椅子こん!







 窓からなんとか抜け出すと、外に向かう。
外ではたぶん、痴話喧嘩が起きていた。
 ロボットが必死にトモミに許しを乞う声だけは駄々漏れなのだが、トモミの姿はわからない。
「なんて……痴話喧嘩なの! おねえちゃんを、巻き込んで!!」
 さっきまで戦った身体がきしんだ。苦しい。胸が痛い。ときめきが、すごい。
「やめなさああああい! そこのロボット!! 話を聞けーっ!」

ロボットはこちらのことなど見えていない様子だった。トモミにびくびく怯えて言い訳しているだけだ。
 この空間がもしもロボットのマスターのものなら、そもそも彼女はただの被害者だ。
 自分の記憶に責任が持てず、自分の力に責任が持てないせいで、部外者に被害を出しているなら──
まさしく無能の証明。
ただの部外者になんてことをしたのだ、ということになってしまう……

 トモミの確認は出来ないが、ロボットの身体は、よくよく見ると透明ななにかが巻き付いているようだった。近付ける範囲で近付き、目を凝らして観察する。
 指にはめられた指輪──いや、髪飾りのゴム? から発せられている禍禍しい気に操られているらしい。あれは何かのヒントかもしれない。

──キライダアアアアアアッ!

 ロボットの動く音に混ざるように、キライダ、の悲鳴が微かに、けれどはっきり聞こえた。
「キライダ……!?」

 誰かのキライダが、そこに居る。ならばトモミは──キライダが、見せているものなのか。
いや……もしかしたら。

「おい! 無能のバーカ!! 無能のバカ!!好きなものは何だ!」

 あのロボットのスキダはずっと、見えない。
(けれど──もしも──)

「嫌いな相手とやりあいたきゃ二人でやれ! 痴話喧嘩に巻き込むな!! 嫌いならさっさと分かれるか倒せ! いつまでかかってるんだ!」

届く期待などしていなかった。
けれどロボットが、ふいにこちらを向く。

「そうだ──トモミは、大事な恋人……すまない、話をしたい。茶を入れて欲しい」

トモミのぶんまで、とロボットは急に冷静なことを言い出した。

「車さん!」

 仕方がない。
わたしは車さんに確認を取る。
「このまま外から台所に回れる?」

 車さんが近くの壁の勝手口を指して合図する。外からは障害物は無し。いけそうだ。
 中に入ったら薬缶に水を入れて沸かして──麦茶を作ろう……この麦茶を飲んだら、トモミとのことを話し合って落ち着いてくれるのだろうか。
同時に、おねえちゃんが、なぜああなっているのかを考えなくては。
 キライダに襲われている意味ではロボットは敵対しているけれど、おねえちゃんは一体化していた……
___
 つまり、この空間のキライダの意識に近いのはおねえちゃんの方ということになる。
 いったい、何があったというのだろう?
慎重に台所に入る。
 中は暗いし、うっすらとした明かりで鈍く光る流し台に写る自分の影にすら不気味なものを感じそうになってしまう。
 ただただ、なんとなく、嫌な、重苦しい空気が充満していてどこかからすぐにでも何かが現れそうだった。

《おい──》

窓のすぐ外から、声がかかる。トモミは、彼がこちらがわへの移動の際に一旦避け、動きを止めると攻撃を
止めていた。
 何もしないぶんには、すぐに飛びかかって来ないらしい。


《言ってなかったな、俺は、ヨウだ。恋愛総合化学会の幹部の一人! お前もあの力を求めてきたのか!》

「あの力?」

声が聞こえるかわからないけれど、問い返す。

 ロボットは「そう、あの女の力だ、あれは俺──いや私のものにする!」と吐き捨てた。聞こえてはいるらしい。
ヨウ──学会の、幹部……

「あっ!」

その名前はアサヒの家でみた雑誌で聞き覚えがある。
 小さな記事だったが、コンプライアンス以前の問題とか命や生命をなんだと思ってるんだとか罵声が浴びせかけられている人物の一人として名前があった。
彼が、乗っていたとは。

 確か──人工減少に立ち向かう手段として、猿と人間の子どもを作ったりして論文が叩かれていた海外の研究所と、手を組むとかなんとか……
「ミュータント、不老不死、生体強化。あらゆる可能性があるのになぜ試さないのか。
そんな硬い考えでいるから人類はいつまでたっても進化出来ない」
という理屈で『あの兵器』を作る前からそういったことを続けている場所があったらしいとか。

 ……まあ確かに、あれが『兵器』に関係があるロボットなら、いや、そうでなくとも、この規模は幹部クラスでないと持ち出せないだろう。


「っていうか、力って、なに、なんのこと!」
言いながらも薬缶に水を入れて、コンロにセットする。ガスの元栓を探して……

《なにって、解るだろう? ぐっ……指がっ……指が……あぁ》

ロボットに巻き付いている指輪が何かしたのか、ヨウは急に唸り出す。

《あの最強の力だよ、椅子を従えて、化け物になったスライムを易々殺したんだろう? いいなあ!》

明るく楽しいことのように語られる言葉に、思わずカッとなった。
椅子さんはおねえちゃんの大事な人だ。そしてわたしも助けてくれた。

「ふざけないで! おねえちゃんに何をしたの」

《交渉していただけだ》

「交渉?」

 《あの力は、本当に彼女の持ち物なのか?
違ったらもらい受けたい。
 すごく気になったから、孤独が生れた一番濃い空間を再現したまでだ。
これは私のものであるということを、彼女が示せなければ幹部の勝ち》

それは脅迫だ。

「力が欲しいから、嫌な空間を外から強引に開いて
無理矢理入らせたっていうの!?
それじゃあ、ここは……おねえちゃんの……」

《殺人事件の現場だ。
ここに、俺にあの力が彼女のものだとわかるような、そうだな、血のついた凶器じゃなくてもいいが、
ここから直接持ち出してくれればここを奪うのをやめる……かもしれないな!》

寒気がした。
殺人事件の現場──おそらく彼女がいちばん思い出したくない記憶の真偽──彼女の根幹に関わるものを、
強引に確かめさせ、いちばん思念が強く残ったものを自分に見定めさせるまで、監視している、というのか。

彼はあまり理解がないらしく無邪気に楽しみにしているが、常識に照らし合わせても、これは鬼畜以外のなんだというのだろう?
 彼女はそれでも、彼に力を変なことに使われたくなくて、話をきいたのかもしれない。


《うふふふふふ、考えるほど、楽しみだなあ。
そして、何があったのか、なぜ彼女はああなっているのか、幹部に》

「──もういい! あなたって本当におかしい!」

 キライダが彼女を軸にああなっているのも、全部、こいつの意味不明な好奇心のためだったんだ。
倫理とか常識とか、本当に何も考えることが出来ないらしい。これは、あまりに天才過ぎて世界が呆れてしまう。

《人はそれを、恋と呼ぶがね!!
そうだ、これは彼女が好きだからだ!! そして俺がいれば彼女は愛されて幸せになる!》

まさか人を好きなやつって、本物のバカしか居ないのだろうか……
そんな考えがよぎる。
 いうまでもないが、愛されて幸せになる!などというタイプの大半は地雷を踏み歩く危険人物だ。
恋や愛を過信する、感情任せで《自分》ではなにもしない。
なにも頭が使えない人程、そんな不安定なものを過信して偉そうに振り翳す。
 嫌いだったアサヒと同じだ。傲慢で無知な、安易に相手に鬼畜なことを平気で強いる人間。
 ちょっとまずくなれば優しさを見せれば良い、という相手を軽んじたDV思考。恋愛を語りたがるくせに本当には他人のことなど何も自分で考えられない。

4/27/20:33

《何故ならば好きな相手のことはなんでも知り……いたたたたた! トモミ……
いくら装甲があつくても、集中してCDを投げられると困る》

そういやトモミさんが恋人って話をしていたばかりじゃなかったか?

「確信した、バカだな……」
薬缶でパックを煮出した麦茶を、その辺の棚から出した湯飲みに注ぐ。冷やす時間は、なくて良いか……
気力がないしもう雑に入れてしまう。少しはバカが目を覚ませば良いのだが。(2021/4/2914:15)






ーー

 あたりを見渡す。
不気味な空気が漂っている。
殺人事件の、現場……改めてそう思ってこの部屋を見てみると、なんだかどきどきした。

《しかし最近の地獄は、生ぬるい!!!! まだもたもたしているなら、声をかけに行かねば……うわ、トモミ!》

窓の外で彼がくすくす笑っている。笑っていたが、トモミ、が何かしたらしくすぐに飛び上がって攻撃を避けていた。
 ……彼はどうして、ここまで残念なバカになってしまったのだろう。
彼のことを考えていても仕方がないのだけれど、あまり正しいコミュニケーションを学べる育ちではなかったらしい。
麦茶をテーブルにあったお盆に乗せて、そっと流しの方に視線をやる。特に何か荒れているわけではなく、きれいに片付けられていた。
それなのになんだか胸騒ぎがするような景色だ。
 同時に外でまた騒がしい音が聞こえた。
トモミは激昂しているようだが、果たしてお茶など飲んでくれるものだろうか?
すっかり彼の目的が変わっているような気すらする。
お茶を抱えたまま考えていると、今度はリビングの側から音がした。何かが割れるような音。
そうだ……あまり時間がない。急がなくては、彼女はわたしごと空間を破壊してしまうかもしれない。
 全く、なんてことをしているのだ。
彼は力以前に、人間として学んでおくべきことのほうが多いと思う。

 車さんが麦茶を運んでくれると申し出たので、任せることにして勝手口のドアを開け、外に向かった。
車さんの方を指し示してロボットのほうに合図すると、彼はお盆を受け取ってありがとうと礼をいう。
そしてすぐに、湯のみのひとつを目の前に差し出している。
《なぁ、トモミ、まず、お茶でも飲んで話し合おう。この女の子が入れてきてくれたんだ。話を聞いてくれないか?》
彼が言うと、『トモミ』に反応があった。見えないけれど、確かに何か居るらしく、湯のみが宙に浮いていた。
《もういいぞ、力を目当てに来たんなら無駄足だったな!》

「そんな……そんなやりかたで得た力なんて偽者!」
下がれ下がれと手を振られ、なんだか、瞬時に怒りが沸いた。
引き返してくる車さんはじっとわたしを見つめている。

「この家から盗ったものを、返して! あなたに手に入れられなかったそれは、そもそもあなたの力じゃないってことよ!」

《トモミ……そうかそうか、トモミも、この家が欲しいか……ふふふ……ふふふふ……まだまだ、力を、うまく使ってやる》
「あなたの能力が足りない!あなたが未熟なの!……まわりの問題じゃない!あなた自身の問題ですから!!!」
 すでには言葉は届いて居なかったが、わたしは叫んだ。
どうせ苦労知らずは痛い目見るまでわからない。力ですべて思い通りやってきた暴君の、宿命なのかもしれない。

《はっ? 憎い? 嫌いだ……?トモミ……? トモミ? 私が、好きなのか?》


 背を向けた向こう側から何やら再び揉めるような声。気にしている場合じゃない。
とにかく急ごう、と私は来た道を急いだ。
 



 遠くからそっと壁越しにリビングの方を見る。
床のあちこちから根が伸ばされ、部屋の中ではどたどたと複数人の暴れる音がしている。相変わらずの荒れようだった。
時折、幼い子供じみた声が笑ったりはしゃいだりしている声もする。
「だーるまさん」「だーるまさん」
《うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!》窓の向こうから、ヨウの声がした。

《いやあああああ!! 俺を理由なく嫌わないでええええええええええええええ!! 嫌いなんて言葉がこの世界に存在しちゃいけないんだあああああああああああああああああああああああ!!!!!》

どきん、どきん、心臓が暴れだす。ときめきが、再発する。
(何、固まっているの。早く、リビングに入って……おねえちゃんを救いだして……それで、わたし……)

《俺を嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
俺を嫌うやつは居てはいけないんだああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!》

な……んで、そ、いうこと、いうの……

「嫌い……あんたなんか」

 どうしよう、こんな不安定な気持ちではあの部屋に近づけない。
体温が奪われていく。
指先が急速に冷たくなっている気がする。
寒い。此処は、こんなに寒い場所だった。
 (あの刃物を、今なら、遠くからならもしかしたら、根元を狙えば……早く。早く、動かないと、いけないのに……)

今になって、こわいだなんて、あんなに、願ったのに。

《嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!》

「パパ…………」

頭を覆う。耳を塞ぐ。
こんなところでじっとしていては、敵に勘づかれるかもしれない。
だけど、動かない。動くことが出来ない。
「嫌うのは、罪なの?」
体が震えている。戦いって、こんなに、こわいものだったんだ。
自分が信じていることが、不安に変わるのは、こんなに簡単なことだった。

――グラタンさんは、私たちのヒーローだった
――そう、痛いのも! 悲しいのも! 辛いのも! 怖いのも! 世の中に、嫌いなんかないのさ!
いろんな人の言葉が脳裏に過ぎる。
「…………」
動くんだ、という思いと、下手に動いて半端な打撃しか与えられなかったら、という恐怖が襲ってくる。迷いは命取りになる。
迷うくらいなら動かないほうが安全だ。
 でも……だけど此処には、わたししか……
わたしが、やらないといけないのに。どのみちいつか、この世界もなくなる。早く、はやく。
呼吸が荒くなる。息が、苦しい。

「どうしたの?」

 声が、聞こえた。
空耳かと疑ったが、違うようだった。
「どうか、した? どこか、いたいの?」

「誰……」

辺りを見渡す。はっきりと聞こえて来る声。もしかして誰か、救援に来たんだろうか? でも、そんなまさか。

「大丈夫?」

「あなたは、誰? どこに居るの?」

敵だろうか。味方だろうか。どちらにしても、気を紛らわせるなら良いと思った。

《うあああああああああああああああああああああああああ!!!! 嫌うなっ!! 嫌うな!!!! 俺を嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!》
外ではまだ、激しい声が続いている。

「こっちこっち!」

正反対に、無邪気な、優しい声がする。
不思議と元気が沸くような。
 声がする方に向かう。廊下を曲がっていくと、ついたのは二階に向かう階段。
階段の、6段目くらいのところに、声の主は立っていた。

「あのね、あのね、なにを見ても、触っても、いいんだよ」

人形。表情のない、薄汚れた、けれどたぶんそれだけとても可愛がられていた人形がふたりいた。

「……えっと」

『あなたは、何を触っても良いんだよ』
『あの人が口にする食べ物だって、触れて体内に入っていく。私はとがめたことがない』

人形たちはそれぞれに繰り返す。

「あなた、たちは」

 外で、嫌うな、嫌うなと叫ぶ声がしている。けれどもう不思議と気にならなかった。

『何を嫌いになっても良いんだよ』
『私はとがめたことがない』

「……あの」

『姫が思いを込めた……もの』
『久々に、人と話した』
『恐れないで。私はとがめたことがない』
『私はとがめたことがない』

零れて来た涙を拭い、深呼吸する。よくわからないけれど、とがめたことがない。たったそれだけの言葉なのに不思議と気持ちが落ち着く。
もしかして、おねえちゃんのことなのかな。
 椅子さんと居るときの彼女の暖かい笑顔を思い出した。人形たちは暖かい気で満ちている。

「うん……わたし……もう一度、戦う!」

『それなら、私も』

『私も連れてってください』

「……一緒に行ってくれるの?」

『もちろんです』

『行きましょう』




(20214301804)