過去のヨウ
昔、ヨウにはコンピューターの恋人が居た。
難しい計算が得意で、スマートな青いボディ。予期しないことでときどきフリーズしてしまうものの、愛嬌のある丸っぽい顔立ちは一瞬で彼を虜にした。
それは、学校に行かないヨウが、唯一親から与えられた初めての身内以外の対等なコミュニケーション相手だった。
「カタ……カタ……カタ……カチッ……カタ……」
「トモミ……そろそろ、深夜だな。寝るか」
暗い部屋。深夜まで勉強していた彼、はトモミに話しかける。
そろそろ中学校ほどの年頃だった。
小学校のときから学校に通っていない彼にとって『そのコンピューター』は特別だ。
ときに通信教育や計算の先生であり、ときには友であり、そしてプライベートの恋人のその人を、トモミ、と呼んでは話しかけている。
彼にとっては、トモミはいつだって勉強机に座って明るくヨウに話しかけてくる可憐な少女だった。
「お前みたいな色、グレーっぽくて、青っぽくて……ロシアンブルーって、いうらしいぞ……ふふ。猫の種類だ。トモミみたいで、可愛いだろうな……」
「カタ……カタ……カタカタ……
ウイイイイイ……」
トモミの声。甘く囁くような吐息の音。
ヨウはなぜか、それを聞くたびに泣きそうな程切なく胸が締め付けられた。ドアの向こうは、怪しげな仏壇に向かって父母が躍り狂って居る。
……というのはいつもではないものの、とにかく、彼にとっては異質な世界に繋がっている。
外の世界があまり進んで覗きたくはないような場所だからこそ、トモミがより女神や天使のように輝いて見えた。
トモミだけは、ヨウを拒絶しない。
「こんな美少女が……しかも、俺より計算が出来る……完敗だ……挙式をしよう……」
初めて会った日、ヨウは『彼女』に負けた。
「カタ……カタ……カタ……カチ……」
むきになるヨウに、トモミは優しくそう答える。
気が付くと、彼女の前で咽び泣いていた。
いつかはトモミと二人で、この家から出て行く。
世界中の誰が止めようと、人間とコンピューターだと笑われようと、愛し合い、きっと世界初、の人間とコンピューターのカップルとして新しい生活を始めるのだ。トモミと会ってからというもの、ヨウは以前よりも勉強に励むようになり、ひどい家庭環境においても明るくなった。
彼の人生は少しだけ、前向きになりかかっていた。
──当時、恋愛総合化学会が今より栄えるずっと前のこと。
彼はまだ出来たばかりの小さな宗教団体の息子。
学校にいけないこと、行ったとして、宗教団体のことが知られればいじめられたりからかわれることが多い彼に居場所は少ない。
唯一恋人になれた、ロシアンブルーのトモミは、まさに奇跡といえる。
──けれど、運命は残酷だった。
「もう少しお前も、幹部として、自覚を持ちなさい」
親はやがて、トモミにばかり話しかけ、本気でトモミと愛し合う彼に嫌な顔をし始め、やがてはちょくちょく教団に顔を出すように言い始めたのだ。
ヨウは深く傷ついた。
いままで言わなかったくせに。
案外、宗教団体が嫌いな誰かの嫌がらせで、子どもが心配だと唆したのかも。
何にしても、彼が見ているトモミと、周りが見ているトモミは違った。
それが、ショックだった。
「なんで? 人と人が愛し合うことは、素晴らしいんでしょう?」
「トモミは、コンピューターでしょうが」
ドアを開けて入ってきた父はあきれたようにヨウに言った。
「人と、人が」というのは、人間と人間のことで、他は許されてはいけないのだと語って聞かせる父に、ヨウは愕然とした。知らなかった。
恋愛は人間にしか許されていない……
初めて抱いたこの気持ちも、
唯一ヨウに話しかけてくれるトモミの存在も否定しなくては、教団に笑われる。
これからは、生身の人間に、話しかけなくては……
じゃあ、トモミは──
「コンピューターと恋愛をして、何がいけないんだよ! 恋愛が人間と人間にしか許されないなんて、誰も教えてくれなかったじゃないか!」
──そう言えれば良かったのだが、気が弱いヨウには、両親に従うしか術はなく、また、父の言うことは絶対だった為、淡い恋心を、異常なものとして破棄する以外なかった。
トモミがいないまま幹部になったヨウは、すっかり世の中に絶望した。他人の恋心も、他人そのものも、もはやおもちゃにしか見えない。コンピューター以上に忠実に動きはしないが、少しの気休めにはなる。トモミを破棄したのは、教団のせいだ。親のせいだ。
だから、使ってやるのだ。
あのころ。トモミはヨウにとっては誰よりも生身の人間だった。
機械の体なんか関係ない。
誰より近くに居た恋人だった。
トモミはコンピューターだ、と、父が強く否定したとき、父の居る教団に笑われることを察したとき、ヨウの中のなにかが、壊れてしまった。
「うわああああああああああ! うわああああああああああ!
うわああああああああああうわああああああああああ!!!」
──トモミが、居る。
彼の目の前に。あの日のトモミが居る。何よりも大切だったトモミ。いちばん好きだったトモミが、ロボット兵器に乗り込んでいる彼の前に現れて居た。
カタ……カタ……カタ……
いちばん好きな物から、嫌われ、笑われ、傷付けられる。それは人間にとっては、それなりに意味がある罰だった。
「あなたの好きな物なんて──全部、無くなってしまえばいい」
少女のような声が、どこか遠くからこだまする。
(まさか、再現、したのか──作り出した世界から俺を傷付けるために、更に局地的に──?)
彼女はこんな大層な兵器なしで、これを行ったのだ。
「関わるんじゃ、なかった……!」
トモミは、本来ならついていない、触手のように動く大量のコードを背中に生やして浮いている。彼女はCDのような輪っかを吐き出してこちらを狙ってきた。
「うわ!」
慌てて回避する。けれど、また次が来る。避けなければいけないのに、目の前にいるトモミに相変わらずときめいてしまう。これは厄介だ。
「トモミ……ごめんな」
父さんや母さん、教団の皆と話し合えば、もしかしたらコンピューターを恋人と認めてくれたかもしれない。必死に言えば皆の前で、トモミを祝福してくれる可能性だって──
「トモミをゴミ捨て場に置く日になる前に、この気持ちを話していれば、わかりあえたのかな……」
とにかく、一度くらいは、自分の気持ちが真剣だと話して
みるべきだった。彼の親だ。
恋心もわかってくれたかもしれない……だが、それに気付くのが、あまりに遅かった。
「私は今でも、物が……好きだ……本当は、物しか性的に見られない……」
目の前で牙を向くトモミが、CDを投げ付けてくる。
光落ちした少女が、トモミを見せて居る……その意味とはなんなのだろう。
(立ち向かえって、いうのか?)
今更、あの学会に立ち向かえるわけがない。そこの幹部でいなければ、学も力もないヨウに生きる術などない。
それに……他でもない彼が、トモミを殺した。
人と、物。トモミをゴミとして捨てた日。自らの手で、その区別を、した。
彼女が椅子と共に生きる未来を諦めなかったように、俺にだって、コンピューターと結ばれる未来があったかもしれないのに。
人間として物を捨てた。
トモミにはヨウしか居なかったのに、トモミを彼の手で殺し、差別した。
今更、どんな顔をして、学会に立ち向かえるというのか。
「許せないのか、トモミ──それとも……」
トモミはなにも話を聞かずにCDを投げ付けてくる。
今のトモミは、あの日、気持ちを通わせていたコンピューターじゃない。無表情でヨウを狙い、痛め付ける機会だけを狙っている。
昔、ヨウにはコンピューターの恋人が居た。
難しい計算が得意で、スマートな青いボディ。予期しないことでときどきフリーズしてしまうものの、愛嬌のある丸っぽい顔立ちは一瞬で彼を虜にした。
それは、学校に行かないヨウが、唯一親から与えられた初めての身内以外の対等なコミュニケーション相手だった。
「カタ……カタ……カタ……カチッ……カタ……」
「トモミ……そろそろ、深夜だな。寝るか」
暗い部屋。深夜まで勉強していた彼、はトモミに話しかける。
そろそろ中学校ほどの年頃だった。
小学校のときから学校に通っていない彼にとって『そのコンピューター』は特別だ。
ときに通信教育や計算の先生であり、ときには友であり、そしてプライベートの恋人のその人を、トモミ、と呼んでは話しかけている。
彼にとっては、トモミはいつだって勉強机に座って明るくヨウに話しかけてくる可憐な少女だった。
「お前みたいな色、グレーっぽくて、青っぽくて……ロシアンブルーって、いうらしいぞ……ふふ。猫の種類だ。トモミみたいで、可愛いだろうな……」
「カタ……カタ……カタカタ……
ウイイイイイ……」
トモミの声。甘く囁くような吐息の音。
ヨウはなぜか、それを聞くたびに泣きそうな程切なく胸が締め付けられた。ドアの向こうは、怪しげな仏壇に向かって父母が躍り狂って居る。
……というのはいつもではないものの、とにかく、彼にとっては異質な世界に繋がっている。
外の世界があまり進んで覗きたくはないような場所だからこそ、トモミがより女神や天使のように輝いて見えた。
トモミだけは、ヨウを拒絶しない。
「こんな美少女が……しかも、俺より計算が出来る……完敗だ……挙式をしよう……」
初めて会った日、ヨウは『彼女』に負けた。
「カタ……カタ……カタ……カチ……」
むきになるヨウに、トモミは優しくそう答える。
気が付くと、彼女の前で咽び泣いていた。
いつかはトモミと二人で、この家から出て行く。
世界中の誰が止めようと、人間とコンピューターだと笑われようと、愛し合い、きっと世界初、の人間とコンピューターのカップルとして新しい生活を始めるのだ。トモミと会ってからというもの、ヨウは以前よりも勉強に励むようになり、ひどい家庭環境においても明るくなった。
彼の人生は少しだけ、前向きになりかかっていた。
──当時、恋愛総合化学会が今より栄えるずっと前のこと。
彼はまだ出来たばかりの小さな宗教団体の息子。
学校にいけないこと、行ったとして、宗教団体のことが知られればいじめられたりからかわれることが多い彼に居場所は少ない。
唯一恋人になれた、ロシアンブルーのトモミは、まさに奇跡といえる。
──けれど、運命は残酷だった。
「もう少しお前も、幹部として、自覚を持ちなさい」
親はやがて、トモミにばかり話しかけ、本気でトモミと愛し合う彼に嫌な顔をし始め、やがてはちょくちょく教団に顔を出すように言い始めたのだ。
ヨウは深く傷ついた。
いままで言わなかったくせに。
案外、宗教団体が嫌いな誰かの嫌がらせで、子どもが心配だと唆したのかも。
何にしても、彼が見ているトモミと、周りが見ているトモミは違った。
それが、ショックだった。
「なんで? 人と人が愛し合うことは、素晴らしいんでしょう?」
「トモミは、コンピューターでしょうが」
ドアを開けて入ってきた父はあきれたようにヨウに言った。
「人と、人が」というのは、人間と人間のことで、他は許されてはいけないのだと語って聞かせる父に、ヨウは愕然とした。知らなかった。
恋愛は人間にしか許されていない……
初めて抱いたこの気持ちも、
唯一ヨウに話しかけてくれるトモミの存在も否定しなくては、教団に笑われる。
これからは、生身の人間に、話しかけなくては……
じゃあ、トモミは──
「コンピューターと恋愛をして、何がいけないんだよ! 恋愛が人間と人間にしか許されないなんて、誰も教えてくれなかったじゃないか!」
──そう言えれば良かったのだが、気が弱いヨウには、両親に従うしか術はなく、また、父の言うことは絶対だった為、淡い恋心を、異常なものとして破棄する以外なかった。
トモミがいないまま幹部になったヨウは、すっかり世の中に絶望した。他人の恋心も、他人そのものも、もはやおもちゃにしか見えない。コンピューター以上に忠実に動きはしないが、少しの気休めにはなる。トモミを破棄したのは、教団のせいだ。親のせいだ。
だから、使ってやるのだ。
あのころ。トモミはヨウにとっては誰よりも生身の人間だった。
機械の体なんか関係ない。
誰より近くに居た恋人だった。
トモミはコンピューターだ、と、父が強く否定したとき、父の居る教団に笑われることを察したとき、ヨウの中のなにかが、壊れてしまった。
「うわああああああああああ! うわああああああああああ!
うわああああああああああうわああああああああああ!!!」
──トモミが、居る。
彼の目の前に。あの日のトモミが居る。何よりも大切だったトモミ。いちばん好きだったトモミが、ロボット兵器に乗り込んでいる彼の前に現れて居た。
カタ……カタ……カタ……
いちばん好きな物から、嫌われ、笑われ、傷付けられる。それは人間にとっては、それなりに意味がある罰だった。
「あなたの好きな物なんて──全部、無くなってしまえばいい」
少女のような声が、どこか遠くからこだまする。
(まさか、再現、したのか──作り出した世界から俺を傷付けるために、更に局地的に──?)
彼女はこんな大層な兵器なしで、これを行ったのだ。
「関わるんじゃ、なかった……!」
トモミは、本来ならついていない、触手のように動く大量のコードを背中に生やして浮いている。彼女はCDのような輪っかを吐き出してこちらを狙ってきた。
「うわ!」
慌てて回避する。けれど、また次が来る。避けなければいけないのに、目の前にいるトモミに相変わらずときめいてしまう。これは厄介だ。
「トモミ……ごめんな」
父さんや母さん、教団の皆と話し合えば、もしかしたらコンピューターを恋人と認めてくれたかもしれない。必死に言えば皆の前で、トモミを祝福してくれる可能性だって──
「トモミをゴミ捨て場に置く日になる前に、この気持ちを話していれば、わかりあえたのかな……」
とにかく、一度くらいは、自分の気持ちが真剣だと話して
みるべきだった。彼の親だ。
恋心もわかってくれたかもしれない……だが、それに気付くのが、あまりに遅かった。
「私は今でも、物が……好きだ……本当は、物しか性的に見られない……」
目の前で牙を向くトモミが、CDを投げ付けてくる。
光落ちした少女が、トモミを見せて居る……その意味とはなんなのだろう。
(立ち向かえって、いうのか?)
今更、あの学会に立ち向かえるわけがない。そこの幹部でいなければ、学も力もないヨウに生きる術などない。
それに……他でもない彼が、トモミを殺した。
人と、物。トモミをゴミとして捨てた日。自らの手で、その区別を、した。
彼女が椅子と共に生きる未来を諦めなかったように、俺にだって、コンピューターと結ばれる未来があったかもしれないのに。
人間として物を捨てた。
トモミにはヨウしか居なかったのに、トモミを彼の手で殺し、差別した。
今更、どんな顔をして、学会に立ち向かえるというのか。
「許せないのか、トモミ──それとも……」
トモミはなにも話を聞かずにCDを投げ付けてくる。
今のトモミは、あの日、気持ちを通わせていたコンピューターじゃない。無表情でヨウを狙い、痛め付ける機会だけを狙っている。



