ、朝ごはんの準備に戻るから!」
少し恥ずかしくなりながらも、台所に戻る。相手は椅子、わかっていても、椅子は椅子として素晴らしい表情を見せていて、私には人間以上に魅力的だった。
 再びなにかを誤魔化すように冷蔵庫を開け、まな板にのせた野菜を刻む。

「椅子──椅子──椅子さん……」


家が炎上したとき、身を呈して私を連れ出して、説得していたことがあったっけ。

人間との対話が辛いなら、椅子でいいじゃないかと、励ましてくれたりもした。
あれは何よりの支えだった。
出会ってすぐに、椅子さんは誰よりも大事な人になっていた。

 椅子さんと私に割って入ろうとしたヨウさんも、対物性愛者だったから過去の自分と重ねてしまったと言っていたっけ。
トントントントントン。
野菜を刻む音が辺りに響く。

「人間以外に好かれて、椅子さんと会えて、私初めてこんなに幸せになれたよ──」

トントントントントントントントントントン。包丁がリズムを刻む。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇








 そーっと廊下に出て聞き耳を立てる椅子に、市長の挨拶が聞こえてくる。
ウォール作戦は知っている。
総合化学会や一部の権力者が失敗『させた』作戦だ。

「残念ながら、大樹を伐採し直接街に用いても、なんの効果も得られなかったことは悔やまれますが……あのときは助かりました」
「壁ごときでは、人類が大樹の防壁の内部に立ち入るくらい出来たこと。元から守れなかったのよ

「…………」

 キラキラしたクリスタルの粒子が、椅子の周りで輝く。
市庁舎の周りにクラスターを発生させるべく、それは大気を漂って外へ向かう。


(──どうか……

この、非道で理不尽な接触禁止令のことを──)